60分でわかる旧約聖書(3)「レビ記」

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レビ記を通して、神に近づく方法について学ぶ。

60 分でわかる旧約聖書( 3 )「レビ記」

1.はじめに

(1)創世記、出エジプト記に続いてレビ記を取り上げる。

①旧約聖書の最初の五書は、本来は「ひとつの書」として書かれたものであ

る。

②著者はモーセである。

*カナンの地に入国する前のイスラエル人のために書いた。

*彼らは、イスラエルの歴史や出エジプトの歴史を知らない世代である。

*何のためにカナンの地で生きるのかを知らなければならない。

 

(2)文脈の確認

①創世記は、人類の罪と、その罪に対する裁きについて教えている。

②出エジプト記は、エジプトの束縛からの贖いの書である。

*イスラエルの民は、神と契約を交わした。

*イスラエルの民には、幕屋と祭儀が与えられた。

*イスラエルの民は、神の宝の民、聖なる国民、祭司の国である。

③レビ記は、聖い神との交わりを維持する方法を教えている。

 

(3)レビ記という名称

①ヘブル語聖書「ヴァイカラ」(And He called)

②七十人訳「Λευιτικόν」

③英語訳「Leviticus」(レビ人に関する事項という意味)

④ヘブル語の別名「トーラ・コハニム」(祭司たちの律法)

⑤幕屋と祭儀法を正しく運用するための祭司のマニュアルである。

⑥聖なる国民、祭司の国として、いかに生きるべきかを教えている。

 

(4)レビ記の特徴

①聖書の中で最も難解な書である。

②レビ記ほど、神が直接語っておられる書は他にはない(幕屋の中から)。

③レビ記の中には、キリストの型が多く登場する。

④ヘブル人への手紙と並行して読むと、祝福は大きい。

 

2.アウトライン

(1)罪の処理のためのささげ物(1~10章)

(2)汚れからの分離の命令(11~24章)

(3)祝福の約束(25~27章)

 

3.結論

(1)レビ17:11

(2)ヘブ10:1~18

(3)1ヨハ1:5~10

 

レビ記を通して、神に近づく方法について学ぶ。

Ⅰ.罪の処理のための捧げ物( 1 10 章)

1.ささげ物(1~7章)

(1)「ささげ物(コルバーン)についての規定」

①ささげ物とは、「自発的なささげ物」のことである。

②1:3〜6:7までは、ささげる人の視点から見た「ささげ物に関する規定」。

③6:8〜7:36は、祭司の視点から見た「ささげ物を取り扱う際の規定」。

 

(2)5種類のささげ物

①全焼のいけにえ

*口語訳は「燔祭」、新共同訳は「焼き尽くす献げ物」と訳してい

る。

*「全焼のいけにえ」と呼ぶのは、すべて祭壇の上で焼かれるから。

*神の怒りを取り除くという意味がある。

*ささげる者の信仰を見て、神は満足される。

②穀物のささげ物

*口語訳は「素祭」、新共同訳は「穀物の献げ物」と訳している。

*血の伴わないささげ物である。

*通常は、血の伴った「全焼のいけにえ」に続いてささげられていた。

*罪の赦しを受けた者が、神の恵みに感謝してささげる物である。

*礼拝者から神への「贈り物」である。

③和解のいけにえ

*口語訳は「酬恩祭」、新共同訳は「和解の捧げ物」と訳している。

*感謝を表わす場合。祈りが答えられたことへの感謝(レビ7:12〜15)。

*誓願、特にナジル人の誓願が完了した場合(使21:23〜26)。

*自発的にささげる場合、何か予期せぬ良いことがあった場合など。

*大動物は牛、小動物は羊ややぎ。

*全焼のいけにえの場合とは異なり、鳥は含まれていない。

*和解のいけにえは、後で宴会の食事として用いられる。

④罪のためのいけにえ

*口語訳は「罪祭」、新共同訳は「贖罪の捧げ物」と訳している。

*無知や不注意から罪を犯した場合にささげる物(民15:22〜31)。

*誰が罪を犯したかによって、4つに区分される。

・油注がれた祭司、つまり、大祭司の場合(4:2〜12)

