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ルカの福音書(70)食卓での諸々の教え(2)14:12~24
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食卓での諸々の教え(2)について学ぶ。
ルカの福音書 70回
食卓での諸々の教え(2)
14:12~24
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ13:18から、中心テーマが「神の国」に変わった。
③神の国とは、メシア的王国(千年王国)のことである。
(2)ルカ13:18~14:35の内容
①神の国のたとえ話(13:18~21)
②神の国への入国(13:22~30)
③神の国の延期(13:31~35)
④食卓での諸々の教え(14:1~24)
*水腫の人の癒やし(1~6節)
*結婚の披露宴のたとえ話(7~11節)
*客を招くときの教訓(12~14節)
*盛大な宴会のたとえ話(15~24節)
⑤弟子の代価(14:25~35)
(3)注目すべき点
①4つの教えは、パリサイ人の家での食卓でイエスが語ったものである。
②直前の文脈を見ると、イエスはエルサレムの崩壊を予告された(13:35)。
Luk 13:35
見よ、おまえたちの家は見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。おまえたちが/『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』/と言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」
③ここでは、その原因がリーダーたちにあることが明らかになる。
2.アウトライン
(3)客を招くときの教訓(12~14節)
(4)盛大な宴会のたとえ話(15~24節)
3.結論
(1)客を招くときの教訓が教える霊的真理
(2)現代版「盛大な宴会のたとえ話」
食卓での諸々の教え(2)について学ぶ。
Ⅲ.客を招くときの教訓(12~14節)
1.12節
Luk 14:12
イエスはまた、ご自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しをすることがないようにするためです。
(1)結婚の披露宴のたとえ話(7~11節)は、客たちに向けたものであった。
①謙遜は、神の国での重要な資質の1つである。
②人は、自分で上席を選ぶことはできない。
③自らを低くする(イエスの弟子になる)なら、神が高く上げてくださる。
(2)客を招くときの教訓(12~14節)は、主人に向けたものである。
①社会的側面
②霊的側面
(3)イエスは、お返しができる人たちを呼んではならないと言われた。
①お返しができる人たちを招いた場合は、お返しを受けるだけで終わる。
2.13~14節
Luk 14:13
食事のふるまいをするときには、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。
Luk 14:14
その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」
(1)主人が食事に招くべき人たちとは、お返しができない人たちである。
①貧しいひとたち
②からだの不自由な人たち
③足の不自由な人たち
④目の見えない人たち
(2)この原則は、神が罪人を神の国に招く時の原則と同じである。
①神は、無価値な者を招いておられる。
*イエスの奉仕の特徴は、貧しい人たちを招くことであった。
②これによって、神は栄光をお受けになる。
③ルカ4:18~19
Luk 4:18
「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
Luk 4:19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
(3)貧しい人たちを招いた主人は、義の行いをしたことになる。
①その主人は、義人の復活のときに、神から報いを受ける。
*この主人は、信者である。
*この主人の行動は、信仰から出たものである。
②訳文の比較
「あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです」(新改訳2017)
「正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる」(新共同訳)
「正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」(口語訳)
③ここでのイエスの教えは、深遠な霊的真理を含んでいる。
Ⅳ.盛大な宴会のたとえ話(15~24節)
1.15節
Luk 14:15
イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。 「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
(1)客の一人が、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。
①彼は、イエスが神の国の宴会について教えていることを理解した。
②彼は、自分はその宴会の席に招かれると確信していた。
③神の国の宴会に招かれるのは、パリサイ人の特権であると思っていた。
(2)イエスは、この機会を捉えて、誰が神の国に入るのかについて教える。
①ここでも、謙遜の重要性が教えられる。
2.16~17節
Luk 14:16
するとイエスは彼にこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招いた。
Luk 14:17
宴会の時刻になったのでしもべを遣わし、招いていた人たちに、『さあ、おいでください。もう用意ができましたから』と言った。
