メシアの生涯(137)—金持ちとラザロの物語—

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個人的終末論について考えてみる。

「金持ちとラザロの物語」

ルカ16:14~31

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①イエスは、「不正な管理人のたとえ」を弟子たちに向けて語った。

②地上の富を、魂の救いのために用いよという教え。

③それを聞いて、パリサイ人たちがイエスをあざ笑った。

④富に関するパリサイ人たちの神学が、イエスのそれとは異なっていたから。

⑤そこでイエスは、彼らの誤りを正すために「金持ちとラザロの物語」を語った。

  (2)A.T.ロバートソンの調和表

    §117 管理人についての3つのたとえ話(16:1~17:10)

    ①不正な管理人のたとえ(弟子たちに)

    ②パリサイ人たちとの対決

    ③金持ちとラザロの物語(パリサイ人たちに)

    ④赦しと奉仕に関する教え(弟子たちに)

  (3)今回は、②と③を取り上げる。

  2.アウトライン

    (1)パリサイ人たちとの対決(14~18節)

    (2)金持ちとラザロの物語(19~31節)

      ①金持ちとラザロの対比

      ②死後の世界での金持ちとラザロの対比

      ③越えられない大きな淵

      ④神のことばへの信頼

  3.結論

    (1)死ぬとどこへ行くのか。

    (2)死後の魂の状態はどのようなものか。

    (3)セカンドチャンスの教えは聖書的か。

個人的終末論について考えてみる。

Ⅰ.パリサイ人たちとの対決(14~18節)

   1.14~15節

Luk 16:14 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。

Luk 16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。

    (1)きょうの箇所のポイントは、パリサイ派神学との対決である。

      ①パリサイ人たちは、金に執着していた。

      ②彼らは、イエスが教えたこと(不正な管理人のたとえ)に同意しなかった。

      ③彼らは、神に愛されている者は金持ちになると教えていた。

      ④イエスは貧しく、イエスに従っている者たちも貧しい。

      ⑤そのイエスが、富について教えているのは滑稽なことである。

    (2)しかしイエスは、彼らの教えは人間的なもので、神に憎まれていると語った。

      ①金持ちであることは、その人が義人であるという証拠ではない。

  2.16~18節

Luk 16:16 律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしています。

Luk 16:17 しかし律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。

Luk 16:18 だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。

     (1)「律法と預言者」とは、旧約聖書のことである。

      ①バプテスマのヨハネは、旧約時代における最後の預言者である。

      ②バプテスマのヨハネとイエスによって、神の国の福音が宣べ伝えられている。

    (2)「だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしている」

      ①民衆は、モーセの律法から逸脱したパリサイ派神学に束縛されていた。

      ②宗教的指導者たちは、民衆がイエスをメシアとして受け入れることを妨害した。

      ③民衆にとっては、イエスを信じることは、「戦い」であった。

    (3)「律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしい」

      ①パリサイ人たちは、モーセの律法を骨抜きにしていた。

      ②彼らにとっては、口伝律法の方が重要であった。

      ③しかしイエスは、モーセの律法はことごとく成就すると宣言された。

    (4)次に、離婚に関する教えが出て来る。

      ①パリサイ派の律法曲解の例として、離婚に関する教えが取り上げられている。

      ②詳細は、先に行ってから取り上げる。

Ⅱ.金持ちとラザロの物語(19~31節)

(例話)高校時代の英語でのバイブルクラスの失敗談

  1.金持ちとラザロの対比(19~21節)

Luk 16:19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

Luk 16:20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、

Luk 16:21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。

     (1)金持ち

      ①いつも紫の布や細布を着ていた。

        *紫色の布は高価であった。細布は細い麻で織った布で下着に着る。

      ②毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

      ③パリサイ人たちの教えでは、彼は義人であるが、実態はそうではない。

      ④彼は、隣人愛に欠けている。これが、救われていない証拠である。

      ⑤彼は、金持ちだからではなく、信仰が欠如しているから救われていないのだ。

    (2)ラザロ

      ①実名が出ているので、これは「たとえ話」ではなく「実話」である。

      ②全身おできの貧しい人で、金持ちの門前で寝ていた。

      ③金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。

      ④犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。

      ⑤パリサイ人たちの教えでは、ラザロは罪人であるが、実態はそうではない。

⑥彼は義人であるが、それは貧しいからではなく、神に信頼したからである。

  2.死後の世界での金持ちとラザロの対比(22~23節)

