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ルカの福音書(80)パリサイ人と取税人のたとえ話18:9~17
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パリサイ人と取税人のたとえ話について学ぶ。
ルカの福音書 80回
パリサイ人と取税人のたとえ話
18 :9~17
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
*ルカ9:51~19:27
②ルカ18:9~19:27は、「エルサレムへの旅」の結論部分である。
③ルカ18:8
Luk 18:8
あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
④ルカは、「地上に信仰が見られるでしょうか」というテーマを展開する。
*救いは、恵みと信仰による。
*ルカの強調点は、救われるのはどういう人かという点にある。
(2)ルカ18:9~19:27の内容
①パリサイ人と取税人のたとえ話(18:9~14)
②謙遜に関する教え(18:15~17)
③富の弊害(18:18~30)
④受難の予告(18:31~34)
⑤盲人の癒やし(18:35~43)
⑥ザアカイの救い(19:1~10)
⑦ミナのたとえ話(19:11~27)
2.アウトライン
(1)序文(9節)
(2)内容(10~13節)
(3)適用(14節)
(4)謙遜に関する教え(15~17節)
3.結論:3種類の人
パリサイ人と取税人のたとえ話について学ぶ。
Ⅰ.序文(9節)
1.9節
Luk 18:9
自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
(1)イエスは、自分を義人だと自認している人たちに語った。
①パリサイ人たちは、イエスの福音を信じようとはしなかった。
②彼らの特徴は、自己義認である。
③自己義認を特徴とする人は、自分と他者を比較し、優越感を持つ。
④このたとえ話の目的は、彼らを辱めるためではなく、助けるためである。
Ⅱ.内容(10~13節)
1.10節
Luk 18:10
「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
(1)パリサイ人と取税人の対比(10節)
①パリサイ人は、ユダヤ人共同体の中で、最も敬虔だと思われていた人である。
*彼らは、一般論として、イエスとイエスが語る福音を拒否した。
②取税人は、売国奴として最も軽蔑されていた人である。
*彼らは、一般論として、イエスの招きに積極的に応答した。
③宗教的階層から見ると、最高の人と最低の人が祈るために宮に上ったのである。
*前者は義の象徴であり、後者は不義の象徴である。
(2)祈りの場所は、伝統的に神殿である。
①エルサレム近郊に住む人たちは、祈るために神殿に上った。
②神殿は丘の上に建っていたので、そこへは「上って行く」である。
2.11~12節
Luk 18:11
パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
Luk 18:12
私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
(1)パリサイ人の祈りは、祈りではなく自慢である。
①彼は、他人との比較を基準に祈っている。
②「私」という一人称の代名詞を多用している。
(2)道徳的な自慢
①奪い取る者、不正な者、姦淫する者ではない。
②この取税人のようではない。
(3)宗教的な自慢
①週に2度の断食。(木)と(月)に水も飲まない断食をしていた。
*モーセは木曜日に、シナイ山に上ったと信じていた。
*モーセは月曜日に、2度目の律法を受けて山を下ったと信じていた。
②十分の一を献げている。
③すべて完璧である。
3.13節
Luk 18:13
一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
(1)取税人の祈り
①「一方」ということばは、明確な対比を示す。
*「遠く離れて立ち」は、パリサイ人との対比を示す。
②彼は、目を天に向けようともしなかった。
*しかし両手と目を天に向かって上げるのが、普通の祈りの姿勢である。
*自分にそのような価値があるとは思わなかった。
③自分の胸をたたくのは、悲しみの表現である。
(2)「神様、罪人の私をあわれんでください」
①彼は、神の基準に基づいて祈っている。
②彼は、神に向って祈っている。
③彼は、神の恵みによってのみ自分は救われると信じている。
④当時の認識では、パリサイ人の祈りは合格で、取税人の祈りは失格である。
Ⅲ.適用(14節)
1.14節
Luk 18:14
あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
(1)イエスは、当時の認識を逆転させた。
①聖書には、高慢な者は低くされ、低くする者は高くされるという原則がある。
②義と認められたのは、パリサイ人ではなく取税人である。
(2)パリサイ人の祈り
①他の人たちとの比較に基づく祈りである。
②自分の罪は見えないが、他人の罪はよく見えるという祈りである。
③神に届かない、独白のことばである。
(3)取税人の祈り
①神の基準に基づく祈りである。
②自分の罪に焦点を合わせた祈りである。
③自分に誇れる点は何もないという認識から出た祈りである。
④神に届くことばである。
Ⅳ.謙遜に関する教え(15~17節)
1.15節
Luk 18:15
さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。
(1)神の救いを受けるためには、謙遜が必要である。
①ルカは、その実例として、このエピソードを紹介している。
②パリサイ人と取税人のたとえ話と内容はつながっている。
(2)幼子をラビのもとに連れて来るのは、ユダヤ人の習慣であった。
①弟子たちは、幼子を連れて来た親たちを叱った。
②イエスにはもっと重要な使命があると考えたのであろう。
2.16~17節
Luk 18:16
しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
Luk 18:17
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
(1)イエスの応答
①イエスは、弟子たちの誤りを正した。
②イエスは、幼子を連れて来るように親たちを励ました。
(2)イエスは幼子に深い関心を払われた。
①幼子は、神の国に入るために必要な謙遜の実例を示している。
②幼子の特徴は、他者に依存しないと生きていけないという点にある。
③幼子は、与えるよりも受けることによって生存している。
④そういう意味で、幼子は謙遜の実例となっている。
(3)幼子のこの性質を持っていないなら、神の国に入ることはできない。
①自力救済は不可能であるという認識
②神の赦しを受け取る信仰
結論:3種類の人
1.未信者
(1)神に対して幼子の心を持つことができない人たち
①自力救済を模索している人たち
②救いは、恵みと信仰によることを理解できない人たち
(2)エペ2:8~9
Eph 2:8
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
Eph 2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
2.自己義認の性質を残している信者
(1)信仰義認を知っており、救われている人たち
①しかし、依然として自己義認の性質が顔を出す人たち
(2)自己義認の危険性
①プライドを生み出す。
②感謝の心を奪う。
*感謝は、贈り物(恵み)を受けたときに生まれる感情である。
*自分は、その贈り物を受けるに値しないという認識が根底にある。
③他の人たちを軽蔑するようになる。
*他の人たちとの比較が、義の判断の基準となる。
④神の教えを学ばなくなる。
*自己充足している。
*神に信頼しなくてもよくなる。
3.幼子の心を持っている信者
(1)霊的に成長した人たち
①自分が無力であることを認識している。
②神の恵みに信頼を置いている。
(2)神との和解の方法を知っている人たち
①詩51:16~17
Psa 51:16
まことに 私が供えても/あなたはいけにえを喜ばれず/全焼のささげ物を望まれません。
Psa 51:17
神へのいけにえは 砕かれた霊。/打たれ 砕かれた心。/神よ あなたはそれを蔑まれません。
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