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メシアの生涯(58)—たとえ話による結論—
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このメッセージは、山上の垂訓の総まとめについて学ぼうとするものである。
「たとえ話による結論」
§054 マタ7:13~8:1
1.はじめに
(1)山上の垂訓の構成
*ATロバートソンは、8つに区分している。
①八福の教え(5:3~12)
②メシアの義とパリサイ人の義(5:13~20)
③メシアの義の6つの例(5:21~48)
④義の実行の3つの例(6:1~18)
⑤神への献身(6:19~34)
⑥他者を裁くこと(7:1~6)
⑦祈りと黄金律(7:7~12)
⑧たとえ話による結論(7:13~8:1)
(2)きょうは、⑧を取り上げる。
①山上の垂訓は、メシアによるモーセの律法の解釈である。
②イエスは特に、口伝律法(ミシュナ)を否定された。
③きょうの箇所は、山上の垂訓の総まとめである。
「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサ
イ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません」
(マタ5:20)
④パリサイ人の義と信仰による義が対比されている。
⑤きょうの箇所では、4つの対比が出て来る。
⑥これらの対比は、強い警告の言葉になっている。
2.アウトライン
(1)2つの道(13~14節)
(2)2本の木(15~20節)
(3)2種類の告白(21~23節)
(4)2人の建築家(24~27節)
3.結論:山上の垂訓のまとめ
このメッセージは、山上の垂訓の総まとめについて学ぼうとするものである。
Ⅰ.2つの道(13~14節)
1.ユダヤ教では、2つの道は良く知られた教えであり、格言である。
(1)申30:19~20a
「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、
祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなた
の子孫も生き、あなたの神、【主】を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ」
(2)エレ21:8
「あなたは、この民に言え。【主】はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの
前に、いのちの道と死の道を置く』」
(3)詩1篇も、2つの道について歌っている。
2.門と道は、ともに主イエスが使用した比ゆ的言葉である。
(1)ヨハ10:9
「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに
出入りし、牧草を見つけます」
(2)ヨハ14:6
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたし
を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」
3.13~14節
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこ
から入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだ
す者はまれです」
(1)大きな門と広い道
①古代都市の城壁と門
②正面にある門は大きく、多くの人が出入りできる。
③大きな門は広い道につながっている。
④広い道は、多くの人が行き来する道である。
(2)大きな門と広い道は、パリサイ人の義である。
①パリサイ人たちは、ユダヤ人として生まれたなら、天の御国に入れると教えて
いた。
②律法による外面的義を求めていた。
③口伝律法をどれだけ実践したかで、御国での報酬が決まると考えていた。
④それが大きな門であり、広い道である理由は、多くの人がそれを採用するから。
(3)狭い門と狭い道
①裏側にある門は狭く、少人数の人しか通れない。
②狭い門は狭い道につながっている。
③狭い道には、人影がまばらである。
(4)狭い門と狭い道は、信仰による義である。
①モーセの律法が要求する義の規準
②この段階では、イエスをメシアと信じる信仰による義である。
③狭い門と狭い道は、イエス・キリストだけが救いの道であることを示している。
Ⅱ.2本の木(15~20節)
1.15節
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な
狼です」
(1)にせ預言者の存在
①ユダヤ人たちは、真の預言者が今も存在するとは信じていなかった。
②しかし、にせ預言者の系譜は依然として続いていると信じていた。
③ここでのにせ預言者とは、にせ教師のことである。
④にせ教師は、誤った教理を教え、狭い門と狭い道を広げようとする。
(2)にせ預言者の風貌
①外側は羊のように柔和で無害である。
②内側は狼のように貪欲で危険である。
2.16~18節
「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取
れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良
い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、
また、悪い木が良い実をならせることもできません」
(1)にせ預言者の見分け方
①実によって彼らを見分ける。
②これは、単純な見分け方である。
③これは、確実な見分け方である。
④これは、普遍的に適用できる見分け方である。
