使徒の働き(100)―使徒の働きとパウロ書簡―

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パウロ書簡を執筆順に並べ、内容を確認する。10

「使徒の働きとパウロ書簡」
使徒 28:30~31

 

1.その後のパウロ
(1)使 28:30~31
Act 28:30 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみ な迎えて、
Act 28:31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストの ことを教えた。

 

①ローマでの 2 年間の軟禁生活の後、パウロはどうなったのか。
*2 年後に解放され、ローマを追放された。
*その後、巡回伝道を再開した(これを第 4 回伝道旅行と呼ぶ人もいる)。
*2 テモ 4:20 は、パウロが解放されて以降の状況を述べたものである。

2Ti 4:20 エラストはコリントにとどまり、トロピモは病気のためにミレトに残して来まし た。

②教会史家エウセビオス(紀元 340 年頃死亡)は、こう記している。
*パウロは、解放されて後、伝道を再開した。
*ローマを 2 度目に訪れた際に投獄され、殉教の死を遂げた。
③初期の教会教父たちは、パウロがスペインを訪問したと書いている。

 

2.使徒の働きとパウロ書簡関係
(1)使 1:8
Act 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そし て、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

①パウロは、福音を地の果てまで伝えたキリストの証人である。
②彼は、伝道しながら、諸教会や個人宛に手紙を書いた。

 

(2)パウロ書簡を執筆順に並べてみる。

①宛先、②執筆場所、③執筆の経緯、④内容

 

パウロ書簡を執筆順に並べ、内容を確認する。

 

1.ガラテヤ人への手紙
(1)宛先

①ガラテヤ地方の複数の教会(ガラテヤ地方とは今のトルコである)。

(2)執筆場所

①第 1 次伝道旅行の後、アンテオケで執筆したと思われる。
②タイミングは、エルサレム会議の前である。
③紀元 48 年頃

(3)執筆の経緯

①パウロは、第 1 次伝道旅行でこの地方に複数の教会を設立した。
*ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベの諸教会
②これらの教会を、ユダヤ主義者と呼ばれる人々が訪問した。
③パウロは、ユダヤ主義者の教えを論破するために、この書簡を書いた。
④ちなみに、ガラテヤ書は、宗教改革の土台となった書簡である。

(4)内容

①キリスト者の自由の「マグナ・カルタ」(大憲章)だと言われる。
②3 つのポイントがある。
*個人的弁明:パウロの使徒職
*教理的教え:信仰義認
*実践的教え:キリスト者の自由

 

2.テサロニケ人への手紙第一
(1)宛先

①テサロニケの教会

(2)執筆場所

①第 2 次伝道旅行のときに、パウロはコリントに 18 ヶ月間滞在した。
②その間に、コリントからこの書簡を書き送った。
③紀元 51 年頃

(3)執筆の経緯

①パウロは、第 2 次伝道旅行でテサロニケを訪問し、そこに教会を設立した。
②ユダヤ人による迫害のために、そこを急に去ることになった。
③相当な量の教理を教えたが、まだ完了したわけではなかった。
④若い教会を励まし、教育するために、2 通の手紙を書いた。

(4)内容

①個人的な内容
*教会の誕生と成長の経緯
②実践的教え
*携挙と終末への備え
*教会生活
*個人的生活

 

3.テサロニケ人への手紙第二
(1)宛先

①テサロニケの教会

(2)執筆場所

①第 2 次伝道旅行のときに、パウロはコリントに 18 ヶ月間滞在した。
②その間に、テサロニケ教会宛に 2 つの書簡を執筆した。
③紀元 52 年頃

(3)執筆の経緯

①第一の手紙を届けた人が、テサロニケ教会の情報を持ち帰った。
*その中には、よい情報と悪い情報が含まれていた。
②そこでパウロは、第二の手紙を執筆する必要性を覚えた。
③第二の手紙は、約 1 年後に書かれたと思われる。

