私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.50 自殺について、聖書はどう教えているのですか?
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聖書にも、自殺願望を抱いた人たちが登場します。かの有名なソロモン王や、偉大な預言者エリヤでさえも「私は生きていることを憎んだ」などと語りました。この回では、自殺や生死に関する聖書箇所をいくつか開いてみます。
Q.50 自殺について、聖書はどう教えているのですか?
Q. 質問
私の友人に、自殺願望のある人がいます。よく、自殺は聖書的には罪だと耳にしますが、詳しくはわかりません。聖書は自殺についてどう教えているのでしょうか。
A. 回答
いつものように3つ申し上げます。
1番目に、人がいつどのようにして死ぬかを決めるのは、神です。
なぜなら、命は「神からの賜物」だからです。プレゼントです。ヨブ記1章21節には、こういう有名なことばが書かれています。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)
2番目に、そこから出てくる当然の結論はこれです。自殺は、神の権威への挑戦です。
自殺というのは、聖書的には殺人です。加害者と被害者が同じだというだけで、これが殺人であることに変わりはありません。ですから、自殺は「罪」です。
さらに、自殺は周囲の人たちに、「癒しがたい傷」を残します。愛する者を自殺で失った人たちの悲しみは、いかばかりでしょうか。悲しむだけでなく、自責の念に駆られる人も出て来るでしょう。
3番目に、聖書には「自殺願望」を抱いた人たちが登場します。
例えば、ソロモンという王様が、このように言っています。
「私は生きていることを憎んだ」(伝道者の書2:17)
ソロモンは、全ての富や名声を手に入れた後、空しくなって、「もう生きているのが嫌になった」と言っているのです。
預言者エリヤという人もこのように言っています。
「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから」(列王記第一19:4)
エリヤの場合は、「燃え尽き症候群」ですね。彼は、勝利した後、虚脱感に襲われたのです。
ソロモンとエリヤは自殺願望を持ったのですが、幸いなことに、自殺しませんでした。エリヤの場合は、休息を与えられ、食物を与えられ、そして同僚、つまり友人を与えられたのです。ソロモンの場合は、空しさの彼方に何を見たかというと、「神を恐れること」です。人生というのは、神を恐れ、神とともに生きるところに意味があるのだということを、学んだわけですね。
今、このメッセージを聴いている皆さんの中にも、自殺の可能性を考えている方、あるいはそれが頭をよぎっている方がいるかもしれません。申し上げたいのは、私たちには「選択肢は1つしかない」ということです。「生きることを選ぶ」、「命を選ぶ」ということです。そう決断したなら、必ず「逃れの道」が用意されます。
ですから、聖書を開いてください。教会の扉をノックしてください。イエス・キリストというお方が、あなたを助けてくださいます。「命」を選びましょう。
参考になる聖句
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」(詩篇139:13)
「母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない」(伝道者の書5:15)
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