私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(56)—神への献身—
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このメッセージは、神への献身について学ぼうとするものである。
「神への献身」
§054 マタ6:19~34
1.はじめに
(1)山上の垂訓の構成
*ATロバートソンは、8つに区分している。
①八福の教え(5:3~12)
②メシアの義とパリサイ人の義(5:13~20)
③メシアの義の6つの例(5:21~48)
④義の実行の3つの例(6:1~18)
⑤神への献身(6:19~34)
⑥他者を裁くこと(7:1~6)
⑦祈りと黄金律(7:7~12)
⑧たとえ話による結論(7:13~8:1)
(2)きょうは、⑤の神への献身を取り上げる。
①これらの内容の多くは、後になって教会時代にも適用されるものである。
②しかし、ここでのイエスの説明は、モーセの律法の意図を解説したものである。
③イエスは特に、口伝律法(ミシュナ)を否定された。
2.アウトライン
(1)お金について(19~24節)
(2)思い煩いについて(25~34節)
3.結論:現代的適用
このメッセージは、神への献身について学ぼうとするものである。
Ⅰ.お金について(19~24節)
1.19~21節
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、ま
た盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびも
つかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの
心もあるからです」
(1)ユダヤ的背景
①ユダヤ教では、物質的豊かさは、神の祝福を受けていることの証拠となった。
②彼らは、「神は、愛する者を富ませる」と教えていた。
③それゆえ、パリサイ人たちは熱心に富を追及した。
(2)裕福なユダヤ人たちの財産管理法
*盗人に盗まれないために
①両替人に投資をする。
②神殿に預ける。
*いかなる盗人でも、神のものを盗むことには抵抗があった。
③地下に埋めたり、洞窟に隠したりした。
*その場合、衣服には虫が付く。
*金属にはさびが付く。
(3)天に宝を蓄える。
①地上の宝は一時的である。
②ヤコ5:1~3
「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫び
なさい。あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、
あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、
あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝
をたくわえました」
③しかし、天に蓄えられた宝は永遠である。
④天に宝を蓄えるとは、永遠に価値あることのために、才能、時、金などを用い
ることである。
⑤天に宝があれば、私たちの心もそこにある。
*バランスの取れた人生観を持つようになる。
*物に対する執着も、将来への不安もなくなる。
2.22~23節
「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るい
が、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの
光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう」
(1)訳文の比較
①「からだのあかりは目です」(新改訳)
②「体のともし火は目である」(新共同訳)
③「目はからだのあかりである」(口語訳)
(2)ユダヤ的背景
①多くの人が、目から光が出て、ものが見えるようになると考えていた。
*つまり、目がランプの役割を果たしていると考えていたのだ。
*目から光が入るという考え方もあった。
*ここでは、その両方の考え方が反映されている。
②「目が健全なら」:英語で「single」である。
③「目が悪ければ」:英語で「evil」である。
④寛容な人と、貪欲な人が対比されている。
(3)お金に関して正しい視点を持たなければ、その人の人生は暗いものになる。
①その人は、ランプなしで夜道を歩いているかのようだ。
②またその人は、外光が入らない家に住んでいるかのようだ。
3.24節
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方
を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕え
るということはできません」
(1)ふたりの主人が、ひとりの奴隷を共有することはない。
①奴隷に対する要求がぶつかり合う。
(2)ひとりの奴隷が、ふたりの主人に仕えることもない。
①どちらかを優先させることになる。
(3)人は、神と富の両方に仕えることはできない。
①「富」は「マモン」である。
②ギリシア語では「マモウナス」である。
*元の意味は、「自信」「確信」、英語の「confidence」である。
*比ゆ的に「富」を現す。擬人法的使用。
*それが神格化され、偶像となる。
③金持ちは、自信がある。自身の源は、「マモン」という偶像である。
④問うべきは、「私は物質に仕えているのか、神に仕えているのか」である。
Ⅱ.思い煩いについて(25~34節)
1. 25節
「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何
を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけ
ません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではあり
ませんか」
(1)思い煩いは、神に信頼していない人の心の状態である。
①ここで取り上げられているのは、きょうの食事や衣服のことではない。
②5年後、10年後、20年後への不安である。
(2)当時の庶民の生活
①生活の必需品しか持っていない人が大半であった。
②パレスチナでは雨が、エジプト人ではナイル川の氾濫が、食物を提供した。
③人々は、毎年、思い煩いの中にいた。
2.26~27節
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれ
ども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、
もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、
自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」
(1)ここは、カル・バホメル(大から小へ)の議論である。
①ユダヤ的教授法である。
(2)空の鳥が大である。
①被造の世界の動物たちは、意識的に生産活動をしているわけではない。
②しかし、神は彼らを養ってくださる。
(3)人が小である。
①人は鳥よりも優れている。
②それゆえ、神が人を養ってくださるのは、より容易である。
(4)これは、労働を否定したり、怠惰を奨励したりしているのではない。
①2テサ3:10には、「働きたくない者は食べるな」という言葉がある。
②ましてや、あなたがたの場合は、労働に従事しているのだから…。
(5)心配しても、寿命は延びない。
3.28~30節
「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさ
い。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮め
たソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっ
ても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ま
してあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち」
(1)野のゆり(野の花)が大である。
①恐らくアネモネであろう。
②アネモネの紫色とソロモンの王服の色が対比されている。
③野の花は、労せずして美しく着飾っている。
④野の花は、枯れると炉に投げ込まれる。
⑤そのような野の花がこれほど着飾っているのである。
(2)人が小である。
①人は、野のゆりよりも優れている。
②それゆえ、神が人によくしてくださるのは、容易なことである。
4.31~34節
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配する
のはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、
あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だ
から、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらの
ものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが
心配します。労苦はその日その日に、十分あります」
(1)神を知らない異邦人は、富の追求だけで人生を終える。
(2)思い煩いへの処方箋
①天の父は、私の必要をすべてご存じである。
②「神の国とその義をまず第一に求める」
*神の支配と神の御心を優先させる。
*その人には、必要なものが与えられる。
(3)信者の基本的な人生観
①将来のことを心配しない。
②きょうという日を、精一杯生きる。
5.ここに書かれていることは、絶対的な原則ではない。
(1)迫害の時には、信仰者は物質的欠乏や、時には死を経験することさえある。
(2)しかし、信仰者の魂は害から守られる。
結論:
1. きょうのテーマは、「将来の生活の保証」である。
(1)これは、極めて現代的テーマでもある。
(2)物質の重要性を否定してはならない。
(3)バランスを崩すことが問題なのである。
(4)将来への不安は、不信仰から出ている。
(5)不信仰が能動的に働くと、富の追及に至る。
(6)不信仰が受動的に働くと、思い煩いに至る。
2.能動的不信仰
(1)マタ6:21
「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」
①地上の富に心が囚われているなら、その人の心は地上にある。
②天に宝を蓄えている人の心は、天上にある。
③富に仕えている人の問題は、本来あるべき人生を生きていないことにある。
3.受動的不信仰
(1)マタ6:30
「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくだ
さるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たち」
①思い煩いは、信仰の問題である。
4.物質主義と思い煩いが否定される理由
(1)神から与えられた人生も、その目的も、破壊されるから。
(2)神を愛し、神を礼拝し、神に仕えることが、人生の目的である。
(3)神は、私たちがその日その日を、喜んで生きることを願っておられる。
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