(4)内容

①迫害に遭っている人たちへの励まし
②終末に関する神の計画
*聖徒たちは終末論に関して混乱していた。
*「主の日」(患難時代)はまだ来ていない。
③実践的教え(教理の適用)
*無責任な生き方をする者たちがいた。

 

4.コリント人への手紙第一
(1)宛先

①コリントの教会

(2)執筆場所

①第 3 次伝道旅行のときに、パウロはエペソに 3 年間滞在した。
②の間に、コリント人への手紙第一を執筆した。
③紀元 55 年頃

(3)執筆の経緯

①コリントは、アカヤ州の首都、帝国内で 4 番目に大きな町、堕落した町。
②コリント教会から使いが来て、パウロの助言を求めた。
③この手紙は、地域教会が直面する諸々の課題について書かれた書簡である。
④パウロは、位置的聖化を、実際的聖化に高めようと努力した。

(4)内容

①罪の叱責
*分裂、罪に対する懲戒、裁判の問題、性的放縦の問題
②質問に対する回答
*結婚、偶像に捧げた肉、礼拝における秩序
*聖霊の賜物、復活、献金

 

 

5.コリント人への手紙第二
(1)宛先

①コリントの教会

(2)執筆場所

①第 3 次伝道旅行のときに、マケドニア(恐らくピリピ)で書かれた。
②紀元 57 年頃

(3)執筆の経緯

①テトスは、第一の手紙が送られて以降のコリント教会の情報を持って来た。
*良いニュース:罪を犯した人は霊的に回復した。
*残念なニュース:エルサレムの貧しい聖徒たちに献金を送っていない。
*悪いニュース:偽教師たちが、パウロの使徒職を否定している。
②そこでパウロは、第二の手紙を書いた。

(4)内容

①懲戒を正しく実行したことへの褒め言葉
②パウロの動機を疑う者たちへの応答
③エルサレムの聖徒たちへの献金
④パウロの使徒職を疑う者たちへの応答

 

 

6.ローマ人への手紙
(1)宛先

①ローマの教会

(2)執筆場所

①第 3 次伝道旅行の終りごろ、コリント滞在中(使 20:2~3)に書かれた。
②紀元 57 年頃

(3)執筆の経緯

①パウロは、エルサレム教会に異邦人の諸教会からの献金を届けようとしていた。
②その後で、スペインに行こうと思っていた。
③3 つの執筆目的
*自らの神学をまとめるため(最初の組織神学の書である)
*スペイン伝道の支援を求めるため
*ローマ教会の中にあったユダヤ人信者と異邦人信者の葛藤を解決するため

(4)内容

①福音とは何か。
②罪人は、どのようにして義とされるのか。
③義認は、どのような祝福をもたらすのか。
④信者はなぜ、律法主義に陥るのか。
⑤どのようにしたら清い生活を送ることができるのか。
⑥ユダヤ人は、神から見捨てられたのか。
⑦では、いかに生きるべきか。

 

 

7.エペソ人への手紙
(1)宛先

①エペソの教会(回覧書簡である)

(2)執筆場所

①パウロがローマの獄中にあった時に書かれた書簡である。
②紀元 60~61 年頃

(3)執筆の経緯

①獄中書簡と呼ばれるものが、4 つある。
*エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン
②パウロは、獄中にあって 4 つの重要な書簡を書いた(時間的余裕があった)。
③エペソ人への手紙は、教会論の書である。

(4)内容

①教理的部分
*教会は、新しいひとりの人である。
*教会は、奥義である。
②実践的部分
*信者は、光の子らしく歩むべきである。

 

 

8.ピリピ人への手紙
(1)宛先

①ピリピの教会

(2)執筆場所

①パウロがローマの獄中にあった時に書かれた書簡である。
②紀元 60~61 年頃

(3)執筆の経緯

①ピリピの教会は、エパフロデトに「贈り物」を託して、パウロに送った。
②エパフロデトは、パウロを支えるためにそこで働き始めたが、病気になった。
③エパフロデトの病気が治ったので、パウロはピリピに彼を送り返す。
④その際、パウロはこの手紙を書いて、彼に託した。