(1)このたとえ話の意味
①主人は、神に対応している。
*神は、メシア的王国を準備された。
②しもべは、イエスに対応している。
*御子イエスは、神の国の到来を宣言し、人々を招かれた。
③招かれたのは、主にユダヤ人である。
*彼らは、「招いていた人たち」である。
④イエス時代、宴会の準備には時間がかかった。
*神は、時間をかけて御国の宴会の準備をしておられた。
3.18~20節
Luk 14:18
ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、見に行かなければなりません。どうか、ご容赦ください。』
Luk 14:19
別の人はこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです。どうか、ご容赦ください。』
Luk 14:20
また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』
(1)ところが、みな同じように断り始めた。
①断りの理由が3つ、代表例として挙げられている。
②これ以外にも、多くの理由が考えられる。
③これは、優先順位をどうするかという問題である。
(2)3つの理由
①「畑を買ったので、見に行かなければなりません」
*この人は、土地の所有者となったことを誇っている。
*この人は、共同体の中で尊敬を受けることを期待している。
②「五くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです」
*この人は、宴会への招きよりも、新しく手に入れが牛に興味がある。
*この2人は、買う前に十分吟味していたはずである。
*買ってからも吟味しようとするのは、物欲に支配されているからである。
③「結婚したので、行くことができません」
*この人は、宴会への招きよりも、人間関係を優先させた。
4.21~22節
Luk 14:21
しもべは帰って来て、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい。』
Luk 14:22
しもべは言った。『ご主人様、お命じになったとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』
(1)主人が怒るのは、当然のことである。
①主人は、恵みによる招きを与えていた。
②主人は、大きな犠牲を払って宴会の準備をしてきた。
③拒否は、主人に対する侮辱である。
④この招きを拒否したのは、イエス時代の宗教的指導者たちである。
(2)「急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人 たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい」
①そこで主人は、指導者たちが見下していた者たちを招くことにした。
②宴会の準備ができているので、急いで新たな客を招く必要があった。
③多くの人が招きに応答したが、まだ席に余裕があった。
④そこで主人は、意外な人たちまで招くことにした。
5.23~24節
Luk 14:23
すると主人はしもべに言った。『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。
Luk 14:24
言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいません。』」
(1)当時の習慣では、客が全員揃うまで宴会は始まらない。
①そこで主人は、しもべを町の外まで遣わすことにした。
②「街道や垣根のところ」にいる人たちとは、異邦人である。
*彼らは、町から遠く離れた所にいる。
*彼らは、契約から遠く離れた人たちである。
③「無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい」
*意志に反してという意味ではなく、熱心に招くことである。
(2)「あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいません」
①最初から招かれていた人たちは、不信仰のゆえに、神の国から除外される。
②それとは対照的に、契約の外にいた異邦人が招かれる。
③異邦人の救いは、ルカの福音書と使徒の働きを貫くテーマである。
結論
1.客を招くときの教訓が教える霊的真理
(1)お返しができない人たちを招くべきである。
(2)霊的真理
①その原則を実行する人は、信者である。
②彼の行為は、信仰から出たものである。
③彼には復活が約束されている。
④それが成就するのは、携挙が起こったときである。
⑤彼は、神からの報いを受ける。
⑥キリストの御座の裁きにおいて、それが起こる(1コリ3:12~15)。
2.現代版「盛大な宴会のたとえ話」
(1)山田さんは、新築祝いを計画した。
①上司A、同僚B、部下Cを招いた。
②妻は、3日間かけて食事の準備をした。
(2)祝いの当日、彼らに声をかけた。
①上司Aは、高層マンションを買ったので見に行かなければならないという。
②同僚Bは、大口の契約を結んだので、内容を確認する必要があるという。
③部下Cは、新婚なので妻と時間を過ごしたいという。
(3)その知らせを聞いて、妻は激怒した。
①上司Aは、物欲に支配されている。
②同僚Bは、ビジネスを優先させている。
③部下Cは、人間関係を優先させている。
(4)妻は、新たに客を招くことにした。
①ご近所の人たちを招く。
②さらに、ホームレスの人たちを招く。
(5)今も、多くの人たちがイエスの招きを断っている。
①物欲、仕事、人間関係
②これは、救いを用意してくださった神への侮辱である。
(6)現代版のたとえ話には、重大な欠陥がある。
①神の国の宴会への招きと、新築祝いへの招きは、大いに異なる。
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