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ルカの福音書(71)弟子の代価14:25~35
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弟子の代価について学ぶ。
ルカの福音書 71回
弟子の代価
14:25~35
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ13:18から、中心テーマが「神の国」に変わった。
③神の国とは、メシア的王国(千年王国)のことである。
(2)ルカ13:18~14:35の内容
①神の国のたとえ話(13:18~21)
②神の国への入国(13:22~30)
③神の国の延期(13:31~35)
④食卓での諸々の教え(14:1~24)
⑤弟子の代価(14:25~35)
(3)注目すべき点
①食卓での諸々の教えのテーマは、「神の国への招待」であった。
*その招待を受け入れれば、誰でも神の国に入ることができる。
②ここでのテーマは、「弟子の代価」である。
*主イエスの弟子となるためには、犠牲が伴う。
③バランスの取れた理解が必要である。
*救いは無代価であるが、弟子となるためには犠牲が伴う。
2.アウトライン
(1)弟子となるための条件(25~27節)
(2)塔を建てる人のたとえ話(28~30節)
(3)戦いに備える王のたとえ話(31~33節)
(4)まとめ(34~35節)
3.結論
(1)1コリ3:11~15
(2)マタ27:39~40
弟子の代価について学ぶ。
Ⅰ.弟子となるための条件(25~27節)
1.25節
Luk 14:25
さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。
(1)前回の教えの舞台は食卓であったが、ここでは異なった舞台設定が用意される。
①イエスはエルサレムに向って旅をしている。
②大勢の群衆がイエスといっしょに歩いていた。
③そこには、弟子とそうでない者が混じっていた。
*興味本位の人たちがいた。
*イエスの奉仕から益を得ようとしている人たちもいた。
*彼らは、イエスから学ぼうとしていたわけではない。
④教会が抱える問題は、信者はいても、弟子が少ないということである。
(2)イエスは、振り向いて彼らに言われた。
①イエスは、弟子となるための2つの条件を教える。
②「弟子の代価」に関しては、9:57~62ですでに語られていた。
③この文脈では、神の国の成就を前提に、「弟子の代価」が教えられる。
2.26節
Luk 14:26
「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。
(1)条件1:家族関係や自分自身を優先させない。
①ここでの「憎む」ということばは、ヘブル的誇張法である。
*このことばは、感情的な状態を意味しない。
*家族を憎むことは、律法違反である。
*このことばは、優先させないという意味である。
②イエスは自己愛の重要性を教えた(ルカ10:27)。
Luk 10:27
すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
③ヘブル的誇張法の例(創29:31)
Gen 29:31 【主】はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。
3.27節
Luk 14:27
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
(1)条件2:犠牲を払ってイエスに従う。
①イエスの弟子は、イエスが経験したような辱めや試練に遭う。
②イエスの弟子は、イエスがされたように、死に至るまで忠実に歩む。
③ローマ時代、公に辱めを与えるために、十字架を負わせた。
(2)ルカは、マタイよりも詳しくこの教えを記録している。
①ルカは、異邦人読者を意識しながら書いている。
②迫害を視野に、異邦人信者により大きな励ましを与えようとしている。
(3)イエスは、弟子の心構えを教えるために、2つのたとえ話を語る。
①塔を建てる人のたとえ話
②戦いに備える王のたとえ話
Ⅱ.塔を建てる人のたとえ話(28~30節)
1.28節
Luk 14:28
あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。
(1)イエスは、弟子になることを考えている人たちに語りかけた。
①目的は、弟子になることを思いとどまらせることではない。
②よく考えてから決断せよという励ましを与えることである。
③2つの前提がある。
*信仰によって救われたなら、その救いが取り消されることはない。
*弟子としての生活を初めても、途中でそれを放棄する可能性はある。
(2)塔を建てる人のたとえ話
①ある人が、農地に塔を建てようとしている。
②群衆の中には多くの農夫がいたので、このたとえ話はよく理解できた。
③その場合、工事を始める前に費用を計算する必要がある。
2.29~30節
Luk 14:29
計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、
Luk 14:30
『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。
(1)費用を計算しないなら、土台を据えただけで終わる。
①群衆の中には、そういう例をいくつか見てきた者たちもいたことであろう。
