私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(97)—2度目の受難予告—
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2つのパラドックスについて考えてみる。
「2度目の受難予告」
§088 マコ9:30~32、マタ17:22~23、ルカ9:43~45
1.はじめに
(1)文脈の確認
①山頂体験と麓の体験
②ものを言えなくする悪霊の追い出し
③人々の驚き
④そのタイミングで、イエスは弟子たちに2度目の受難予告をされる。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「2度目の受難の予告」(§88)
マコ9:30~32、マタ17:22~23、ルカ9:43~45
2.アウトライン
(1)問題の発生
(2)イエスのことば
(3)その結果
3.結論:パラドックスに関する考察(自己矛盾を起こす命題)
(1)第1のパラドックス
(2)第2のパラドックス
(3)すべてが知らされていないことの祝福
2つのパラドックスについて考えてみる。
Ⅰ.問題の発生 (ルカ9:43)
「人々はみな、神のご威光に驚嘆した。イエスのなさったすべてのことに、人々がみな驚いていると、イエスは弟子たちにこう言われた」 (43節)
1.イエスは悪霊の追い出しを行った。
①それを見た人々は、神の威光が示されたと解釈した。
②人々はみな、イエスの力に驚いた。
2.人々が、イエスを政治的メシアとして祭り上げる危険性があった。
①弟子たちも、一般民衆の熱狂に巻き込まれている。
②しかしイエスは、十字架に向かって歩み始めている。
3.ルカは、人々の熱狂と、受難の予告を、並べている。
Ⅱ.イエスのことば (44節)
「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます」 (44節)
1.弟子たちの頭を冷やす必要があった。
「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい」
(1)日本語には、「あなたがた(ヒューメイス)」という言葉が訳出されていない。
①原文では、「あなたがた」が強調されている(置かれた位置で分かる)。
②他の人たちがどのような評価を下そうとも、あなたがたに関しては…。
(2)「しっかりと耳におさめておきなさい」とは、よく記憶せよという意味である。
2.耳におさめるべき真理とは何か。
「人の子は、いまに人々の手に渡されます」
(1)これは、2度目の受難の予告である。
①「人の子」とは、メシアの称号である。
②人の子は、いまに人々の手に渡される。
③「メレイ」というギリシア語が使われている。すぐに実現するという意味。
Ⅲ.その結果
「しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである。また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた」 (45節)
1.弟子たちは、このみことばが理解できなかった。
(1)ことばが通じなかったわけではない。
①その後の彼らの行動を見ると、ことばは通じている。
②しかし、彼らにはその意味が分からなかったのである。
2.理解できなかった理由は何か。
「このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである」
(1)訳文の比較
「しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、
わからないように、彼らから隠されていたのである」(新改訳)
「弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていた
のである」(新共同訳)
「しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟るこ
とができなかったのである」(口語訳)
(2)理解できなかった理由は、その意味が彼らから隠されていたからである。
①このパラドックスについては、結論で取り上げる。
3.彼らは、質問することを恐れた。
(1)自分たちの不安が的中することを恐れたのであろう。
①イエスの変貌を目撃した3人(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)は、その意味を理解
し始めていたのであろう。
②他の9人の理解は、まだその段階には至っていない。
(2)この箇所でも、一部見えていて、一部見えていないというテーマが続いている。
結論
はじめに:パラドックスとは、自己矛盾を起こす命題である。
「矛と盾」を売る商人の故事(楚の国)
「I always lie.」
1.第1のパラドックス
(1)栄光と苦難というパラドックス
①変貌山でのペテロの経験
(2)人気と敵対というパラドックス
①麓での弟子たち全員の経験
(3)このパラドックスは、メシアの来臨が2度あることを理解することで解ける。
①初臨のメシアは、受難のメシアである。
②再臨のメシアは、栄光のメシアである。
2.第2のパラドックス
(1)イエスのことばと、ルカの記録
①イエスは「しっかりと耳に入れておきなさい」と命じた。
②ルカは、「このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていた
のである」と書いている。
(2)誰がこの真理を弟子たちから隠したのか。
①「弟子たちの頑固な姿勢が、彼らから真理を隠した」と考えられる。
*彼らは、栄光のメシアというイメージしか持っていなかった。
*その姿勢を、最後まで変えなかった。
②「神が、彼らから真理を隠した」とも考えられる。
*この場合は、弟子たちの責任は多少軽くなる。
③恐らく両方の要因が絡まっていたのであろう。
(3)このパラドックスは、地上生涯が続く限り存在する。
3.すべてが知らされていないことの祝福
(1)弟子たちがすべてを理解していたなら、彼らは逃げ出していたであろう。
「イエスは彼らに向かって言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持
ってわたしを捕らえに来たのですか。わたしは毎日、宮であなたがたといっしょにい
て、教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえなかったのです。しかし、こう
なったのは聖書のことばが実現するためです。』すると、みながイエスを見捨てて、
逃げてしまった。ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについ
て行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、
はだかで逃げた」(マコ14:48~52)
(2)後になって分かったことがある。
①イエスは、何が起こるかをすべて知っておられた。
②イエスは、自分の意志で、十字架にかかられた。
③ヨハ13:5~7
「それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる
手ぬぐいで、ふき始められた。こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来
られた。ペテロはイエスに言った。『主よ。あなたが、私の足を洗ってくださる
のですか。』イエスは答えて言われた。『わたしがしていることは、今はあなたに
はわからないが、あとでわかるようになります』」
*洗足は、霊的洗いを象徴している。
*洗足の霊的意味は、十字架と復活の後で分かるようになった。
(3)私たちへの適用
①将来のことは分からないので、生きるのは楽しい。
②分からないことがあるので、私たちは謙遜にさせられる。
③詩131篇は「知的謙遜の歌」である。
「【主】よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなこ
とや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和
らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離
れした子のように私の前におります。イスラエルよ。今よりとこしえまで【主】
を待て」 (詩131:1~3)
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