私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ルカの福音書(51)70人の帰還10:13~24
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70人の帰還について学ぶ。
ルカの福音書 51回
70人の帰還
ルカ10:13~24
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)
②ルカ9:51からエルサレムへの旅が始まった(ルカ9:51~19:27)。
*ルカは、エルサレム途上におけるイエスの奉仕を記録している。
*ルカは、旅の行程や地理的情報に関しては、さほど注意を払っていない。
*ルカは、弟子たちに語られたイエスの教えに関心がある。
*エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
(2)直近の文脈
①ガリラヤでの最初のミッションは、12使徒の派遣であった(9:1~6、10)。
②2番目のミッションは、70人の派遣である(ルカだけの情報)。
③ルカの意図は、宣教の広がりを記すことにある(使徒の働きにつながる)。
④ルカの強調点は、70人の宣教活動そのものではなく、イエスの教えである。
⑤この箇所で、派遣された70人が帰還する。
2.アウトライン
(1)悔い改めない町々(13~16節)
(2)70人の帰還(17~20節)
(3)イエスの喜び(21~24節)
3.結論
(1)忠実な奉仕に伴う喜び
(2)サタンの敗北に伴う喜び
70人の帰還について学ぶ。
Ⅰ.悔い改めない町々(13~16節)
1.13~14節
Luk 10:13
ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。
Luk 10:14
しかし、さばきのときには、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。
(1)この叱責は、70人を派遣する前に語られたものである。
①目的は、弟子たちを励ますことにある。
②弟子たちの宣教活動がいかに重要であるかを教えている。
(2)ガリラヤ湖の北の2つの村と、死海の南の2つの町が対比される。
①ガリラヤ湖の北にある2つの村とは、コラジンとベツサイダである。
②死海の南にある2つの町とは、ソドムとゴモラである。
③これは、「inclusio」(包含)という文学手法である。
④これは、イスラエルの地にあるすべての不信仰な町や村に対する叱責である。
⑤コラジンとベツサイダは、その代表格である。
⑥コラジンとベツサイダは、イエスの数々の奇跡を目撃した。
(2)ツロとシドンは、地中海沿いのフェニキア人の町々である。
①旧約時代において、神とイスラエルに敵対したために厳しい裁きに遭った。
②もし彼らが同じ奇跡を目撃していたなら、彼らは悔い改めたことであろう。
③それゆえ、裁きのときには、ツロとシドンのほうが裁きに耐えやすい。
*ルカの読者(異邦人)には、励みとなるメッセージである。
2.15節
Luk 10:15
カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。
(1)次に、カペナウムが取り上げられる。
①カペナウムは、イエスのガリラヤ伝道の拠点であった。
②カペナウムは、ナザレよりも心が開かれていた。
③しかし、数々の奇跡を目撃した割には、イエスに対する信仰を持たなかった。
④カペナウムの運命が予告される。
*天とよみ(ハデス)が対比されている。
*天は祝福の場、よみは辱めの場である。
3.16節
Luk 10:16
あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのです。」
(1)70人のメッセージを拒否することは、イエスを拒否することである。
①そして、イエスを拒む者は、イエスを遣わした父なる神を拒むのである。
②イエスは、弟子たちの働きの重要性を強調し、弟子たちは、それを理解した。
③彼らは、イエスの代理人として派遣される。
④箴25:13
Pro 25:13 忠実な使者は、これを遣わす者にとって、/刈り入れ時の冷たい雪のよう。/その人は主人の心を生き返らせる。
⑤ヨハ3:34
Joh 3:34 神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。
⑥聖書を字義どおりに解釈する理由は、忠実な弟子になるためである。
(2)これで、派遣に際してのイエスの教えが終わった。
①70人の弟子たちの活動内容は、省略されている。
②すぐに70人の帰還の記事に移る。
Ⅱ.70人の帰還(17~20節)
1.17節
Luk 10:17
さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」
(1)70人の報告は、喜びに満ちていた。
①忠実な奉仕に、超自然的な力が伴ったからである。
②特に顕著だったのは、悪霊の追い出しである。
③イエスは、ことばを発することによって悪霊を追い出された。
④弟子たちは、イエスの御名によって悪霊を追い出した。
⑤彼らは、イエスの権威を用いたのである。
2.18節
Luk 10:18
イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。
(1)悪霊どもが服従することは、サタン敗北の手付金(前兆)のようなものである。
①この瞬間にサタンが天から落ちたということではない。
②イエスのことばは、預言的なものである。
③サタンは、患難期に天から落ちる(黙12:7~10)。
3.19節
Luk 10:19
確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。
(1)「蛇やサソリ」は、字義どおりにも、比ゆ的にも、解釈が可能である。
①ここでは、弟子たちの肉体的守りと霊的守りが約束された。
②この約束は、このミッションに限定されたものであろう。
③復活後に、イエスは同様の約束を与えた。
④マコ16:17~18
Mar 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、
Mar 16:18 その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」
⑤復活後の約束も、一時的なものであった。
