私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q214 救いは、死んだ時に明らかになるのですか。
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何も良い行いをしてないし、むしろ御心にかなったことを何一つしてない私。福音の三要素は信じてるけど、本当にこんなんで大丈夫・・・? そう思ってしまう方は結構多いようです。
でも、神が与える救いの確かさは、人間の不確かさによって左右されるようなものでしょうか?! さっそく解説をご覧ください。
214 救いは、死んだ時に明らかになるのですか
Q:私は、「福音の三要素」を信じています。しかし、自分が救われているという確信がありません。救われているかどうかは、死んでから明らかになるのではないでしょうか。私は、信じた後の生活次第で救いが決まると思っています。この考え方は、間違っているでしょうか。
A:これに類似した質問をよく受けます。これは、聖書的キリスト教とは何かを問う非常に重要な質問です。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、これは「信仰のみによる救い」か、「信仰+行いによる救い」か、という問いです。
これは、宗教改革が起る原因となったテーマです。つまり、プロテスタント教会がカトリック教会から離れる原因となったテーマです。また、聖書的キリスト教と異端的キリスト教を区別するための基準となるテーマでもあります。どちらの道を選ぶかによって、それ以降の信仰生活が全く違ってきます。
2番目に、これはパウロの教えか、ヤコブの教えか、という問いです。
パウロは一貫して、信仰のみによる救いを教えています。これを信仰義認と言います。ところが、ヤコブの手紙2章24節には、パウロの教えと矛盾するような教えが出て来ます。「人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう」。これをどう考えたらよいのでしょうか。
この聖句を、文脈を押さえながら吟味すると、実は、パウロの教えとヤコブの教えの間に矛盾はないということが分かります。ヤコブは、本物の信仰であるかどうかは、信じた後に現れる「信仰の実」によって分かると教えているのであって、信仰のみによる救いを否定しているわけではありません。結論的には、パウロの教えとヤコブの教えは、一致しています。
3番目には、これは聖書の教えか、人間の判断か、という問いです。
救いは、恵みにより、信仰によって与えられます。つまり、救いのために人間が貢献できるものは何もないということです。これが聖書の教えです。しかし人間は、そんな「虫のいい話」を信じることは出来ない、自分も努力して良い人間に近づくことが救いを確定させる方法だと思ってしまいます。もしそうなら、救いは神からの賜物ではなくなります。「信仰+行いの救い」が正しいと思っているなら、その人はまだ救われていません。なぜなら、神のことばを疑っているからです。神を信用しないことが、罪の根源です。
人は、信仰のみによって救われます。これが、キリスト教を他の宗教から別つ最大の特徴です。
参考になる聖句
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です」(エペ2:8)
人は、信仰のみによって救われます。
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