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ルカの福音書(69)食卓での諸々の教え(1)14:1~11
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食卓での諸々の教え(1)について学ぶ。
ルカの福音書 69回
食卓での諸々の教え(1)
14:1~11
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ13:18から、中心テーマが「神の国」に変わった。
③神の国とは、メシア的王国(千年王国)のことである。
(2)ルカ13:18~14:35の内容
①神の国のたとえ話(13:18~21)
②神の国への入国(13:22~30)
③神の国の延期(13:31~35)
④食卓での諸々の教え(14:1~24)
*水腫の人の癒やし(1~6節)
*結婚の披露宴のたとえ話(7~11節)
*客を招くときの教訓(12~14節)
*盛大な宴会のたとえ話(15~24節)
⑤弟子の代価(14:25~35)
(3)注目すべき点
①4つの教えは、パリサイ人の家での食卓でイエスが語ったものである。
②直前の文脈を見ると、イエスはエルサレムの崩壊を予告された(13:35)。
Luk 13:35
見よ、おまえたちの家は見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。おまえたちが/『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』/と言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」
③ここでは、その原因がリーダーたちにあることが明らかになる。
2.アウトライン
(1)水腫の人の癒やし(1~6節)
(2)結婚の披露宴のたとえ話(7~11節)
3.結論
(1)キリストの模範
(2)個人的適用
食卓での諸々の教え(1)について学ぶ。
Ⅰ.水腫の人の癒やし(1~6節)
1.1節
Luk 14:1
ある安息日のこと、イエスは食事をするために、パリサイ派のある指導者の家に入られた。そのとき人々はじっとイエスを見つめていた。
(1)ここでルカは、バランスを取っている。
①ルカ13:10~17は、腰の曲がった女の癒やしの記事であった。
②この箇所は、水腫の男の癒やしの記事である。
(2)イエスは、パリサイ派のある指導者の家で食卓に着いた。
①パリサイ派のある指導者とは、サンヘドリンの議員であろう。
②この人物がイエスに好意的であったわけではない。
③パリサイ人たちは、イエスに激しい敵意を抱いていた(11:53~54)。
④彼らは、イエスを逮捕する機会を狙って、じっとイエスを見つめていた。
*「目を皿のようにして」(リビングバイブル)
(3)イエスが食事に招かれたのは、安息日であった。
①イエスとパリサイ人たちの間には、安息日をめぐる解釈の違いがあった。
②これまでに、イエスは何度も安息日の規定を破ってきた。
③彼らは、イエスが律法に違反するように、罠を仕掛けたのである。
④食卓をともにするのは友情のしるしであるが、ここにあるのは偽善である。
2.2節
Luk 14:2
見よ、イエスの前には、水腫をわずらっている人がいた。
(1)水腫をわずらっている人は、意図的にそこに置かれたのであろう。
①これは、イエスを逮捕するための罠である。
②水腫をわずらっている人は、イエスの前にいた。
(2)「水腫」
①からだに余分な体液がたまっている状態である。
②心臓や腎臓などの機能障害が原因となって起こる症状である。
③ラビたちは、水腫の原因は、不道徳にあると考えていた。
3.3~4節
Luk 14:3
イエスは、律法の専門家たちやパリサイ人たちに対して、 「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」と言われた。
Luk 14:4
彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いて癒やし、帰された。
(1)ここではイエスから先に動いた。
①パリサイ人たちは、防御する側に立たされた。
②イエスは、モーセの律法の解釈について質問した。
「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」
(2)パリサイ人たちは、黙っていた。
①そこでイエスは、その人を癒やした。
*翌日まで待たないで、安息日に癒やした。
②抱いて癒やした。
*心の癒やしが伴っていた。
③その人を帰された。
*本人を論争の現場から遠ざけることで、議論に集中できる環境を作った。
4.5~6節
Luk 14:5
それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者が、あなたがたのうちにいるでしょうか。」
Luk 14:6
彼らはこれに答えることができなかった。
(1)イエスは、旧約聖書や口伝律法に言及する。
①自分の息子や牛が井戸に落ちた場合、安息日であってもすぐに引き上げてやる。
②イエスは、水腫の人はイエスの所有物であることを示唆している。
③イエスは、天地の創造主であり、所有者である。
