私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ルカの福音書(84)ザアカイの救い -子どもでも分かる大人の話-19:1~10
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
ザアカイの救いについて学ぶ。
ルカの福音書 84回
ザアカイの救い -子どもでも分かる大人の話-
19:1~10
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ18:9~19:27は、「エルサレムへの旅」の結論部分である。
③ルカ18:8
Luk 18:8
あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
④結論部分での強調点:救われるのはどういう人か。
(2)ルカ18:9~19:27の内容
①パリサイ人と取税人のたとえ話(18:9~14)
②謙遜に関する教え(18:15~17)
③富の弊害(18:18~30)
④3度目の受難の予告(18:31~34)
⑤目の見えない人の癒やし(18:35~43)
⑥ザアカイの救い(19:1~10)
⑦ミナのたとえ話(19:11~27)
(3)この聖書箇所の特徴
①「エルサレムへの旅」のクライマックスである。
②イエスは、助けを必要としている人に救いを提供する。
③その人は、救いを受け取り、悔い改めの実を結ぶ。
④ルカ19:10は、この福音書の中心聖句である。
Luk 19:10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
2.アウトライン
(1)起-取税人ザアカイ(1~2節)
(2)承-木に登るザアカイ(3~4節)
(3)転-ザアカイを見上げるイエス(5節)
(4)結-イエスを家に迎えるザアカイ(6~10節)
3.結論:ザアカイは、救われる人の特徴を体現している。
ザアカイの救いについて学ぶ。
Ⅰ.起-取税人ザアカイ(1~2節)
1.1節
Luk 19:1それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
(1)当時、2つのエリコがあった。
①旧約のエリコとその南側の新約のエリコ
②ヘロデ大王は、新しいエリコを建設し、冬の宮殿を建てた。
③そこは当時のリゾート地で、冬季には多くの訪問者が来訪した。
(2)イエスは、エリコを通過された。
①イエスは、脇道ではなく、エリコを通過してエルサレムに向かわれた。
②イエスの決意が見て取れる。
2.2節
Luk 19:2
するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
(1)エリコには、多くの取税人がいた。
①国境の町で、通行税を徴収する収税所があった。
②パレスチナで最も裕福な町の1つで、物品税の徴収額も多かった。
(2)ザアカイは、取税人のかしらであった。
①彼は、通行税や物品税を徴収する権利をローマから委託されていた。
②その仕事のために、複数の取税人を雇っていた。
③彼はごまかしを行い、その結果、裕福になっていた。
④彼は、同胞のユダヤ人たちから憎まれていた。
Ⅱ.承-木に登るザアカイ(3~4節)
1.3節
Luk 19:3
彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
(1)彼は、イエスに興味を示した。
①イエスの弟子の中には、元取税人がいるというではないか。
②イエスは、取税人たちとの交流を喜んでいるというではないか。
(2)ザアカイの特徴
①ザアカイ(ザカイオス)とは、「pure」(清い、純粋)という意味である。
②彼の両親は我が子を見て、「pure」と名づけた。
③しかし彼は、ある時点で、ローマに魂を売り渡した。
④彼は、裕福になったが、心に渇きを覚えていたと思われる。
⑤彼は、背が低かった。
*当時の平均身長から判断すると、恐らく150㎝くらいであろう。
⑥群衆に遮られて、イエスを見ることができなかった。
*人々からの意図的な嫌がらせもあったと思われる。
2.4節
Luk 19:4
それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
(1)彼は、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。
①亜熱帯気候の中で多くの木が育っていた。ナツメヤシ、いちじく桑の木。
②いちじく桑は、枝が幹の低い所から出ているので、登りやすい。
③彼は、高所からイエスを眺めようとした。
Ⅲ.転-ザアカイを見上げるイエス(5節)
1.5節
Luk 19:5
イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
(1)イエスは、ザアカイを見上げた。
①ザアカイは、イエスの視線を感じた。
②これは、罪人が神を認識する最初のステップである。
(2)イエスは、ザアカイの名を呼んだ。
①ザアカイは、イエスが自分の名を知っていることに驚いたであろう。
②ユダヤ的には、会ったことのない人の名を知っているのは預言者である。
③神は、私たちの名を知っておられる。
(3)イエスは、ザアカイを招いた。
①取税人は、ユダヤ社会では罪人であり、排除されるべき人間である。
②しかしイエスは、ザアカイに愛を示された。
(4)イエスは、彼の家に泊まることにしてあると言われた。
①いかに高貴な人物であっても、自分から宿泊を願い出ることはなかった。
②イエスは、自らそれを申し出た。福音書の中で、ここだけである。
(5)「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることに しているから」(5節)
①ギリシア語の「dei」ということば
② It is necessary for me to stay at your house.
