私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(1)-前書き-
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ヨハネの福音書の前書きについて学ぶ。
ヨハネの福音書(1) ヨハ1:1~18
1.はじめに
(1)本書が与えられていることの祝福
①神は、ヨハネを用いて、深遠な霊的真理を啓示された。
②それゆえ、一言一句も見逃してはならない。
③マタイ、マルコ、ルカは共観福音書と呼ばれる。
*地から天を見上げるという視点で書かれている。
*キリストの生涯の出来事について記録している。
④ヨハネの福音書は、第4福音書と呼ばれる。
*天から地を見下ろすという視点で書かれている。
*キリストの生涯の出来事の霊的意味について解説している。
*「奇跡」ではなく、「しるし」ということばを使っている。
(2)前書きの内容は、神学的なものである。
①ヨハネは、イエスと永遠の神の関係を強調している。
②イエスは、神の子が人となられたお方である。
③イエスは、罪人に永遠のいのちを与えるために来られた。
2.アウトライン
(1)受肉前のことば(1~5節)
(2)バプテスマのヨハネの証言(6~8節)
(3)まことの光の到来(9~13節)
(4)ことばの受肉(14~18節)
ヨハネの福音書の前書きについて学ぶ。
Ⅰ.受肉前のことば(1~5節)
1.1節
Joh 1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
(1)「初めにことばがあった」
①創世記1章1節の「はじめに」よりも前に遡る。
②「初めに」とは、被造物が何も存在しなかったときのことである。
③「ことば」は、永遠の昔から存在しておられた。
(2)「ことば」は、ギリシア語で「ロゴス」、アラム語で「メムラ」である。
①タルグム(旧約聖書のアラム語訳)では、神を「メムラ」と訳している。
②ヨハネは、「メムラ」ということばをギリシア語の「ロゴス」と訳した。
③1節後半で、ヨハネは、「ことばは神であった」と宣言する。
④「ことば」は神であるだけでなく、神の本質の表現でもある。
*「ことば」は、神が人類に知らせたいと思っておられることを表現する。
(3)「ことばは神とともにあった。ことばは神であった」
①「ことば」は、神とは区別されるお方である。
②と同時に、「ことば」は、神である。
③聖書の神が三位一体の神であることが啓示されている。
④子なる神は、父なる神や聖霊なる神とは区別されるお方である。
(4)イエスとは誰か。
①ユダヤ人にとっては、イエスは神だというのは、神への冒涜である。
②ギリシア人にとっては、神が人となられたというのはあり得ないこと。
③信じる者にとっては、神が人となられたというのは、福音である。
2.2~3節
Joh 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
Joh 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
(1)「この方は、初めに神とともにおられた」
①「ことば」は神になったのでなく、初めから神である。
(2)今存在しているもので、「ことば」が創造しなかったものはひとつもない。
①「ことば」は、父なる神の御心に従って創造のわざに参加された。
②宇宙は、三位一体の神の作品として、「神の栄光」を表している。
③大自然の中に神の栄光を見る人は、幸いである。
3.4~5節
Joh 1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
Joh 1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
(1)ヨハネの福音書のメインテーマは、「イエスは神の子」というものである。
①サブテーマと呼ばれるものが、いくつかある。
②「光と闇の戦い」、「信仰と不信仰」など。
③闇に打ち勝つ光とは、人となられた「ことば」のことである。
④このお方に、人類の希望がかかっている。
⑤創造主であるお方は、私たちが抱えるいかなる問題よりも大きい。
⑥イエスに従う者は、闇の中でつまずくことはない。
(2)ヨハネは、光と闇の戦いを、肯定文と否定文で表現している。
①光の勝利は、十字架の死によってもたされる。
②6節に入ると、ヨハネが神から遣わされた人として紹介される。
③しかし、彼は光ではなく、光について証言するために遣わされた人である。
Ⅱ.バプテスマのヨハネの証言(6~8節)
1.6節
Joh 1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
(1)バプテスマのヨハネは、闇の世界に光を紹介した人である。
①彼は、神から遣わされた人である。
②彼は、旧約聖書の系譜に属する預言者である。
③彼は人であるが、「ことば」は神である。
④彼は、メシアの先駆者である。
⑤彼は、奉仕者のモデルである。
(2)使徒ヨハネは、バプテスマのヨハネとは言わないで、単にヨハネという。
①自分のことは、「イエスが愛された弟子」(ヨハ21:20)と呼ぶ。
2.7~8節
Joh 1:7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
Joh 1:8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
(1)ヨハネが遣わされた目的は、「光について証しするため」であった。
①強調点がくり返される。「証しするために来た」
②彼が奉仕者のモデルである理由は、この点にある。
③奉仕者の使命は、キリストを証しすることである。
(2)その結果、すべての人が信じるためであった。
①これは、使徒ヨハネがこの福音書を書いた目的でもある。
Ⅲ.まことの光の到来(9~13節)
1.9節
Joh 1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
(1)この聖句は、「ことば」の受肉を意味している。
①「すべての人を照らす」とは、普遍的救いのことではない。
②「世」とは、悪魔の支配下にある罪の世である。
③イエスは、信じる人に救いをもたらす。
④イエスは、罪について、裁きについて、人に教える。
2.10~11節
