ルカの福音書(86)勝利の入城 -エルサレムを見て号泣するイエス-19:28~44

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勝利の入城について学ぶ。

ルカの福音書 86回

勝利の入城 -エルサレムを見て号泣するイエス-

19:28~44

1.はじめに

(1)文脈の確認

  ①ついにイエスは、メシアとしてエルサレムに入る。

  ②ルカは、イエスが逮捕される前の状況を記録している。

(2)エルサレムでの奉仕(19:28~21:38)

  ①勝利の入城(19:28~44)

  ②諸々の教え(20:1~21:4)

  ③神殿崩壊の予告(21:5~36)

  ④まとめ(21:37~38)

2.アウトライン

(1)入城の準備(28~35節)

(2)人々の歓迎(36~38節)

(3)パリサイ人たちの抗議(39~40節)

(4)イエスの嘆き(41~44節)

3.結論:イエスのあわれみ

勝利の入城について学ぶ。

Ⅰ.入城の準備(28~35節)

1.28節

Luk 19:28

これらのことを話してから、イエスはさらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。

(1)ルカは、再び地理的情報を提供している。

  ①イエスは、エリコからエルサレムに向かう。

  ②この道程は、西に向かう上り道である。

(2)勝利の入城は、4福音書のすべてに出てくる。

  ①それ以外にパンと魚の奇跡がある。

(3)「勝利の入城」と呼ばれるが、実態はそうではない。

  ①弟子たちは御国の設立を期待していたが、イエスは十字架に向かっておられた。

  ②イエスは、エルサレムの崩壊を予知しておられた。

  ③ルカは、イエスの悲しみに焦点を合わせている。

2.29~30節

Luk 19:29

オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。

Luk 19:30「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、連れて来なさい。

(1)オリーブ山のふもとにベテパゲとベタニアという村があった。

  ①ベテパゲのほうがエルサレムに近い。

  ②これは、異邦人読者のための情報である。

  ③イエスが弟子を派遣するときは、ふたり一組である。

(2)イエスは、子ろばを必要とされた。

  ①ろばは、祭司、貴族、平和の使者たちの乗り物である。

  ②王の乗り物は、馬である。

  ③イエスは、平和の君としてエルサレムに入城される。

  ④ゼカ9:9

Zec 9:9
娘シオンよ、大いに喜べ。/娘エルサレムよ、喜び叫べ。/見よ、あなたの王があなたのところに来る。/義なる者で、勝利を得、/柔和な者で、ろばに乗って。/雌ろばの子である、ろばに乗って。

3.31節

Luk 19:31

もし『どうして、ほどくのか』とだれかが尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」

(1)子ろばの持ち主たちとは、あらかじめ打ち合わせができていたのであろう。

  ①「主がお入り用なのです」という合言葉が、すべてを解決する。

  ②主イエスは、子ろばの究極的な持ち主である。

4.32~34節

Luk 19:32

使いに出された二人が行って見ると、イエスが言われたとおりであった。

Luk 19:33

彼らが子ろばをほどいていると、持ち主たちが、「どうして、子ろばをほどくのか」と彼らに言った。

Luk 19:34弟子たちは、「主がお入り用なのです」と言った。

(1)イエスが話されたとおりのことが起こった。

  ①持ち主は、複数形である。「持ち主たち」である。

  ②彼らが、ろばと、子ろばを大切にしていたことが分かる。

  ③メシアに自分たちの持ち物を提供できるのは、特権である。

(2)イエスの貧しさは、読者に好印象を与えた。

  ①当時の人たちの大半が、初代教会の信者も含めて、非常に貧しかった。

  ②子ろばを借りなければ入城できないメシアに、親近感を覚えたことであろう。

5.35節

Luk 19:35

二人はその子ろばをイエスのもとに連れて来た。そして、その上に自分たちの上着を掛けて、イエスをお乗せした。

(1)マタ21:7

Mat 21:7 ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。

  ①母ろばが子ろばのそばを歩いた。

  ②子ろばが暴れないのは、小さな奇跡である。

(2)弟子たちは、母ろばと子ろばの両方に上着を掛けた。

  ①弟子たちは、イエスに敬意を表した。

  ②上着を掛けるのは、鞍を作るためである。

Ⅱ.人々の歓迎(36~38節)

