メシアの生涯(68)—たとえ話で教えるイエス—

  • 2013.07.15
  • マタイ13章:1〜3a、マルコ4章:1〜2、ルカ8章:4
  • スピーカー 中川健一
  • ハーベスト定例会
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このメッセージは、たとえ話群を理解するためのイントロダクションである。
(チャート資料「神の国」を添付してあります)

「たとえ話で教えるイエス」

§064 マコ4:1~2、マタ13:1~3a、ルカ8:4

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①ベルゼブル論争以降、イエスの奉仕の方法が変化した。

    ②イエスは、大衆伝道から弟子訓練に方向転換した。

    ③イエスの奇跡は、弟子訓練のためのものとなった。

    ④イエスの教えは、たとえ話が中心となった。

  (2)たとえ話の内容の解説に入る前に、理解しておくべき情報がたくさんある。

    ①メッセージの中の例話の役割:全体との関わりが重要である。

    ②マタ13章のたとえ話は、全体としてひとつのまとまりを持ったものである。

    ③その内容は、私たち異邦人にとって重要な意味を持つ。

    (3)「その日」(マタ13:1)

      ①ユダヤ人たちがイエスのメシア性を拒否した日

      ②イエスが血による関係を拒否し、信仰による関係を認めた日

      ③イエスの教え方が変化している。

      「すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。『なぜ、彼らにたとえでお

話しになったのですか』」(マタ13:10)

    (4)A.T.ロバートソンの調和表

      「最初の主要なたとえ話群‐イントロダクション‐」(§64)

2.アウトライン

  (1)たとえ話とは何か。

  (2)なぜたとえ話で語るのか。

  (3)一連のたとえ話の主要テーマは何か。

  3.結論:現代に生きる私たち異邦人クリスチャンにとって、どういう意味があるのか。

このメッセージは、たとえ話群を理解するためのイントロダクションである。

Ⅰ.たとえ話とは何か。

   1.ギリシア語で「パラボレイ」である。

      ①パラ+バロウ(そばに投げる、並べて置く)

      ②「2つのものを並べて置き、対比させる」という意味である。

  2.日常生活で起こる事例を取り上げ、霊的、道徳的真理を教えること。

      ①現実の体験(知っていること)と霊的真理(知らないこと)の対比である。

      ①寓話(寓喩)とは異なる。

      ②寓話の場合は、現実には起こらない内容が語られる。

  3.たとえ話の例として、3つのものを上げる。

    (1)直喩

    「天の御国は、からし種のようなものです」(マタ13:31)

「天の御国は、パン種のようなものです」(マタ13:33)

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです」(マタ13:44)

「天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです」(マタ13:45)

「天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです」

(マタ13:47)

  ①「〇〇のようなもの」という言葉があるので、対比が明確に分かる。

    (2)隠喩

    「わたしはいのちのパンです」(ヨハ6:48)

    「わたしは、世の光です」(ヨハ8:12)

    「わたしは、良い牧者です」(ヨハ10:14)

    「 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」(ヨハ15:5)

      ①「〇〇のようなもの」という言葉がないので、対比が隠されている。

      ②隠喩の方が直喩よりもパンチが効いている。

    (3)物語

      ①好例が、良きサマリヤ人のたとえ話である。

      ②再度言うが、現実の生活から取られた題材が語られる。

Ⅱ.なぜたとえ話で語るのか。

   1.群衆に対しては、霊的真理を隠すため。

      ①内容は、余りにも日常的で、当然のことである。

      ②それゆえ、霊的真理にまで思いが至らない。

  2.弟子たちに対しては、霊的真理を教えるため。

    (1)この教授法は、弟子たちにも理解が困難であった。

    「たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、

すべてのことを解き明かされた」(マコ4:34)