Luk 16:22 さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

Luk 16:23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。

     (1)ラザロ

      ①死んでアブラハムのふところに連れて行かれた。

      ②死者の霊が行く場所は、シオール/ハデスである。

      ③シオール/ハデスは、2つに分かれている。

        *義人の行く所は、「アブラハムのふところ」である。

        *これは、パラダイスと同義である。

        *罪人の行く所は、狭義の「ハデス」である。

      ④ラザロは、慰めの場所に連れて行かれた。

      ⑤この状態は、パリサイ派の教えとは正反対である。

    (2)金持ち

      ①死んでハデスに行った。狭義の「ハデス」である。

      ②彼は、ハデスで苦しんでいた。

      ③彼は、はるかかなたにアブラハムとラザロを見た。

      ④この状態は、パリサイ派の教えとは正反対である。

  3.越えられない大きな淵(24~26節)

Luk 16:24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

Luk 16:25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生/きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

Luk 16:26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

     (1)金持ちは、苦しみの中からアブラハムに向かって叫んだ。

      ①彼は、アブラハムの子孫である。

      ②パリサイ派の教えでは、アブラハムの子孫は自動的に神の国に入るはずである。

      ③彼は、ラザロをよこして、水一滴でも口に落としてほしいと願った。

    (2)アブラハムは、大きな淵があるので、往き来は不可能であると答える。

      ①シオール/ハデスでは、両方の場所から互いを見ることはできる。

      ②しかし、大きな淵があるので、場所を移動することはできない。

  4.神のことばへの信頼(27~31節)

Luk 16:27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。

Luk 16:28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』

Luk 16:29 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』

Luk 16:30 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』

Luk 16:31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

     (1)金持ちは、ラザロを父の家に送り、5人の兄弟たちに警告してほしいと願った。

      ①5人の兄弟たちが、自分と同じ苦しみに会わないように。

    (2)アブラハムは、彼らには「モーセと預言者」があると答えた。

      ①旧約聖書のこと

      ②つまり、神のことばである。

    (3)金持ちは、復活したラザロが行けば、5人の兄弟たちは信じるはずだと主張する。

    (4)アブラハムは、人間の性質を考えると、そうは行かないと答える。

      ①神のことばに耳を傾けないなら、どんな奇跡が起こっても信じるものではない。

      ②これは、イエスご自身の体験でもある。

結論:

はじめに

    (1)これは、実話である。

    (2)日本人に対する適用が多く含まれる。

1.死ぬとどこへ行くのか。

  (1)シオール/ハデスに行く。

  (2)そこは、アブラハムのふところ(パラダイス)とハデスに分かれている。

  (3)イエス・キリストの昇天以降、パラダイスの部分は天に上げられた。

    ①新約時代の聖徒たちの魂は、天にあるパラダイスに行く。

  (4)エペ4:8

  「そこで、こう言われています。『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連

れ、人々に賜物を分け与えられた』」

2.死後の魂の状態はどのようなものか。

  (1)ある人たちは、復活するまで魂は眠りの状態にあると主張する。

  (2)1テサ4:13~14

「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたく

ありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないため

です。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はま

たそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはず

です」

    ①「眠った」とは、肉体的死を表現する比ゆ的言葉である。

    ②この聖句を根拠に、魂の眠りを主張することはできない。

  (3)金持ちは、意識があり、判断力がある。

  (4)これは、クリスチャンにとっては大いなる希望である。

3.セカンドチャンスの教えは聖書的か。

  (1)パリサイ派の神学の問題点は、神のことばを離れて口伝律法を作ったこと。

  (2)「金持ちとラザロの物語」の中で、聴衆が驚いた点は何か。

    ①貧乏人が、アブラハムのふところに行った。メガ・サプライズ(10の6乗)。

    ②金持ちが、ハデスに行った。ギガ・サプライズ(10の9乗)。

  (3)セカンドチャンスを信じる人は、テラ・サプライズ(10の12乗)を経験する。

  (4)人は、自分に与えられている啓示の量に応じて裁かれる。

    ①自然界

    ②良心

    ③神のことば

  (5)セカンドチャンス論は、問題を解決するよりも新たな問題を作り出す。

    ①伝道の意欲がなくなる。

    ②伝道しない方がよいという極論に至る可能性がある。

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