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ルカの福音書(85)ミナのたとえ話 -再臨を待ち望む生活-19:11~27
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ミナのたとえ話について学ぶ。
ルカの福音書 85回
ミナのたとえ話 -再臨を待ち望む生活-
19 :11~27
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ18:9~19:27は、「エルサレムへの旅」の結論部分である。
③ルカ18:8
Luk 18:8
あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
④結論部分での強調点:救われるのはどういう人か。
⑤ザアカイの救い(19:1~10)は、結論部分のクライマックスである。
⑥ミナのたとえ話(19:11~27)は、終末論的な内容である。
(2)この聖書箇所の特徴
①ザアカイの救いに続くイエスの教えである。
②イエスは、十字架上で死のうとしている。
③神の国は、すぐに来るのではない。
④再臨の時まで、弟子たちには果たすべき使命がある。
2.アウトライン
(1)まえがき(11節)
(2)遠い国への旅立ち(12~14節)
(3)遠い国からの帰還(15~23節)
(4)まとめ(24~27節)
3.結論
(1)タラントのたとえ話(マタ25:14~30)との対比
(2)クリスチャンが受ける裁き
ミナのたとえ話について学ぶ。
Ⅰ.まえがき(11節)
1.11節
Luk 19:11
人々がこれらのことばに耳を傾けていたとき、イエスは続けて一つのたとえを話された。イエスがエルサレムの近くに来ていて、人々が神の国がすぐに現れると思っていたからである。
(1)このたとえ話は、ザアカイの家の食卓での講話である。
①イエスは、「今日、救いがこの家に来ました」と言われた。
②イエスは、エルサレムの近くまで来ていた。
③人々は、神の国の到来が近いと思い込んでいた。
*神の国とは、メシア的王国である。
*メシアは、ローマの圧制からの解放をもたらすという期待があった。
*弟子たちも、同じ期待を抱いていた。
④イエスは、神の国に関する誤解を解くために、このたとえ話を語られた。
(2)神の国について
①ユダヤ人たちの希望は、地上に設立される神の国にあった。
②旧約聖書の預言のピークは、神の国の成就である。
③弟子たちの神の国への執着は、相当なものである。
④使1:6
Act 1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
⑤イエスの教えは、神の国はすぐには来ないというものである。
⑥では、神の国が成就するまでの期間、弟子としていかに生きるべきか。
Ⅱ.遠い国への旅立ち(12~14節)
1.12節
Luk 19:12
イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が遠い国に行った。王位を授かって戻って来るためであった。
(1)このたとえ話には、歴史的背景があった。
①ヘロデは、ユダヤの王としての称号を得るためにローマに行った(前40年)。
*彼は、ユダヤの民衆からの支持を得ていなかった。
*称号を得て後、ヘロデは残虐な方法で反抗的な人々を沈黙させた。
②ヘロデの息子アルケラオも、王になるためにローマに行った(前4年)。
*ユダヤ人の代表50人が反対を表明するためにローマに行った。
*ユダヤ王国のエスニャルク(統治者)となった彼は、忠実な者に報奨を与
え、反抗する者を殺害した。
(2)このたとえ話では、「ある身分の高い人」とはイエスのことである。
①イエスは、父なる神のもとに行き、やがて王として地上に戻って来られる。
②初臨と再臨の間の期間、弟子たちには忠実に生きることが要求される。
2.13節
Luk 19:13
彼はしもべを十人呼んで、彼らに十ミナを与え、『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。
(1)10人は概数であろう。12弟子以外の信者も含まれる。
①再臨までの期間に、彼らにはある賜物が委託されている。
②各人が、1ミナを預かった。
*1ミナは、労働者100日分の賃金である。
③ローマ時代、資産を持っている人は少数であった。
*金貸しはほとんどが裕福な個人によって行われていた。
*「トラペザ」(23節)を銀行と訳しているが、これは両替商の机である。
*金利は、非常に高かった。
(2)主人の意図は、1ミナを元手に商売をして財産を増やすことであった。
①財産を増やすのは、今よりもはるかに容易だった。
3.14節
Luk 19:14一方、その国の人々は彼を憎んでいたので、彼の後に使者を送り、『この人が私たちの王になるのを、私たちは望んでいません』と伝えた。
(1)「その国の人々」
①人々は、アルケラオが王になることに反対し、アウグストゥスに上訴した。
②アルケラオは父の領土の半分を継承し、王でなく「エスニャルク」となった。
*4分の1の継承者は、「テトラーク」(領主)である。
(2)彼らは、イエスをメシアと認めたくない人たちである。
①狭義には宗教的指導者たちであり、広義にはイスラエルの民全般である。
②使徒の働きでは、ステパノや使徒たちが殉教の死を遂げるようになる。
Ⅲ.遠い国からの帰還(15~23節)
1.15節
Luk 19:15
さて、彼は王位を授かって帰って来ると、金を与えておいたしもべたちを呼び出すように命じた。彼らがどんな商売をしたかを知ろうと思ったのである。
(1)身分の高い人は王位を受けて帰って来た。
①これは、王として戻って来られる再臨のキリストの型である。
(2)しもべたちは、どのように商売をしたかを吟味される。