Joh 1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
Joh 1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
(1)人々は、この方を知らなかった。
①人々は、悪魔の支配下にあり、霊的に盲目である。
②それゆえ、この方が創造主であることを認識できない。
③ヨハ12:37
Joh 12:37 イエスがこれほど多くのしるしを彼らの目の前で行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。
(2)契約の民イスラエルでさえも、この方を受け入れなかった。
①彼らは、この方が神から送られた啓示であることを拒否した。
②彼らは、この方の教えに敵対した。
3.12~13節
Joh 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
Joh 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
(1)しかし、不信仰は普遍的な現象ではなかった。
①この方を信じる人々も出た。
②彼らは、「その名を信じた」ので、救われた。
*イエスの本質(救い主であること)を信じた。
③救いとは、神の子どもとなる特権を与えられることである。
④人は、信仰による新生体験を経て、神の子どもとされる。
(2)新生体験はどのようにして可能になるのか。
①血統によるのではない。
*親の信仰によって子どもが救われるわけではない。
②本人の意志の力によるのでもない。
*同意することは必要である。
③他者の意志の力によるのでもない。
*説教者が人を救えるわけではない。
④聖霊の働きによって、人は新生する。
*伝道する際には、聖霊が働いてくださるように祈る必要がある。
Ⅳ.ことばの受肉(14~18節)
1.14節
Joh 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(1)神が、目に見える形でご自分を啓示される場合がある。
①キリスト教神学では、この現象を「神の顕現(theophany)」と呼ぶ。
②ユダヤ教のラビたちは、同じ現象をヘブル語で「シャカイナ」と呼ぶ。
*神の顕現は、栄光の光を伴っていることが多い。
*「シャカイナグローリー」ということばが用いられるようになった。
(2)旧約では、シャカイナグローリーは、光、火、雲などとして現れている。
①出40章では、至聖所にシャカイナグローリーが宿った。
②この時以来、神はイスラエルの民の間に宿られた。
③シャカイナグローリーは、その現れである。
④ところが、エゼ8~11章で、そのシャカイナグローリーが神殿を去った。
⑤イエスの誕生まで、シャカイナグローリーが民の間に宿ることはなかった。
(3)イエスの誕生とともにシャカイナグローリーが戻って来た。
①「住まわれた」は、スケイネイというギリシア語である。
②直訳すると、「幕屋を張られた」となる。
③イエスの肉体の内にシャカイナグローリーが宿ったのである。
④この光は、肉体によってさえぎられ、外に輝き出ることはなかった。
⑤人間イエスが、通常のユダヤ人男性と同じ姿であったのはそのためである。
⑥例外的に、その栄光が輝き出たことがあった。
*3人(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)が、山の上でそれを目撃した。
*「私たちはこの方の栄光を見た」とは、変貌山の体験への言及である。
2.15節
Joh 1:15 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」
(1)ヨハネの証言
①イエスは、ヨハネの後に来られる方である。
*ヨハネのほうが約半年早く誕生し、イエスの先駆者となった。
②イエスは、ヨハネにまさる方である。
*イエスは、ヨハネよりも先におられた。
*イエスの永遠性が確認されている。
3.16~17節
Joh 1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
Joh 1:17 律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
(1)「律法の時代」は、シナイ契約が土台になっていた時代である。
①シナイ契約は、シャカイナグローリーの中で結ばれた(出24:1~11)。
②律法は、モーセを仲介者として与えられた。
(2)「恵みの時代」は、新しい契約(新約)が土台になる時代である。
①新しい契約は、イエスが血潮を流すことによって結ばれるものである。
②この真理を詳細に教えているのが、ヘブ8~10章である。
③イエスをメシアと信じることは、新しい契約にサインをすることである。
④イエスを信じた者は、神との契約関係に入ったのである。
⑤それゆえに私たちは、大胆に神の栄光の御座に近づくことができる。
4.18節
Joh 1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
(1)いまだかつて神を見た者はいない。
①シャカイナグローリーや【主】の使いを見ても、神を見たことにはならない。
②それらは、神が人に語りかけるために選ばれた一時的方法である。
(2)イエスは、神を解き明かされた。
①イエスは、ひとり子の神である。
②イエスを見た者は、神を見たのである。
③イエスの教えを聞いた者は、神の心を聞いたのである。
④イエスを知ることは、神の愛と計画を知ることである。
⑤ヨハ14:9
Joh 14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。
結論
1.情報の洪水
(1)入院と退院後の後遺症の苦しみ
(2)しばらくの間、情報収集から遠ざかっていた。
(3)現代人の3つの恐れ
①時代遅れになる恐れ
②「ノイズ」なのか「本質的なこと」なのか見分けがつかない恐れ
③「偽情報」なのか「真実」なのか見分けがつかない恐れ
2.解決策
(1)イエスを見た人は、神を見たのである。
(2)イエスを信じた人は、真理を知ったのである。
(3)イエスを信じた人は、光の中を歩んでいるのである。
(4)「情報」は、三歩遅れでフォローすればよい。
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