③I must abide at thy house.
④しかも、「今日」(セイメロン)ということばが強調されている。
Ⅳ.結-イエスを家に迎えるザアカイ(6~10節)
1.6節
Luk 19:6ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
(1)イエスの招きは、ザアカイが予想もしなかったことである。
①彼は、急いで降りて来た。
②彼は、大喜びでイエスを家に迎えた。
(2)「喜ぶ(カイロウ)」(名詞はカラ)は、この書に9回出てくる。
①これは、信仰と救いに関連した喜びの状態を表現することばである。
②イエスのことばを受け入れた時点で、ザアカイは新生した。
*新生したという事実は、行為となって表れた。
*新生は瞬間的出来事であり、聖化は長期にわたるプロセスである。
2.7節
Luk 19:7
人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
(1)エリコの町には、イエスが泊まるのにふさわしい場所がいくつもあった。
①伝統的に、エリコは祭司たちの町でもある。
(2)しかし、イエスが選んだ場所は、罪人の家であった。
①ラビたちは、取税人の家には泊まらなかった。
②取税人は、什一献金を献げていないと推定されたからである。
3.8節
Luk 19:8
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
(1)ザアカイの公の宣言
①財産の半分を貧しい人たちに施す。
②脅し取った物があれば、4倍にして返す。
③これは、モーセの律法の要求以上のものである。
*脅し取った場合は、120%の返済(レビ6:5、民5:7)。
*家畜や物を盗んだ場合は、200%の返済(出22:4、22:7)。
④罪の赦しを受けても、弁済の義務はある。
4.9~10節
Luk 19:9
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
Luk 19:10人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
(1)ザアカイの変化は、彼が救われたことを証明している。
①ザアカイの救いは、「今日」起こったことである。
(2)「この人もアブラハムの子なのですから」
①パリサイ人たちは、アブラハムの子孫であれば神の国に入れると教えていた。
②しかし、取税人はその特権から外されていた。
③ザアカイは、アブラハムの子孫であり、アブラハムの信仰に倣う者となった。
④ザアカイは、信仰によって救われたのである。
(3)「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです」
①これは、イエスが受肉された目的である。
結論:ザアカイは、救われる人の特徴を体現している。
1.たとえ話の中の取税人に似ている(18:9~14)。
(1)パリサイ人の祈り
①自分の自慢である。
②他者との比較に基づく祈りである。
③自己義認の祈りである。
(2)取税人の祈り
①神の基準に基づく祈りである。
②自分の罪に焦点を合わせた祈りである。
③自分に誇れる点は何もないという認識から出た祈りである。
④神に届く祈りである。
⑤ザアカイも、自分は罪人であるという認識を持っていた。
2.富める若者に似ている(18:18~23)。
(1)この若者とザアカイは、ともに裕福であった。
(2)しかし、違いもあった。
①この若者は、イエスの招きに応答しなかった。
*富がこの若者を束縛していた。
②ザアカイは、イエスの招きに応答した。
*富の束縛から解放された。
3.「神にはできる」という真理の実例である(18:25~27)。
(1)「人にはできないことが、神にはできるのです」(18:27)
(2)人間には不可能なことを、神はなさる。
①金持ちが救われるのは、難しい。
*見える物に信頼しているので、見えない神を信頼することができない。
*貧しい人たちに対する優越感を持っている。
②神だけが、金持ちの救いを可能にしてくださる。
*神は、人の心に罪の意識と悔い改めを与えてくださる。
4.癒やされた目の見えない人に似ている(18:35~43)。
(1)目の見えない人は、「今日」という機会を逃さなかった。
①ザアカイも、「今日」という機会を逃さなかった。
(2)救われた後の従順
①見えるようになった人は、神をあがめながらイエスについて行った。
②これを見て、民はみな神を賛美した。
③ザアカイも、救われた者の責務をよく理解した。
④彼は、神をあがめる生活を始めた。
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(13)批判する者たちへの反論10:1~18
Q421 天国でも性別は存在しますか。
イスラエル旅2023#088中川牧師とめぐる旅:【エルサレム旧市街】4つの地区とエルサレムの再統一
コリント人への手紙第二(14)パウロと偽使徒の違い(1)11:1~15
コリント人への手紙第二(12)エルサレム教会への献金(3)-喜んで与える祝福―9:1~15
Q420 頭に燃える炭火を積むとはどういう意味ですか。