1.36節

Luk 19:36イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。

(1)イエスは、オリーブ山の西側をエルサレムに向かって下って行かれた。

  ①下り切った所が、キデロンの谷である。

(2)道に上着を敷くのは、王に対する敬意の表現である。

  ①ルカは、人々が葉の付いた枝(しゅろの枝)を振ったことは省略している。

  ②葉の付いた枝を振るのは、仮庵の祭りのときの習慣である。

  ③人々は、メシア的王国の成就が近いと思い込んでいた。

2.37~38節

Luk 19:37

イエスがいよいよオリーブ山の下りにさしかかると、大勢の弟子たちはみな、自分たちが見たすべての力あるわざについて、喜びのあまりに大声で神を賛美し始めて、

Luk 19:38

こう言った。/「祝福あれ、/主の御名によって来られる方、王に。/天には平和があるように。/栄光がいと高き所にあるように。」

(1)大勢の弟子たちが叫んだ。

  ①彼らは、多くの奇跡を目撃してきた。

  ②そのことのゆえに、大声で神を賛美し始めた。

  ③彼らもまた、イエスがメシア的王国を建設されると思い込んでいた。

(2)賛美の内容

  ①「主の御名によって来られる方、王」とは、メシアのことである。

  ②これは、メシアを迎えるときの賛美である。

  ③パリサイ人たちは、危機感を覚えた。

Ⅲ.パリサイ人たちの抗議(39~40節)

1.39節

Luk 19:39

するとパリサイ人のうちの何人かが、群衆の中からイエスに向かって、「先生、あなたの弟子たちを叱ってください」と言った。

(1)パリサイ人たちは、何が起こっているかを理解した。

  ①イエスは、自分自身をメシアとして公表している。

  ②弟子たちは、メシアを歓迎する聖句を引用して、大声で叫んでいる。

  ③人々も、イエスをメシアとして歓迎している。

(2)パリサイ人たちはすでにイエスのメシア性を拒否していた。

  ①そこで彼らは、弟子たちを叱って黙らせるようにイエスに要請した。

  ②彼らは、イエスもそれに同意するだろうと思ったのであろう。

2.40節

Luk 19:40

イエスは答えられた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

(1)イエスは、弟子たちを叱らなかった。

  ①これまでは、「今見たことを言ってはならない」という命令があった。

  ②ここでは、イエスがメシアであることが明確に示された。

(2)人間が黙ったとしても、無生物である石が叫び出すことであろう。

  ①これは、「不可能なことが起こる」という意味の格言である。

  ②ここでは、石は城壁の石、あるいは神殿の石を指すと思われる。

Ⅳ.イエスの嘆き(41~44節)

1.41節

Luk 19:41

エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。

(1)イエスはエルサレムを見て、泣いて、言われた。

  ①この部分は、ルカだけの記録である。

  ②外面的繁栄と内面的腐敗(不信仰)の乖離があった。

  ③このことが「宮きよめ」と「神殿での教え」につながる。

2.42節

Luk 19:42

「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。

(1)「平和に向かう道」とは、イエスをメシアとして信じることである。

  ①しかし、ユダヤ人たちは霊的に目が見えなくなっていた。

  ②エルサレムがイエスを拒否したので、イエスもエルサレムを拒否される。

3.43~44節

Luk 19:43

やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、

Luk 19:44

そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」

(1)紀元70年に起こることの預言が語られる。

  ①ローマ軍がエルサレムに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せる。

  ②ローマ軍がエルサレムの住民を虐殺する。

  ③エルサレムは完全に崩壊する。

(2)その理由は、「神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ」。

  ①イエスは、救いのメッセージを持ってエルサレムを訪れた。

  ②神の民は、それを歓迎しなかった。

  ③彼らは、自分たちの考え方や願いを優先させた。

結論:イエスのあわれみ

1.ヨハネの福音書11章35節

Joh 11:35イエスは涙を流された。

(1)「涙を流された」は、ギリシア語の「ダクルオウ」という動詞である。

(2)涙が溢れ出たということである。

(3)ラザロの死を悲しむ人たちへの同情心の表れである。

2.ルカの福音書19章41節

Luk 19:41

エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。

(1)「泣いて」は、ギリシア語の「クライオウ」である。

(2)声を上げながら、涙を流す。

3.勝利の入城に際してのイエスの感情

(1)イエスは、メシアを歓迎する祈りを受け入れた。

  ①イエスは、弟子たちを黙らせなかった。

(2)創3:15の「女の子孫」の約束以来、歴史はこの日に向かって進んできた。

  ①イエスの誕生も公生涯も、すべてこの日のためにあった。

(3)しかし、イエスはエルサレムを見て号泣された。

  ①エルサレムが、神の訪れの時を知らなかったからである。

(4)自問自答してみよう。

  ①イエスは、日本をどう見ておられるのか。

  ②イエスは、私をどう見ておられるのか。

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