(2)パリサイ人たちは、これに答えることができなかった。
①イエスの論理は、論駁不可能なものである。
②彼らは、イエスが人のいのちを優先させていることを知っていた。
(3)この出来事は、次に続く教えを語るための舞台設定となっている。
①イエスは、権威あるお方として神の国についての教えを語る。
Ⅱ.結婚の披露宴のたとえ話(7~11節)
1.7節
Luk 14:7
イエスは、客として招かれた人たちが上座を選んでいる様子に気がついて、彼らにたとえを話された。
(1)イエスは、招かれた人たちに対して、謙遜の重要性について教える。
①ルカはこの教えを、「たとえ」と表現している。
②この話は、人間関係における謙遜を教えているだけではない。
③この話は、神との関係における謙遜も教えている。
④これは、パリサイ人たちのプライドを矯正するための教えである。
(2)当時の正式な食卓での習慣
①U字型の食卓の周りで、左肘をついて、横になった状態で食事をする。
②主人に近い席ほど、より栄誉ある席である。
③彼らは、自分が重要な人物であることを示すために、上席を選んでいた。
2.8~9節
Luk 14:8
「結婚の披露宴に招かれたときには、上座に座ってはいけません。あなたより身分の高い人が招かれているかもしれません。
Luk 14:9
あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください』と言うことになります。そのときあなたは恥をかいて、末席に着くことになります。
(1)「招かれた」がキーワードである。
①動詞は「カレオウ」である。
②8(2回)、9、10(2回)、12(2回)、13、16、17、24節
(2)パリサイ人がイエスを招いた食卓は、結婚の披露宴ではない。
①しかし、たとえ話の中の宴会は、結婚の披露宴である。
*イエスは、メシア的王国の始まりに開かれる宴会を想定しておられる。
*その宴会とは、子羊と教会の結婚の披露宴である。
②ユダヤ人たちは、日常生活の中で経験することから霊的教訓を学ぶべきである。
③もし披露宴で、上席を選ぶなら、後で恥をかくことになる。
*これは誰もが経験していることである。
(3)霊的教訓
①神の国で最も重要な資質の1つが、謙遜である。
②人は自分で上席を選ぶことはできない。
③それゆえ、自らへりくだることを学ぶべきである。
④高い地位を求めるのではなく、イエスの弟子となることを求めるべきである。
⑤自らを低くするなら、神が高く上げてくださる。
3.10~11節
Luk 14:10
招かれたなら、末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『友よ、もっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのとき、ともに座っている皆の前で、あなたは誉れを得ることになります。
Luk 14:11
なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
(1)末席に座る理由
①自分は主人ではなく、招かれた客人である。
②「あなたを招いた人」とは、神への言及である。
③神は自らを低くする人を、高く上げてくださる。
④その人は、皆の前で誉れを得ることになる。
⑤神の国における地位は、自力で獲得するのではなく、神によって与えられる。
(2)「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」
①自分を高くする者は、恥を見る。
②謙遜な者は、高くされる。
③この原則は、今の世においても、メシア的王国において有効である。
④謙遜になるとは、イエスの弟子として歩むことである。
結論
1.キリストの模範
(1)ピリ2:5~9
Php 2:5
キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
Php 2:6
キリストは、神の御姿であられるのに、/神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
Php 2:7
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、/人間と同じようになられました。/人としての姿をもって現れ、
Php 2:8
自らを低くして、死にまで、/それも十字架の死にまで従われました。
Php 2:9
それゆえ神は、この方を高く上げて、/すべての名にまさる名を与えられました。
①キリストは低くなられた。
②神はキリストを高く上げた。
(2)ピリピ教会の人間関係の問題は、キリストの模範に倣うことによって解決する。
①この原則は、今も有効である。
2.個人的適用
(1)ルカ13:30
Luk 13:30
いいですか、後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです。」
(2)現代人も、宴会で上席を求める人のようにあくせく働いている。
①地位や収入
②衣食住
③有名人との交友関係
(3)むしろ、私たちが求めるべきは、奉仕の場である。
①キリストの弟子となること
②隣人愛の実践
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