(2)たとえ
①ぶどうといちじくは、大量に消費される有益な産物である。
②いばらとあざみは、農業に有害なものである。
③よい実が有害な植物から取れるはずがない。
(3)大原則
①良い木は、良い実を結ぶ。
②良い木は、信仰による義を獲得した人たちである。
③悪い木は、悪い実を結ぶ。
④悪い木は、にせ教師たちである。
3.19~20節
「良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あ
なたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです」
(1)にせ教師たちの運命は、火に投げ込まれることである。
①永遠の滅びである。
(2)「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです」
①16節と同じ言葉の繰り返しである。
②文学的手法で、この語句が括弧の役割を果たしている。
Ⅲ.2種類の告白(21~23節)
1.21節
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天にお
られるわたしの父のみこころを行う者が入るのです」
(1)口先だけの告白は、パリサイ人の義である。
①にせ教師たちは、外面的な現れにこだわった。
(2)「天におられるわたしの父のみこころを行う者」は、信仰による義を獲得した者
である。
①イエスは父なる神を、「天におられるわたしの父」と呼ばれた。
2.22~23節
「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名
によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたく
さん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わた
しはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け』」
(1)超自然的な現象が起こっても、それが神からのものとは限らない。
①エジプトの魔術師たち
②奇跡の源がサタンだということもある。
(2)もしそれが神からのものだとしても、それは信仰の証明とはならない。
①最大の問題は、その人がメシアを知らないことである。
②メシアもまた、その人を知らないと言われる。
(3)「その日には」とは、終末的裁きの日のことである。
Ⅳ.2人の建築家(24~27節)
1.24~25節
「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建
てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打
ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです」
(1)賢い建築家
①イエスのことばを聞いてそれを行う者
②信仰による義を獲得している人
③信仰が行動に結びついている。
(2)岩の上に家を建てる
①岩とは、メシアのことである。またメシアによる旧約聖書の解釈のことである。
②信仰による義を土台に、人生を築くことである。
③その家は、何が起きても、破壊されることはない。
④裁きの日にも、壊れることはない。
2.26~27節
「また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を
建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家
に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした」
(1)愚かな建築家
①イエスのことばを聞いても、それを実行に移さない人
②パリサイ人の義を追求している人
③外面だけを整えようとしている人
(2)砂の上に家を建てる
①砂の上とは、ワジのことである。
②砂とは、パリサイ人の教えのこと、口伝律法のことである。
③その家は、裁きの日には崩れ去る。
3.7:28~8:1
「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、
イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った」
(1)イエスの教えは、革命的であった。
①律法学者の教えとは異なる。
②権威ある教えであった。
③多くの群衆が、その教えに感動を覚えた。
結論:山上の垂訓のまとめ
1.イエスの教えの特徴
(1)愛
(2)いのち
(3)動き
(4)絵【たとえ話】
(5)オーソリティ(権威)
2.山上の垂訓のまとめ
(1)メシアによる律法の義の解釈は、パリサイ人による律法の義の解釈とは異なっ
ていた。
①内面の重視か、外面の重視か。
(2)メシアは、パリサイ的ユダヤ教を否定された。
①これが、パリサイ人たちがイエスを公に拒否することにつながる。
(3)山上の垂訓は、知恵ある者と愚かな者を2分する。
①神の目から見て知恵ある者
*この世からは、愚かな者と見られる。
*その人は、メシアにだけ信頼を置いて生きる。
*その人は、内的変化を経験した結果、行動が変化する。
②この世から見て知恵ある者
*神からは、愚かな者と見られる。
*その人は、目に見えるものしか信用しない。
*その人は、悔い改めを知らない。
*その人は、今という時のためにだけ生きている。
*その人は、自分のためにだけ生きている。
(4)イエスが示した2つの道
①救いか、滅びか。
②豊かなクリスチャン生活か、実りの少ないクリスチャン生活か
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