⑥ステパノの死(使7:60)やヤコブの死(使12:2)が、それを証明している。
4.20節
Luk 10:20
しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
(1)イエスは、正しい喜び方について教えた。
①「AではなくB」という形式の教えである。
(2)悪霊どもが服従することを喜んではならない。
①イエスが弟子たちに「喜んではならない」と告げたのは、ここだけである。
②奉仕の成功には常に危険性が伴う。
③傲慢や勝利主義の危険性がある。
④奉仕の成功は、主イエスの成功である。
(3)むしろ、自分たちの名が天に書き記されていることを喜ぶべきである。
①恵みによって救われていることを喜ぶ。
②神に対して膨大な負債を負っていることを認識したなら、謙遜にさせられる。
Ⅲ.イエスの喜び(21~24節)
1.21節
Luk 10:21
ちょうどそのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。
(1)ここでも、喜びのテーマが続く。
①イエスは、父なる神に向かって喜びの祈りを献げた。
(2)喜びの理由
①これらのことを幼子たちに現わしてくださった。
*霊的真理
*メシアの到来と神の国が近づいたということ
*サタンの敗北
②幼子たちとは、弟子たちのことである。
③知恵ある者や賢い者には隠した。
④これは、御心に適ったことである。
2.22節
Luk 10:22
すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。子がだれであるかは、父のほかはだれも知りません。また父がだれであるかは、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかは、だれも知りません。」
(1)これもまた祈りの一部分である。
①と同時に、弟子たちを励ますことばでもある。
(2)父なる神と子なる神の親密な関係が啓示される。
①父なる神は、被造世界のすべてをイエスに渡された。
②子が誰であるかは、父のほかには誰も知らない。
*受肉の神秘は、父なる神だけが知っておられる。
③父が誰であるかは、子のほかには誰も知らない。
*子だけが、父を啓示することができる。
*子は、自分が選んだ人たちに父を啓示する。
(3)イエスは、神と人との唯一の仲介者である。
①1テモ2:5
1Ti 2:5 神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。
3.23節
Luk 10:23
それからイエスは、弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたが見ているものを見る目は幸いです。
(1)ここから弟子たちへの語りかけに戻る。
①イエスは、弟子たちを祝福された。
②弟子たちが経験している祝福は、不信仰な人たちが受ける裁きとは対照的。
4.24節
Luk 10:24
あなたがたに言います。多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たいと願ったのに、見られず、あなたがたが聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けませんでした。」
(1)旧約時代の預言者や王たちは、メシアの到来を待ち望んでいた。
①しかし彼らは、その成就を見ることができなかった。
(2)それに対して、イエスの弟子たちは、旧約聖書の預言の成就を見ている。
①メシアが到来し、神の国が近づいた。
結論
1.忠実な奉仕に伴う喜び
(1)この箇所のキーワードは、「喜び」である。
(2)ルカは度々喜びに言及している。
①ルカ1:14
Luk 1:14
その子はあなたにとって、あふれるばかりの喜びとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
②ルカ1:46~47
Luk 1:46
マリアは言った。/「私のたましいは主をあがめ、
Luk 1:47
私の霊は私の救い主である神をたたえます。
③ルカ24:52~53
Luk 24:52
彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
Luk 24:53
いつも宮にいて神をほめたたえていた。
(3)派遣前の教えを見ると、弟子の奉仕は苦難の連続であるかのように思える。
(4)しかし70人は、喜んで帰って来た。
①苦難がなかったわけではないが、それ以上の喜びが与えられた。
②イエスの弟子として大宣教命令のために労することは、特権である。
(ILL)忠実に労した後の満足感
(5)ロマ8:18
Rom 8:18
今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。
2.サタンの敗北に伴う喜び
(1)黙12:7~9(患難期の中間)
Rev 12:7
さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、
Rev 12:8
勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
Rev 12:9
こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。
(2)黙12:13(患難期の後半)
Rev 12:13
竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いかけた。
(3)黙20:2~3(再臨の後)
Rev 20:2
彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、
Rev 20:3
千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。
(4)黙20:10(千年王国の後)
Rev 20:10
彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。
(5)サタンは、聖書の修正主義者である。
①創3:1
Gen 3:1
さて蛇は、神である【主】が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
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