私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(136)—不正な管理人のたとえ—
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
不正な管理人のたとえについて学ぶ。
「不正な管理人のたとえ」
ルカ16:1~13
1.はじめに
(1)文脈の確認
①「後の者が先になり、先の者が後になる」という教えがあった。
②失われた羊、失くした銀貨、いなくなった息子、という3つのたとえ話
③この箇所では、イエスは弟子たちに教えている。
④弟子訓練のためのたとえ話である。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§117 管理人についての3つのたとえ話(16:1~17:10)
①不正な管理人のたとえ(弟子たちに)
②パリサイ人たちとの対決
③金持ちとラザロの物語(パリサイ人たちに)
④赦しと奉仕に関する教え(弟子たちに)
(3)「不正な管理人のたとえ」は、極めて難解である。
①イエスが不正を奨励しているかのように読める。
②解釈の鍵は、「不正の富」という言葉にある。
③このたとえ話は、「悪事」を用いて「良いこと」を教えているのである。
2.アウトライン
(1)管理人の不正の発覚(1~2節)
(2)管理人の悪知恵(3~7節)
(3)主人の評価(8節)
(4)イエスによる適用(9~13節)
3.結論
(1)富に関する誤解
(2)富に関するバランスある理解
(3)ふたりの主人
不正な管理人のたとえについて学ぶ。
Ⅰ.管理人の不正の発覚(1~2節)
1.1節a
Luk 16:1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。
(1)イエスは、弟子たちに話している。
①これは、弟子訓練のためのたとえ話である。
②聴衆が誰かを判断することが、たとえ話の解釈のために重要である。
(2)その周りで、パリサイ人たちも聞いている。
①彼らは、イエスの教えをあざ笑う(14節)。
2.1節b~2節
「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
Luk 16:2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
(1)ある金持ちが、ひとりの管理人を雇っていた。
①管理人とは、現代のファイナンシャルプランナーや管財人に相当する。
②イエス時代、金持ちは資産運用のために管理人を雇うことが一般的だった。
*管理人は、奴隷の場合も、自由人の場合もあった。
③資産は主人のものであり、管理人はその運用を任されているだけである。
(2)この管理人は、主人の財産を乱費していた。
①放蕩息子が父の遺産を浪費したのと似ている。
②その噂が主人の耳に入った。
(3)訳文の比較(2節)
「おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理
を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい」(新改訳)
「お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。も
う管理を任せておくわけにはいかない」(新共同訳)
「あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を
出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから」(口語訳)
「帳簿をごまかしているそうだな。 もっぱらのうわさだぞ。 なんてことだ。 こうな
った以上、やめてもらおう。 報告書を整理しておくんだな」(リビングバイブル)
(4)最初主人は管理人のことを、不正直というよりも無責任と考えている。
①それゆえ、解雇する前に、管理人に帳簿を整理する時間を与えた。
Ⅱ.管理人の悪知恵(3~7節)
1.3節
Luk 16:3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。
(1)管理人の頭は急速に回転した。
①土掘りは、奴隷か、それ以外に能力のない者の仕事である。
②物ごいは、不名誉な職業である。
2.4~6節
Luk 16:4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
Luk 16:5 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、
Luk 16:6 その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。
(1)主人の債務者たちとは、小作農であろう。
①主人に収穫量の中からある歩合を払うことになっている。
②収穫期までは、支払う必要はない。
③管理人は、負債を減らしてやれば将来自分を雇ってくれるだろうと考えた。
(2)最初の者
①油100バテ → 50バテ
②バテとは、「娘」。一人の少女が運べる水の量。
③1バテは、約8.5ガロン(約32リットル)
④100バテは、約3,200リットル
⑤オリーブの木150本分(1000デナリに相当する)
⑥この人は、現代の貨幣価値で約500万円免除された。