(4)内容

①試練の中にある喜び
②奉仕の中にある喜び
③信じることの中にある喜び
④与えることの中にある喜び

 

 

9.コロサイ人への手紙
(1)宛先

①コロサイの教会

(2)執筆場所

①パウロがローマの獄中にあった時に書かれた書簡である。
②紀元 60~61 年頃

(3)執筆の経緯

①エパフラスが獄中のパウロを訪問し、教会の現状を伝えた。
②コロサイ教会には、教理的逸脱があり、早急に対応する必要があった。
③教理的逸脱とは、後に「グノーシス主義」と呼ばれる異端の原型である。

(4)内容

①聖書的キリスト論の宣言
②聖書的キリスト論の擁護
③聖書的キリスト論の実践

 

 

10.ピレモンへの手紙
(1)宛先

①ピレモン
②私信の形をとっているが、内容は教会(コロサイ)に宛てられた公式の手紙である。

(2)執筆場所

①パウロがローマの獄中にあった時に書かれた書簡である。
②紀元 60~61 年頃

(3)執筆の経緯

①パウロは獄中で、ピレモンの奴隷であったオネシモをキリストに導いた。
②ところがオネシモは、逃亡奴隷であった。
③パウロは、ピレモンがオネシモを兄弟として受け入れてくれるように依頼した。

(4)内容

①ピレモンへの依頼
②パウロとオネシモの関係
③負債は支払うという約束

 

 

11.テモテへの手紙第一
(1)宛先
1テモテ
(2)執筆場所

①ローマの獄から解放されて以降に、ピリピからこの手紙を書き送った。
②紀元 63~66 年頃

(3)執筆の経緯

①2 通のテモテへの手紙とテトスへの手紙を総称して、「牧会書簡」と言う。
②ローマの獄舎から解放されたパウロは、ローマ退去を命じられた。
③パウロは、ルカとテモテを伴ってエペソを訪問した。
④エペソでは、パウロが予期した通りのことが起こっていた。
⑤パウロは、エペソ教会を牧するためにテモテを後に残し、ピリピに向かった。
⑥パウロは、テモテを励ますために、この手紙を書いた。

(4)内容

①若い牧師への助言
②偽教師の扱い
③教会の指導者の資格
④自らの霊的養い
⑤禁欲的生活からの解放
⑥教会内の人間関係

 

 

12.テトスへの手紙
(1)宛先

①テトス

(2)執筆場所

①マケドニアのどこか(ピリピ?)
②テモテへの手紙第一の後に書かれた。
③紀元 63~66 年頃

(3)執筆の経緯

①テトスは、異邦人信者で、パウロの同労者となった人物である。
②パウロは彼に、クレテの教会を指導する任務を与えた。
③伝承によれば、彼はクレテ島のゴルティナで監督となり、94 歳で召された。

(4)内容

①長老の任命
②教理の実際生活への適用
③神の恵みによるクリスチャン生活の勧め

13.テモテへの手紙第二
(1)宛先

①テモテ

(2)執筆場所

①ローマの獄中(2 回目の獄中生活)
②テトスへの手紙の後に書かれた。
③紀元 67 年頃

(3)執筆の経緯

①自分の死期が近いのを感じながらテモテに宛てて書いた別離の手紙である。
②パウロは、エペソで奮闘しているテモテを励ますためにこの手紙を書いた。

(4)内容

①テモテへの愛
②信者を弟子化する方法
③苦難に対する心構え
④みことばを宣べ伝えよという命令

 

 

結論 (1)2 テモ 4:6~8
2Ti 4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
2Ti 4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
2Ti 4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審
判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者
には、だれにでも授けてくださるのです。

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