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ルカの福音書(79)懇願するやもめのたとえ話18:1~8
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継続した祈りの重要性について学ぶ。
ルカの福音書 79回
懇願するやもめのたとえ話
18 :1~8
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ17章のテーマは、弟子道に関する教えである。
*これは、神の国が成就することを前提とした逆転の発想である。
③それに続いて、神の国と再臨のテーマが語られる。
(2)ルカ17:20~18:8の内容
①パリサイ人たちの質問とイエスの短い回答(20~21節)
②弟子たちに向けた長い教え(22~37節)
③懇願するやもめのたとえ話(18:1~8節)
2.アウトライン
(1)序文(1節)
(2)内容(2~5節)
(3)適用(6~8節)
3.結論:祈りの背後にある信仰
(1)天の父は良い方であるという信仰
(2)苦難の中にいる人たちを思いやる信仰
(3)再臨を待ち望む信仰
継続した祈りの重要性について学ぶ。
Ⅰ.序文(1節)
1.1節
Luk 18:1 いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。
(1)イエスは、弟子たちに向けてこのたとえ話を語っている。
①章の区分に惑わされてはならない。
②文脈上は、「神の国と再臨」の教えの結論となっている。
③これは、初臨と再臨の間の期間も、忠実に生きるようにという励ましである。
④ルカは、やもめを頻繁に取り上げる(他の3つの福音書の合計よりも多い)。
(2)たとえ話の目的が最初に提示されている。
①いつでも祈るべきである。
②失望してはならない。
③背景には、初臨と再臨の間の「長くて困難な時期」がある。
④再臨の時、メシアはすべての不公平を正される。
⑤それゆえ、いかなる状況にあっても、神の恵みを求めて祈るべきである。
⑥ユダヤ人たちは、祈りは日に3度に限定していた。
Ⅱ.内容(2~5節)
1.2~3節
Luk 18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
Luk 18:3 その町に一人のやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私を訴える人をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
(1)裁判官の登場(2節)
①「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた」
②彼がユダヤ人か、ローマ人かは、重要なポイントではない。
③やもめが訴えているので、下級裁判所の裁判官であろう。
④紀元1世紀のパレスチナでは、金銭上の争いは、1人の裁判官が扱った。
(2)旧約の律法では、裁判官(さばき司、長老、長)は神を恐れなければならない。
①彼の役割は、律法を破る者、弱者を搾取する者を裁くことである。
②彼は、弱者の権利を擁護する神の代理人である。
③このたとえ話に登場する裁判官は、それとは正反対の人物である。
*すべての行動の動機は、自分の利益である。
④聴衆は、「そういうのが、いるいる」と、ニヤッと笑ったはずである。
*今も、社会の頂点にいながら、自分の利益しか考えない指導者はいる。
(3)やもめの登場(3節)
①やもめは、裁判官とは対照的な人物である。
②旧約の律法では、やもめは抑圧された階層の代表である。
*収入の道は閉ざされていた。
*彼女は、裁判官に賄賂を支払うこともできない。
③このたとえ話では、やもめは寄る辺ないイスラエルの民の象徴である。
(4)「彼のところにやって来ては、」(エルコマイ)の時制は、未完了形である。
①繰り返しやって来た。
②裁判官から見ると、しつこい女である。
③カナン人の女の例(マタ15:22)
(5)「私を訴える人を裁いて、私を守ってください」
①「エクディケオウ」は、正義を行う、ある人の権利を守るなどの意味。
②恐らく、不当な理由で土地か家を奪われそうになっていたのだろう。
③裁判官に正当な裁きを求めたが、聴衆は「むり、むり」と思ったはず。
2.4~5節
Luk 18:4 この裁判官はしばらく取り合わなかったが、後になって心の中で考えた。『私は神をも恐れず、人を人とも思わないが、
Luk 18:5 このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、私は疲れ果ててしまう。』」
(1)予想外の展開が起こる。
①裁判官は、こういうケースは放置するのが常であった。
*自分の益にならないから。
*やもめが不当な仕打ちを受けているという事実は、彼を動かさなかった。
②裁判官の独白
*「私は神を恐れず、人を人とも思わない」
*「彼女のために裁判をしてやることにしよう」
*「私は疲れ果ててしまう」
・「ヒュポヒアゾウ」(目の下を打つ)(目に隈を作る)
・肉体の傷ではなく、社会的評価のことである。
(2)神がこの裁判官のようだというのではない。
①不正な裁判官でも、やもめの懇願によって行動を起こした。
②ましてや、恵み深い神が行動を起こさないはずがない。
Ⅲ.適用(6~8節)
1.6~7節
Luk 18:6 主は言われた。「不正な裁判官が言っていることを聞きなさい。
Luk 18:7 まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。
(1)イエスは、価値ある真理を教えるために悪人の例を用いることがあった。
①不正な管理人のたとえ話(ルカ16:1~13)
(2)カル・バホメル(大から小へ)の議論
①不正な裁判官でも、やもめの執拗な願いに答える。
②ましてや、天の父はなおさら、信じる者たちの祈りを聞いてくださる。
③「選ばれた者たち」を厳密に解釈すると、患難期の少数のユダヤ人信者である。
④もちろん、神の助けがあるという真理は、どの時代の信者にも適用される。
⑤それゆえ、私たちも神の助けを求めて祈るべきである。
2.8節
Luk 18:8 あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
(1)再臨を前提とした適用
①携挙ではなく再臨の時、神の敵は裁かれる。
②修辞的質問:「はたして地上に信仰がみられるでしょうか」
③これは、やもめが発揮したような信仰を持ちなさいという警告である。
④すでに神の国は成就しているという教えは、非聖書的である。
⑤試練の中でも、「御国を来たらせたまえ」と祈り続けることが信仰である。
結論:祈りの背後にある信仰
1.天の父は良い方であるという信仰
(1)懇願するやもめのたとえ話の視点
①「ましてや神は……」と考えるのは、正しい。
②「だから祈り続けるべきだ」と考えるのも、正しい。
③しかし、最も重要な視点は、「天の父は良い方である」というものである。
④天の父は、私たちの祈りを聞きたいと願っておられる。
(2)祈りとは、唇の運動のことではない。
①それは、心の在り方のことである。
②父なる神への全面的な信頼がもたらす、心の在り方である。
2.苦難の中にいる人たちを思いやる信仰
(1)この世界に住む弱い人たちのために祈る。
①自分の必要の枠を飛び越えた祈りである。
(2)この世界に広がる悪を阻止するために祈る。
①真実な祈りには、行動が伴う。
3.再臨を待ち望む信仰
(1)すぐに祈りが聞かれない場合がある。
①その背後には、神だけが知っておられる理由がある。
②再臨を待ち望む信仰は、今を生きる力となる。
(2)再臨の時に、あらゆる不義と不公平は、正される。
①すぐに祈りが聞かれなくても、継続した祈りを献げることができる。
(3)ロマ8:26
Rom 8:26 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
①ことばにならなくても、祈りは父なる神に届いている。
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