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ルカの福音書(83)目の見えない人の癒やし -好機を逃すな-18:35~43
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目の見えない人の癒やしについて学ぶ。
ルカの福音書 83回
目の見えない人の癒やし -好機を逃すな-
18 :35~43
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ18:9~19:27は、「エルサレムへの旅」の結論部分である。
③ルカ18:8
Luk 18:8
あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
④結論部分での強調点:救われるのはどういう人か。
(2)ルカ18:9~19:27の内容
①パリサイ人と取税人のたとえ話(18:9~14)
②謙遜に関する教え(18:15~17)
③富の弊害(18:18~30)
④3度目の受難の予告(18:31~34)
⑤目の見えない人の癒やし(18:35~43)
⑥ザアカイの救い(19:1~10)
⑦ミナのたとえ話(19:11~27)
(3)ルカの意図
①取税人と目の見えない人は、ともに社会からのけ者にされていた人物である。
②イエスは、謙遜に助けを求める目の見えない人を救われた。
③救われるのはどういう人かというテーマが続いている。
2.アウトライン
(1)状況説明(35節)
(2)目の見えない人の懇願(36~39節)
(3)イエスの応答(40~43節)
3.結論
(1)目の見えない人と宗教的指導者の対比
(2)好機を逃すな
目の見えない人の癒やしについて学ぶ。
Ⅰ.状況説明(35節)
1.35節
Luk 18:35
イエスがエリコに近づいたとき、一人の目の見えない人が道端に座り、物乞いをしていた。
(1)目の見えない人の癒やしは、何度起こったのか。
①3度起こったという説
*マタ20章(2人)、マコ10章(バルテマイ)、ルカ18章(1人)。
②2度起こったという説
*エリコに近づいたとき(ルカ18章)
*エリコを出て行ったとき(マタ20章、マコ10章)
③1度だけ起こったという説
*エリコに近づいたとき、イエスは目の見えない人に出会った。
*エリコを去るとき、イエスは目の見えない人を癒やした。
④最も可能性が高い説
*旧約のエリコを出て、新約のエリコに入るときに、癒やしが行われた。
(2)イエスの一行は、エリコまで来た。
①エリコはユダヤの一部である。
②エリコからエルサレムまでは、徒歩で1日の道のりである。
(3)1人の目の見えない人が道端に座って、物乞いをしていた。
①(新改訳2017)は、「目の見えない人」と訳している。
②彼は、人通りの多い場所に座っていた。
③エリコは裕福で、巡礼者が多く通る町である。
(4)当時の目の見えない人の社会的地位
①視覚障害者や身体にハンディのある人は、一般職に就くことができなかった。
②生き延びる唯一の方法は、物乞いをすることであった。
③彼らは、社会的弱者であったが、モーセの律法によって守られていた。
*宗教的には、見下されていた。
*子どもたちが見下されていたのと、同じである。
Ⅱ.目の見えない人の懇願(36~39節)
1.36~37節
Luk 18:36 彼は群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事かと尋ねた。
Luk 18:37 ナザレ人イエスがお通りになるのだと人々が知らせると、
(1)この記録は、ルカだけが書いている。
①彼は群衆が騒いでいるのを耳にして、何が起こっているか知りたいと思った。
②人々は、ナザレ人イエスがお通りになるのだと答えた。
③人々の興奮が伝わってくる描写である。
2.38~39節
Luk 18:38
彼は大声で、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と言った。
Luk 18:39
先を行く人たちが、黙らせようとしてたしなめたが、その人はますます激しく「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と叫んだ。
(1)彼は、イエスに関する知識を持っていた。
①ナザレのイエスは、目の見えない人の目を開いた方である。
②そこで彼は、叫び始めた。
(2)「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」
①彼は、イエスがイスラエルのメシアであることを信じた。
*「ダビデの子」とは、メシアのタイトルである。