①これは、キリストの御座の裁きの型である。
2.16~17節
Luk 19:16
最初のしもべが進み出て言った。『ご主人様、あなた様の一ミナで十ミナをもうけました。』
Luk 19:17
主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
(1)最初のしもべは、1ミナを元手にして10ミナを儲けた。
①主人は、彼をほめた。
②主人は、「ほんの小さなこと」ということばを使った。
(2)忠実さに比例して、多くの責任が与えられた。
①彼は、10の町を支配する者になる。
②ローマ帝国は、認定した王が独自に行政官を任命することを許可していた。
③この責任委譲は、千年王国での責任委譲の型である。
3.18~19節
Luk 19:18
二番目のしもべが来て言った。『ご主人様、あなた様の一ミナで五ミナをもうけました。』
Luk 19:19 主人は彼にも言った。『おまえも五つの町を治めなさい。』
(1)2番目のしもべは、1ミナを元手にして5ミナを儲けた。
①彼も、最初のしもべと同じ原則で取り扱われた
4.20~21節
Luk 19:20
また別のしもべが来て言った。『ご主人様、ご覧ください。あなた様の一ミナがございます。私は布に包んで、しまっておきました。
Luk 19:21
あなた様は預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取られる厳しい方ですから、怖かったのです。』
(1)3番目のしもべは、何もしなかった。
①「布」とは、汗をぬぐう布のことである。ハンカチ、ナプキンなど。
②これは、主人の財産を扱う方法としては、最も危険なものである。
③彼は、永遠の価値のあることを何もしない人の型である。
(2)彼は言い訳をした。
①主人に対する侮辱的なことばを吐いた。
②実際は、主人が戻って来るとは思わなかったのであろう。
5.22~23節
Luk 19:22
主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はおまえのことばによって、おまえをさばこう。おまえは、私が厳しい人間で、預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取ると、分かっていたというのか。
Luk 19:23
それなら、どうして私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうしておけば、私が帰って来たとき、それを利息と一緒に受け取れたのに。』
(1)主人は、3番目のしもべの口実をそのままくり返した。
①それを認めたということではなく、彼の欺瞞を指摘したのである。
②本当にそう思っていたなら、高利貸しに預けておくべきだった。
③もしそうしていたなら、最低限の金利は受け取れた。
Ⅳ.まとめ(24~27節)
1.24~26節
Luk 19:24
そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナをこの者から取り上げて、十ミナ持っている者に与えなさい。』
Luk 19:25
すると彼らは、『ご主人様、あの人はすでに十ミナ持っています』と言った。
Luk 19:26
彼は言った。『おまえたちに言うが、だれでも持っている者はさらに与えられ、持っていない者からは、持っている物までも取り上げられるのだ。
(1)3番目の人の1ミナは、10ミナ持っている人に与えられる。
①そばに立っていた者たちは、そうする理由を理解することができない。
(2)神の国の原則
①「持っている者はさらに与えられ、持っていない者からは、持っている物まで
も取り上げられる」
②この原則には、現代的適用と終末的適用がある。
3.27節
Luk 19:27
またさらに、私が王になるのを望まなかったあの敵どもは、ここに連れて来て、私の目の前で打ち殺せ。』」
(1)あの敵どもとは、「その国の人々」(14節)のことである。
①彼らは、殺された。
②これは、不信仰なイスラエルがどのような裁きを受けるかを予告したもの。
③イエスは、紀元70年のエルサレム崩壊を予見しておられた。
結論
1.タラントのたとえ話(マタ25:14~30)との対比
(1)主人はしもべたちに、異なった量のタラントを預けた。
①5タラント、2タラント、1タラント
②与えられている賜物の違いが強調されている。
(2)ミナのたとえ話
①全員に1ミナを預けた。
②誰もが「人生における可能性」を持っていることを示唆している。
*福音を伝える特権、祈りの特権、献金の特権
③持てる者にはより多くのものが委ねられる。
2.クリスチャンが受ける裁き
(1)携挙の後、信者は人の子の前に立つ(ルカ21:34~36)。
①これは、信者の報奨のための裁きであって、罪の裁きではない。
(2)2 コリ5:10
2Co 5:10
私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。
①裁きの基準は、信者になって以降の行為である。
②罪の裁きではない(ロマ8:1)。
(3)1コリ3:10~15
①土台(キリスト)の上にどのような建物を建てたかが裁きの基準となる。
②神の御心に沿った働きは、金、銀、宝石である。
③告白されていない罪を持った生活は、木、草、わらである。
④各人の働きは、火で試される。
⑤木、草、わらなどは燃えて灰になる。
⑥金、銀、宝石は精錬され、より純化される。
(4)私たちへの適用
①今私たちは、初臨と再臨の間の時代に生きている。
②忠実な奉仕の動機は、主からの「おほめのことば」である。
③忠実なしもべには、より多くの責務が与えられる。
④この原則は、今だけでなく、終末論的な適用を持っている。
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