私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(118)—マルタとマリア—
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マルタとマリアに語られたイエスのことばから、霊的教訓を学ぶ。
「マルタとマリア」
ルカ10:38~42
1.はじめに
(1)文脈の確認
①前回に続いて、この箇所はルカだけの記録である。
②70人の派遣、永遠のいのちに関する律法学者との議論(良きサマリヤ人)
③そして、マルタとマリアの話へと続く。
④ルカは、イエスに仕えた婦人たちについて記録している福音記者である。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「マルタとマリアの家の客となるイエス」(§104)
ルカ10:38~42
2.アウトライン
(1)安らぎの家(38~39節)
(2)苛立ちの家(40節)
(3)権威ある言葉(41節)
3.結論:
(1)優先順位(1)
(2)優先順位(2)
(3)正しい優先順位の結果
マルタとマリアに語られたイエスのことばから、霊的教訓を学ぶ。
Ⅰ.安らぎの家(38~39節)
1.38節
Luk 10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
(1)ある村とは、ベタニヤである(ヨハ11:1、12:1~3)。
①エルサレムから約3キロ離れた所にある村。
②オリーブ山の東山麓に位置する。
③最後の過越の祭りの際の訪問とは、別のものである。
(2)イエスを迎えたのは、マルタである。
①マルタ、マリア、ラザロの3人はベタニヤに住んでいた。
②マルタとマリアが初めて登場する。
③マルタがイエスを迎えているので、一家の主人であったと思われる。
④この家は、70人の派遣によって用意されたものである可能性がある。
⑤イエスは、この家に留まった。それ以降も、ここに泊まることを好まれた。
2.39節
Luk 10:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
(1)マリアの姿勢
①主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
②これは、弟子が師から学ぶときの姿勢である。
③将来自分が師になって弟子に教えようとする者は、このような姿勢を取った。
(2)婦人の役割に関する伝統的なイメージが覆される。
①婦人は、教師にはなれない。だから専門的に学ぶ必要はない。
(例話)2世紀に、高名なラビの娘がいた。博学なラビと結婚した。
ほとんどのラビたちは、彼女の意見を受け入れなかった。
②マリアは、伝統的な婦人の役割を捨てて、イエスの教えを吸収しようとした。
③イエスは、彼女の学びの姿勢を受け入れた。
④その様子を見て、男性たちはショックを感じたことであろう。
Ⅱ.苛立ちの家(40節)
1.40節a
Luk 10:40a ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、
(1)マルタは、伝統的な婦人の役割に徹した。
①客をもてなすのは、主人の責務である。
②客は、少なくとも13名はいた。イエスと弟子たち。
③中東風のおもてなし
(2)訳文の比較
「ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、」(新改訳)
「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、」(新共同訳)
「ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、」(口語訳)
「マルタ饗應(もてなし)のこと多(おほ)くして心(こころ)いりみだれ、」(文語訳)
「一方マルタはというと、てんてこ舞の忙しさです。『どんなごちそうで、おもてなし
しようかしら。 あれがいいかしら、それとも……。』気を使うことばかりです」(リビ
ングバイブル)
2.40節b
Luk 10:40b みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
(1)マルタの自己義認の態度
①自分は正しいことをしている。
②他の人はそうではない。
③自己義認は、怒りの感情を生む。
④怒りやすい人は、怒りの理由について考えるとよい。
(2)マルタの怒り
①最初は、妹のマリアに向けられた。
②次に、マリアの怠惰を放置しているイエスに向けられた。
③イエスをもてなそうとしたのに、イエスを批判するようになった。
Ⅲ.権威ある言葉(41節)
1.41~42節a
Luk 10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
Luk 10:42a しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」
(1)イエスは、マルタをたしなめた。
①一時的なことに気を取られて、動転してはならない。
②ものごとを大局的に見ることを教えた。
(2)どうしても必要なことは、一つだけである。
①メシアの教えを受けることは、メシアに仕えることよりも重要である。
②ともに良いことであるが、メシアの教えを受けることを優先すべきである。
2.42節b
Luk 10:42b 「マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません」
(1)イエスは、マリアを擁護された。
①イエスは、婦人がみことばを学ぶことを奨励された。
(2)マリアは、良い方を選んだ。
①彼女は、弟子たちでさえも理解できなかったことを学んだ。
②イエスは、死のうとしておられる。
結論:
1.優先順位(1)
(1)与えることと、受けること
①マルタは、イエスに与えようとした。
②マリアは、イエスから受けようとした。
③ともに良いことである。
④しかし、イエスから受けずして、他者に与えることは難しい。
⑤それゆえ、マリアの選びの方がよい。
(2)行為と、内面の状態
①イエスに与えること(奉仕)の中には、傲慢の種が混入する可能性がある。
②傲慢の種が芽を出し成長すると、他者への裁きという実を付けるようになる。
③イエスから受けること(静思)は、傲慢の種を取り除く作業である。
④傲慢の種が取り除かれると、聖霊の実を付けるようになる。
2.優先順位(2)
(1)良きサマリヤ人のたとえ話と、マリアの選び
①十戒の5戒~10戒は、隣人への愛を教えている。
②十戒の1戒~4戒は、神への愛を教えている。
(2)優先順位は、神への愛、そして、隣人への愛である。
①キリストとともに時を過ごした人は、キリストの香りを放つ。
(例話)アロマオイルのそばにおいたキーホルダーの香り
(3)神への愛を確認できた人は、平安に、静かに、親切に隣人に仕えるようになる。
3.正しい優先順位の結果
(1)マリアは、イエスが死のうとしていることを理解した。
(2)マリアは、イエスに香油を注いだ。
①マタ26:12~13
Mat 26:12 「この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
Mat 26:13 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」
②今も、マリアの行為は世界中で語り継がれている。
(3)イエスの死を理解したことは、イエスの復活を理解したことでもある。
①マリアは、兄弟ラザロの蘇りを体験するようになる(ヨハ11章)。
②彼女は、他の婦人たちといっしょにイエスの墓には行かなかった。
(4)神の計画を理解した人だけが、自分の働き場を見い出すことができる。
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