3.7節
Luk 16:7 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。
(1)別の人
①小麦100コル → 80コル
②100コルは、100エーカーの収穫量(2,500デナリに相当する)
③この人もまた、約500万円免除された。
④免除された割合は異なるが、ほぼ同額が免除されたことになる。
(2)両者ともに、かなり裕福な人である。
①それゆえ、将来雇ってもらえる可能性がある。
(3)この管理人には知恵がある。
①自分が手を染めるのではなく、負債者に修正させている。
*負債者に罪を犯させている。
②書類上の変更なので、発覚の可能性がより低い。
③当時、干ばつの時には負債を減額し、名声を得る人が多くいた。
④もし主人が免除を取り消せば、面目を失くす可能性がある。
⑤古代世界では、奴隷が主人を出し抜くという物語が流布していた。
Ⅲ.主人の評価(8節)
1.8節
Luk 16:8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
(1)主人は、不正をほめたのではない。
①これは、悪い事を用いた良い教えである。
(2)未信者(この世の子ら)と信者(光の子ら)との対比がある。
①主人は、管理人が抜け目なくやったことをほめたのである。
②この管理人は、物質を用いて、自分の将来の備えをしたのである。
Ⅳ.イエスによる適用(9~13節)
1.9節
Luk 16:9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
(1)地上の富を、魂を勝ち取るために使用すべきである。
①「不正の富」(unrighteous mammon)とは、この世の富のことである。
*これは、ラビ用語である。
②「富がなくなったとき」(when you fail)とは、死んだ時という意味である。
*ギリシア語の「エクレイポウ」である。
③地上の富を用いて伝道したなら、天で迎えてくれる人が出る。
*富の使用によって天に入れるという意味ではない。
2.10~12節
Luk 16:10 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
Luk 16:11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
Luk 16:12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
(1)小さい事
①地上の富のことである。
②不正の富のことである。
③他人のもののことである(富は神のもの)。
(2)大きい事
①永遠に価値あるもの(霊的財産)である。
②まことの富のことである。
③自分が所有できるもののことである(永遠の命は自分のもの)。
(3)小さい事に忠実な人に、大きい事が委ねられる。
3.13節
Luk 16:13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
(1)ふたりの主人に仕えることはできない。
①神に仕えるか。
②富(マモン)(アラム語)に仕えるか
結論:
1.富に関する誤解
(1)パリサイ人たちの教え
①神は愛する人を富ませる。
②富は、神に愛されている証拠である。
(2)今日の「繁栄の神学」も、同じ教理的過ちを犯している。
①信仰によって、健康、富、成功などが手に入るという教えである。
②人格の完成については、ほとんど取り上げない。
2.富に関するバランスのある理解
(1)地上の富を軽視するのは間違っている。
①光の子らは、この世の子ら以上に、富の管理についてたけている必要がある。
②神がすべて与えてくださると言って、無責任になるのはよくない。
(2)地上の富を重視し過ぎるのも間違っている。
①富は、「まことの富」を得るために用いるべきである。
②「まことの富」とは、救いであり、主イエスとの関係である。
③御国の拡大のためにお金を使う人は、幸いである。
3.ふたりの主人
(1)奴隷がふたりの主人を持てば、矛盾した命令が来て、働くことができなくなる。
(2)光の子らはマモンに仕えるではなく、マモンを利用して神に仕えるべきである。
(3)1テモ6:9~10
「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、
愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だから
です。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもっ
て自分を刺し通しました」
(例話)アフリカから帰国した宣教師:出迎える人がいない。
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(13)批判する者たちへの反論10:1~18
Q421 天国でも性別は存在しますか。
イスラエル旅2023#088中川牧師とめぐる旅:【エルサレム旧市街】4つの地区とエルサレムの再統一
コリント人への手紙第二(14)パウロと偽使徒の違い(1)11:1~15
コリント人への手紙第二(12)エルサレム教会への献金(3)-喜んで与える祝福―9:1~15
Q420 頭に燃える炭火を積むとはどういう意味ですか。