  ①弟子たちには、たとえ話の意味が内輪の話として解説された。

(2)ユダヤ人たちが「赦されない罪」を犯して以降、イエスの教え方は変化した。

  3.メシア預言の成就のため。

    (1)マタ13:34~35

    「イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何も

お話しにならなかった。それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。

『わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろ

う』」

     (2)イザ6:9~10

    「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』この

民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分

の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように」

Ⅲ.一連のたとえ話のテーマは何か。

   はじめに

    (1)一連のたとえ話は、まとまりのあるユニットとして理解する必要がある。

      ①バプテスマのヨハネもイエスも、神の国(天の御国)の到来について告げた。

      ②これは千年王国のことである。

      ③しかし、ユダヤ人たちはイエスのメシア性を拒否した。

      ④従って、神の国の計画は変更を余儀なくされた。

    (2)マタイが「神の国」ではなく「天の御国」という言葉を使う理由

      ①ユダヤ人たちは、神の御名を口にするのを嫌った。

      ②今でもこの習慣は続いている。

        *アドナイ、ハシェム、アドシェム、G-d

      ③「神の国」(Kingdom of God)と「天の御国」(Kingdom of Heaven)は、同じ意

味である。

    (3)マタ13:10~11

    「すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。『なぜ、彼らにたとえでお話し

になったのですか。』イエスは答えて言われた。『あなたがたには、天の御国の奥義を

知ることが許されているが、彼らには許されていません』」

      ①イエスがたとえ話によって語っているのは、「天の御国の奥義」である。

      ②「奥義」とは、旧約聖書には啓示されていなくて、新約聖書になって初めて啓

示された真理である。

③一連のたとえ話が扱っているテーマは、「奥義としての王国」である。

  *新約時代になって初めて啓示された王国なので、この名称が付けられた。

    (4)「神の国」の計画の全貌を理解する必要がある。

      ①「神の国」には、5つの異なった意味がある。

      「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加え

て、これらのものはすべて与えられます」(マタ6:33)

②この聖句の「神の国とその義」とは、なんのことか。

  1.永遠の王国―普遍的王国

    (1)神は常に、ご自身の権威をもって世界の流れを支配しておられる。

      ①神の御心から外れて何かが起こることは、あり得ない。

      ②神の御心には2種類ある。

        *積極的御心

        *消極的御心(アダムの堕落)

    (2)神の支配は、2つの面に及んでいる。

      ①時間的側面:永遠の王国

      ②空間的側面:普遍的王国

    (3)1歴29:11~12

    「【主】よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地に

あるものはみなそうです。【主】よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのもの

の上に、かしらとしてあがむべき方です。富と誉れは御前から出ます。あなたはすべ

てのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべ

てが偉大にされ、力づけられるのです」

  2.霊的な王国

    (1)信者の心に神の支配が宿っていることである。

      ①アダムから歴史の終わりに至るまでの、すべての信者を含む概念である。

      ②信者以外の者は含まれていない。

    (2)霊的な王国と教会の関係

      ①今の時代は教会時代である。

      ②この時代においては、霊的な王国と教会とは同じ意味である。

      ③しかし、霊的な王国は、教会がなくても存在する。

        *ペンテコステと携挙の間だけ、霊的な王国と教会が合致する。

        *この場合の教会とは、地域教会ではなく、普遍的教会である。

      ④霊的な王国は、永遠の秩序にまで及ぶ。

    (3)マタ6:33

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、

これらのものはすべて与えられます」

  3.神政政治の王国

    (1)イスラエルに対する神の支配のことである。

      ①シナイ山でモーセの律法を受けた時に、これが設立された。

      ②この時点で、イスラエルの民からイスラエルという国に変化した。

    (2)初期の段階

      ①神は、仲介者を通してイスラエルを支配した。

      ②モーセ、ヨシュア、士師たち、最後にサムエル

    (3)後期の段階

      ①ダビデの家を通してイスラエルを支配した。

      ②ゼデキヤが最後の王となった(バビロン捕囚)。

      ③神政政治の王国の崩壊と、預言者の活動には相関関係がある。

        *預言者たちは、「メシア的王国」について預言するようになった。

    (4)異邦人の時代

      ①神政政治の王国が崩壊して以降、異邦人の時代に入った。

      ②イエスがダビデの家の王として王座に着くまで、異邦人の時代が続く。

    (5)聖句

①聖書箇所は、出20章から2歴36章まで。

  4.奥義としての王国

    (1)ユダヤ人によるメシア拒否から始まり、メシアの受容で終わる。

①旧約聖書に預言されていなかったので、「奥義」である。

    (2)真の信者と偽りの信者を含む。

      ①キリスト教世界という言葉がもっともふさわしい。

      ②英語で「Christendom」という。

      ③キリスト教圏の国々を指す言葉である。

      ④教会にも、聖書的教会と真理から逸脱した教会がある。

    (3)メシアが王として再臨されるまでの地上の状態を描写している。

      ①一時的な王国である。

      ②麦と毒麦がともに成長する。

    (4)聖句

      ①エペ3:1~10

      ②コロ1:25~27

    (5)一連のたとえ話は、奥義としての王国のさまざまな側面を描写するものである。

  5.メシア的王国(千年王国)

    (1)メシアの再臨後に、地上に成就する。

      ①ダビデの家の王として、メシアがエルサレムから世界を直接統治する。

      ②メシア的王国は、旧約聖書の預言のピークである。

    (2)黙20:6

    「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、

第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリス

トとともに、千年の間王となる」

結論:現代に生きる私たち異邦人クリスチャンにとって、どういう意味があるのか。

  1.励まし

  (例話)ゴラン高原に上る道路。上には、見晴し台がある。

  2.展望

      ①奥義としての王国は一時的。

      ②千年王国が到来する。

      ③霊的な王国は永遠に続く。

  3.伝道の動機

      ①千年王国の市民となる祝福

      ②霊的な王国に参加することの祝福

      ③この祝福に入る唯一の方法は、回心による霊的新生である。

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