・イスラエルの全会衆の場合(4:13〜21)

・上に立つ者の場合(4:22〜26)

・一般の人の場合(4:27〜35)

⑤罪過のためのいけにえ

*口語訳は「愆祭(ケンサイ)」、新共同訳は「賠償の献げ物」と訳してい

る。

*損害を与えた人に対して賠償するように命じられている。

・主の聖なるものに対する罪

・主の戒めに対する違反

・隣人に対する不正の罪

 

2.祭司の任命(8~10章)

(1)祭司とささげ物の両方があって、神の前に受け入れられる聖いいけにえをさ

さげることが可能になる。

①最初の大祭司になるのは、アロンである。

②アロンの4人の息子たちは、普通の祭司となる。

③以後、祭司職はアロンの家系から出ることになる。

 

(2)水によるきよめ

①アロンとその子たちが、祭司の装束を着ける前に、水で体を洗う。

 

(3)油による聖別

①幕屋とその中にあるすべてのものに油がそそがれた。

②祭壇とその用具全部、また洗盤とその台に油がそそがれた。

③アロンの頭に油がそそがれた。

④大祭司を「油そそがれた祭司」(4:3、5、16、6:22、出30:30)と呼ぶ。

 

(4)シャカイナグローリーが天からの火という形で現れた。

①天からの火が、全焼のいけにえを焼き尽くした。

②神が、アロン的祭司制度を承認された。

 

Ⅱ.汚れからの分離の命令( 11 24 章)

1.聖なる国民(11~20章)

(1)食物規定

①聖なる民がどのような食生活をすればよいのかが教えられる。

②道徳的、倫理的なきよさや汚れに関する教えではない。

③これは、祭儀的なきよさと汚れを扱ったものである。

④モーセの律法が与えられる前から、ささげ物に関しては、きよい動物と汚

れた動物の区別はあった。

⑤食物としての規定は、レビ記にはいってから与えられたものである。

 

(2)その他の規定

①出産後の母親のきよめ

②伝染性皮膚病

③個人的なけがれ(男女別)

 

(3)贖罪の日

①第7月の10日

②これまでのささげ物は、個人の罪を贖うためのものであった。

③贖罪の日のささげ物は、イスラエルの民全体の罪を贖うためのものである。

④この儀式によって罪が贖われたと信じた者にのみ、効力を発揮した。

⑤アロンは2頭の山羊のためにくじを引く。

⑥1頭は「【主】のため」、もう1頭は「アザゼルのため」。

⑦「アザゼル」は、レビ記16章に3回出てくるだけで、意味は明確ではない。

*基本的な意味は、「解き放つ」ということである。

⑧「【主】のため」の山羊は、「罪のためのいけにえ」としてささげられる。

⑨「アザゼルのため」の山羊は、荒野に放たれる。

 

(4)分離のための規定

①異教的な習慣の排除

②禁止されている性行為のリスト

*この中に、同性愛の禁止がある。「忌み嫌うべきこと」

③神への畏れ

④隣人愛の勧め

⑤神の民として、偶像礼拝を避ける。

 

2.聖なる祭司(21~22章)

(1)幕屋で仕える祭司には、一般の人々よりも厳しい基準が要求された。

①死体に触れてはならない。

*誤って死体に触れることのないように、墓を白く塗るようになった。

②汚れた女(遊女や神殿娼婦)、離婚した女と結婚してはならない。

 

(2)大祭司の場合は、一般の祭司よりもさらに厳格な規定が適用された。

 

3.聖なる祭り(23~24章)

(1)7つの例祭のうち、最初の4つは春の例祭、後の3つは秋の例祭である。

①その間に、約4ヶ月の例祭のない期間が入る。

②春の4つの例祭は、50日の間にやってくる。

③秋の3つの例祭は、2週の間にやってくる。

 

(2)これらの例祭はメシア(キリスト)の生涯を予表したものとなっている。

①春の例祭はメシアの初臨を、秋の例祭はメシアの再臨を予表している。

②中間期は、教会時代を予表している。

 

