私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(69)—種蒔く人のたとえ—
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種蒔く人のたとえを理解し、適用するために学びます。
(チャート資料「神の国」を添付してあります)
「種蒔く人のたとえ」
§064 マコ4:3~23、マタ13:3~23、ルカ8:5~18
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ベルゼブル論争以降、イエスの奉仕の方法が変化した。
②イエスは、大衆伝道から弟子訓練に方向転換した。
③イエスの奇跡は、弟子訓練のためのものとなった。
④イエスの教えは、たとえ話が中心となった。
(2)「奥義としての王国」に関する9つのたとえ話
①種蒔く人のたとえ(詳細な解説がある)
②種のたとえ
③毒麦のたとえ(詳細な解説がある)
④からし種のたとえ
⑤パン種のたとえ
⑥畑に隠された宝のたとえ
⑦高価な真珠のたとえ
⑧網のたとえ
⑨一家の主人のたとえ
(3)これらのたとえ話を解釈する際の原則
①イエスが弟子たちに、「奥義としての王国」の進展について教えた。
②多くの象徴が用いられているが、その大半が旧約聖書ですでに用いられていた。
*その場合は、その解釈をそのまま採用する。
③新しく登場する象徴は、イエス自身が解説される。
(4)A.T.ロバートソンの調和表
「最初の主要なたとえ話群」(§64)
2.アウトライン
(1)種蒔く人のたとえ(3~9節)
(2)たとえ話で語る理由(10~13節)
(3)種蒔く人のたとえの解説(14~20節)
3.結論:私たちへの適用(21~23節)
このメッセージは、種蒔く人のたとえを理解し、適用するためのものである。
Ⅰ.種蒔く人のたとえ(3~9節)
1.最も重要なたとえ話である。
(1)注意を喚起する言葉が、最初と最後に出て来る。
「よく聞きなさい」 (3節a)
「耳のある者は聞きなさい」 (9節)
(2)その理由
①種蒔く人のたとえが、最も重要なものである。
②意味は鮮明ではないが、そこには深い真理が隠されている。
③霊的真理に関心を払って聞くなら、理解できるようになる。
2.4種類の土地
(1)道ばた(3b~4節)
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、
鳥が来て食べてしまった」
①ある種は道ばたに落ちた。
②マコ2:23には、麦畑の中にある道が登場する。
「ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが
道々穂を摘み始めた」
③人が歩いた結果、踏み固められた道である。
④その種が地中に根を張ることはない。
⑤その種は、鳥の餌になる。
(2)岩地(5~6節)
「また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった」
①ある種は岩地に落ちた。
②見た目には他の地と変わらないが、土壌が薄い。
③石灰岩の地層の上に、土壌が薄くかぶさっている状態である。
④この地層では根は深く張ることができない。
⑤日が上ると、枯れてしまう。
(3)いばらの地(7節)
「また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいで
しまったので、実を結ばなかった」
①別の種は、いばらが群生する地に落ちた。
②いばらには生命力がある。
③いばらは、他の植物が必要とする水や光をさえぎり、それらをふさぐ。
④その結果、いばらの中では実を結ぶことができなくなる。
(4)良い地(8節)
「また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十
倍、百倍になった」
①良い地に落ちた種は、実を結ぶ。
②当時のパレスチナでは、10倍の収穫があれば、良い収穫とされた。
*種を1粒蒔けば、10粒の収穫がある。
③30倍、60倍、100倍の収穫は、大収穫である。
Ⅱ.たとえ話で語る理由(10~13節)
1.弟子たちの疑問(10節)
「さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、
これらのたとえのことを尋ねた」
(1)質問したのは、12弟子と他の信者たち
①イエスが急にたとえ話で教えるようになったので、説明を求めた。
(2)質問の内容
①たとえ話全般について(10節では複数形である)
②特に、種蒔く人のたとえ(13節では単数形である)
2.イエスの答え(11~12節)
「そこで、イエスは言われた。『あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほ
かの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。それは、「彼らは確かに見るには見
るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため」です』」
(1)3つの理由(前回すでに学んだ)
①群衆から、真理を隠すため。
*彼らはすでに、多くの特権に与ってきた。
②弟子たちに、真理をより詳しく教えるため。
③メシア預言の成就のため。
(2)「神の国の奥義」(チャート参照)
①私たちはこれを、「奥義としての王国」と呼んだ。
②ユダヤ人たちがイエスを拒否して以降登場した御国である。
③イエスを信じる者は、霊的な意味ですでに御国に入っている。
④しかし、王であるキリストが地上にいない間は、「奥義としての王国」である。
⑤それは、信者と未信者をともに含む概念である。
⑥「奥義としての王国」は、普遍的教会と同じではない。
⑦普遍的教会は、その中に含まれる。
⑧「奥義としての王国」は、ユダヤ人たちがイエスを信じる時まで続く。
⑨つまり、一連のたとえは、メシアが再臨するまでの地上の状態を教えている。
3.種蒔く人のたとえの重要性(13節)
(1)訳文の比較
「そして彼らにこう言われた。『このたとえがわからないのですか。そんなことで、
いったいどうしてたとえの理解ができましょう』」 (新改訳)
「また、イエスは言われた。『このたとえが分からないのか。では、どうしてほかの
たとえが理解できるだろうか』」 (新共同訳)
(2)イエスは、弟子たちの無知に驚かれた。
①種蒔く人のたとえは、最も単純である。
②と同時に、これが他の8つのたとえ話を解釈する土台となる。
③もしこれが分からないなら、より複雑なたとえ話が分かるはずがない。
(例話)数独の上級本
Ⅲ.種蒔く人のたとえの解説(14~20節)
「種蒔く人は、みことばを蒔くのです。みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです」
1.象徴的言葉
(1)種とは、みことばのことである。
①イエスがそれを解説された。
(2)種蒔く人が誰かは解説されていないが、それは容易に推察される。
①イエスご自身
②イエスの代理人としての弟子たち
③奥義としての御国に住むすべての信者たち
2.4つの土地の意味
(1)道ばた
①不信仰な人の応答
②福音を聞いても、信じないことを選ぶ人たち。
③福音の真理は、自分の生活には無関係であると考える人たち。
④鳥=サタン
(2)岩地
①この人たちは信じるが、みことばに根差した信仰を持たない。
②信者ではあるが、みことばの乳から堅い肉に進もうとしない人たち。
③体験主義的信仰が中心で、みことばの真理を学ぼうとしない人たち。
④困難や迫害が来ると、容易につまずく人たち。
(3)いばらの地
①この人たちは信じるが、霊的勝利を自分のものにできない。
②みことばを知っているかもしれないが、それを自分の人生に適用できない。
③信仰生活と、この世の生活とが、別区分になっている。
④信仰以上に大切にしている偶像がある。
*富、健康、快楽、名声、幸福
⑤(2)と(3)の信者は救われているが、霊的成長を経験しない。
(4)良い地(8節)
①みことばに根差した信仰を持つ人たち。
②聖書研究をし、その結果学んだ真理が、自分の判断と行動の規準となる。
③彼らの存在は周りの人たちに良い影響を与、多くの魂が救いに導かれる。
結論:
1.奥義としての王国は、永遠ではなく、一時的なものである。
(1)ユダヤ人たちがイエスを拒否した結果入って来た、中間期である。
(2)旧約聖書には預言されていなかったので、「奥義」という。
2.奥義としての王国は、信者と未信者を含む。
(1)本物の信者と、偽物の信者が同居している。
(2)教会レベルでも、同じことが言える。
(3)さらに、異端の出現も予想されている。
3.奥義としての王国は、教会(普遍的教会)とは区別されるものである。
(1)教会はその一部である。
4.奥義としての王国の特徴は、福音の伝達が行われることである。
(1)ユダヤ教には、宣教師はいない。
①異邦人がユダヤ人のところに来るという考え方がある。
②求心力的伝道
(2)キリスト教は、その最初から伝道的である。
①種蒔く人のたとえの通りである。
②遠心力的伝道
(3)しかし、福音に対する応答は、さまざまである。
①種蒔く人のたとえは、4種類の応答が起こることを教えている。
5.福音の真理を知った者には、それを伝える責務がある。
「また言われた。『あかりを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。
燭台の上に置くためではありませんか。隠れているのは、必ず現れるためであり、おおい
隠されているのは、明らかにされるためです。聞く耳のある者は聞きなさい』」 (21~23
節)
(1)「あかり」とは、福音の真理である。
(2)それを燭台の上に置くのが、私たちの使命である。
(3)私たちの働きが忠実なものであったかどうかは、終わりに日に明らかになる。
(4)私たちの責任範囲は、種を蒔くところまでである。
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