(2)その場合、その人は、見ていた人たちから軽蔑されることになる。
①誇り高き中東文化のもとでは、あざけりを受けることは、社会的死を意味する。
Ⅲ.戦いに備える王のたとえ話(31~33節)
1.31節
Luk 14:31
また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうか、まず座ってよく考えないでしょうか。
(1)このたとえ話も、費用計算の重要性を教えている。
①この場合は、肉体的死にかかわる問題である。
②群衆は、容易に自らを王の立場に置くことができた。
(2)2万人の敵が向って来る。
①自軍には1万人しかいない。
②戦いに勝てるかどうかを慎重に吟味するのは、当然のことである。
2.32節
Luk 14:32
もしできないと思えば、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和の条件を尋ねるでしょう。
(1)勝てないと思えば、別の方法を考える。
①敵が遠くにいる間に、和平交渉を開始する。
②これは、しっかりと費用を計算した結果出した結論である。
(2)イエスは、弟子になることを止めさせようとしているのではない。
①幼稚な状態ではなく、深い理解をもって弟子になることを勧めたのである。
②弟子は、ピクニックではなく、霊的戦いに招かれている。
3.33節
Luk 14:33
そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。
(1)ここで、2つのたとえ話の適用が語られる。
①「自分の財産すべてを捨てなければ」とは、どういう意味なのか。
*12弟子たちも、多少の財産は持っていた。
*それゆえ、これは誇張法と理解すべきである。
②弟子になるためには、物質主義から解放される必要があるということである。
*12弟子たちは、それを実行していた。
*イエスは、財産管理の重要性について教えておられる(ルカ16:1~12)。
③信者になることと、弟子になることは、別の問題である。
*誰もが、福音を信じれば信者になることができる。
*弟子になれるのは、犠牲を払う人だけである。
Ⅳ.まとめ(34~35節)
1.34~35節
Luk 14:34
塩は良いものです。しかし、もし塩が塩気をなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。
Luk 14:35
土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられます。聞く耳のある者は聞きなさい。」
(1)イエスは、弟子を塩にたとえる。
①当時、塩は貴重品であった。
②特に、調味料や腐敗防止剤として用いられた。
③当時の塩は、岩塩であった。
④時間の経過とともに、岩塩は塩分を失い、残渣物だけになる。
⑤そうなると、岩塩はなんの役にも立たなくなる。
⑥岩塩は、肥料の発酵を抑制するためにも用いられていた。
⑦役立たずになった岩塩は、外に投げ捨てられるだけである。
(2)弟子も塩分を失えば、外に投げ捨てられる。
①弟子が持っている塩分とは、イエスに対する忠誠心である。
②これは、救いを失うという意味ではなく、報賞を失うということである。
*弟子が受ける報賞(神の国での地位)を失う。
*より重要な奉仕につく機会を奪われる。
結論
1.1コリ3:11~15
1Co 3:11
だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
1Co 3:12
だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、
1Co 3:13
それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
1Co 3:14
だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
1Co 3:15
だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。
(1)忠実な弟子は、報いを受ける。
(2)そうでない者は、救いを失うことはないが、損害を受ける。
(3)これは、キリストの御座の裁きで起こることである。
2.マタ27:39~40
Mat 27:39
通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。
Mat 27:40
「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
(1)群衆は、イエスの計画は途中で終わったと思った。
①十字架上のイエスは、群衆のあざけりを受けた。
(2)しかしイエスは、主のしもべとしての犠牲を払っておられた。
①主のしもべイエスは、死に至るまで忠実であった。
(3)それゆえ、父なる神は、イエスの名を高く上げられた。
①イエスは、父なる神の計画を完成しておられたのである。
(4)イエスの弟子になりたいと思う動機はなにか。
①イエスの愛に対する感謝の表現が、弟子になるということである。
②イエスの弟子として報賞を受けたいからである。
(ILL)米国留学に憧れた青春時代
①価値ある目標
②達成するための方法と犠牲の計算
③努力の継続
④動機の確認
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