Ⅲ.祝福の約束( 25 27 章)

1.安息年の規定(25章)

(1)この規定は、約束の地に入ってから実行すべきものである。

①6年間は畑を耕作し、種を蒔き、作物を育てて収穫する。

⑦しかし、7年目には土地を休ませる。

 

(2)安息年の規定が与えられている理由

①土地は神の所有であり、収穫は恵みによるものであることを覚えるため。

②土地そのものを休ませるため。

③負債を負っている人を解放するため。

*奴隷になっている場合は、奴隷状態から解放された(申15:1〜11)。

 

2.従順への祝福(26章)

(1)3つの基本を覚えていれば、主に忠実に歩むことができる。

①偶像礼拝の禁止

②安息日の遵守

*安息日、7年ごとの安息年、49年に1回巡って来るヨベルの年

③聖所を恐れること

*献げ物や祭司の規定を含めた【主】の礼拝に関わるすべてのこと。

 

(2)契約の民であるがゆえに、従順が要求される。

 

3.誓約に関する律法(27章)

(1)27章は、補足説明に当たる章で、「誓願」に関する律法が付け加えられる。

①誓願とは、神が自分の願いを聞き届けてくださった時に、ある献ささげ物

をすると約束すること(創世記28:20のヤコブの例)。

②物ではなく人身を献げると約束する場合もある。

*預言者サムエルの母ハンナの例(1サム1:11)

③自分自身を献げると約束する場合もある。

 

(2)誓願に関する原則

①強制されるものではなく、あくまでも個人の自由意志で行なう。

②誓願は、軽々しくすべきものではない(箴言20:25)。

③いったん誓願をした場合は、それを守らねばならない(申23:21)。

 

結論

1 .レビ 17 11

Lev 17:11 なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。

1 )「血」そのものに、人のいのちを贖う力が内在しているわけではない。

2 )神は、人のいのちを贖うための手段として「血」を選ばれた。

3 )血の働きによって、生命活動が維持されている。

4 )それゆえ、「肉のいのちは血の中にある」と言われているのである。

5 )動物の血を流すことは、そのいのちを犠牲にすることである。

6 )「血」は、「いのちによっていのちを贖う」という神の計画を教えるための

手段となった。

7 )「血を食してはならないという規定」は、輸血を禁止したものではない。

 

2 .ヘブ 10 1 18

Heb 10:1 律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。

Heb 10:2 もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。

Heb 10:3 ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。

Heb 10:4 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。

Heb 10:5 ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。/「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、/わたしのために、からだを造ってくださいました。

Heb 10:6 あなたは全焼のいけにえと/罪のためのいけにえとで/満足されませんでした。

Heb 10:7 そこでわたしは言いました。/『さあ、わたしは来ました。/聖書のある巻に、/わたしについてしるされているとおり、/神よ、あなたのみこころを行うために。』」

Heb 10:8 すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ ( すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物 ) を望まず、またそれらで満足されませんでした」と言い、

Heb 10:9 また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。

Heb 10:10 このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。

Heb 10:11 また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。

Heb 10:12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、

Heb 10:13 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。

Heb 10:14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。

Heb 10:15 聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。

Heb 10:16 「それらの日の後、わたしが、/彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、/主は言われる。/わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、/彼らの思いに書きつける。」/またこう言われます。

Heb 10:17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」

Heb 10:18 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。

1 )旧約のいけにえは、一時的に罪を覆うだけで、罪を除き去ることができない。

2 )それらのいけにえは、キリストのいけにえを予表している。

3 )今やキリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげ、神の右の座に

着座しておられる。

4 )私たちの心には、新しい律法が書かれている。

 

3 1 ヨハ 1 5 10

1Jn 1:5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。

1Jn 1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。

1Jn 1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

1Jn 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。

1Jn 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

1Jn 1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

1 )光である神と交わるためには、自ら光の中を歩む必要がある。

2 )レビ記の祭儀法は、今の私たちには適用されない。

3 1 ヨハ 1 9 の約束は、現代のレビ記の規定である。

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