*2サム7:8~16、1歴17:7~14
*不信仰な指導者たちとは、対照的である。
②彼は、信仰によって、神のあわれみを求めた。
*自分の義を主張しないで恵みだけを求めたのは、あの取税人と同じである。
(3)行列の先頭を行く人たちは、彼を叱って黙らせようとした。
①彼らは、目の見えない人を見下している。
②子どもがイエスに近づくのを阻止したのと同じ動機がある。
③彼はますます激しく「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と叫んだ。
*彼は、イエスには癒やしを行う力があることを知っていた。
*そして、イエスがそうしてくださることを願った。
④人々が彼を黙らせようとすればするほど、激しく叫んだ。
(4)イエスご自身は、彼を黙らせなかった。
①イエスは、「人の子」という称号を好んで用いられた。
②ここでは、「ダビデの子」と呼ばれることを受け入れている。
Ⅲ.イエスの応答(40~43節)
1.40~41節
Luk 18:40
イエスは立ち止まって、彼を連れて来るように命じられた。彼が近くに来ると、イエスはお尋ねになった。
Luk 18:41
「わたしに何をしてほしいのですか。」するとその人は答えた。「主よ、目が見えるようにしてください。」
(1)イエスは立ち止まられた。
①エルサレムに向かう決意を固めているときでも、弱者への奉仕を忘れない。
②「彼を連れて来るように命じられた」とは、たしなめた人たちへの叱責である。
③目の見えない人は、すぐにイエスのところに来た。
(2)「わたしに何をしてほしいのですか」
①イエスは、この目の見えない人が何を欲しているか知っていた。
②これは、目の見えない人の信仰を確認し、それを引き出すための質問である。
(3)「主よ、目が見えるようにしてください」
①「主よ」は、尊敬のことば以上のものである。
②彼は、イエスがメシアで、癒やしの力を持っていることを確信していた。
2.42~43節
Luk 18:42
イエスは彼に言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」
Luk 18:43
その人はただちに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て、民はみな神を賛美した。
(1)「見えるようになれ」
①イエスは、ことばによって目の見えない人を癒やされた。
(2)「あなたの信仰があなたを救いました」
①信仰が彼を救ったのではない。
②イエスを信じたので、イエスの力が彼の上に働いたのである。
③彼は、謙遜にあわれみを求めたので、救われた。
*彼は、肉体的にも霊的にも、目が開かれた。
(3)癒やしに対する応答を詳細に記しているのは、ルカだけである。
①見えるようになった人は、神をあがめながらイエスについて行った。
②これを見て、民はみな神を賛美した。
結論
1.目の見えない人と宗教的指導者の対比
(1)目の見えない人の運命
①自らの罪と無力を認識していた。
②イエスはメシアであるという信仰があった。
③イエスのあわれみだけを求めた。
④しつこく、何度も、大声で求めた。
⑤イエスに対する信仰を告白したので、イエスの力が働いた。
⑥肉体の目が見えるようになったのは、霊的救いのしるしであった。
⑦神をあがめながら、イエスについて行った。
⑧それから1週間後に、イエスの十字架上での死を目撃することになる。
(2)宗教的指導者たちの運命
①自らの義を誇り、他者を見下していた。
②イエスをメシアとは信じなかった。
③自己義認の精神で神の前に出ていた。
④しつこく、何度も、イエスに挑戦した。
⑤イエスのメシア性を拒否したので、イエスから呪いのことばを受けた。
⑥肉体の目は見えていたが、霊的には盲目であった。
⑦イエスを十字架につけよと叫んだ。
⑧それから40年後に、エルサレムは滅びることになる。
2.好機を逃すな
(1)いつかまた考えようと、先延ばしにしてはならない。
(2)イエスがエリコを通るのは、これが最後である。
(3)目の見えない人は、最初で最後の機会を有効に捉えた。
(4)2コリ6:1~2
2Co 6:1
私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。
2Co 6:2
神は言われます。/「恵みの時に、わたしはあなたに答え、/救いの日に、あなたを助ける。」/見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。
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