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ルカの福音書(50)70人の派遣10:1~12
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70人に与えたイエスの教えについて学ぶ。
ルカの福音書 50回
70人の派遣
ルカ10:1~12
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)
②ルカ9:51からエルサレムへの旅が始まった(ルカ9:51~19:27)。
*ルカは、エルサレム途上におけるイエスの奉仕を記録している。
*ルカは、旅の行程や地理的情報に関しては、さほど興味を持っていない。
*ルカは、弟子たちに語られたイエスの教えを記録している。
(2)直近の文脈
①サマリア人たちは、イエスを拒否した。
②ルカは、イエスを拒否した人たちから、3人の志願者に視点を移す。
③次に、3人の志願者との対比で、70人の弟子たちの派遣が語られる。
④最初のミッションは、12使徒の派遣であった(9:1~6、10)。
⑤2番目のミッションは、70人の派遣である(ルカだけの情報)。
⑥ルカの意図は、宣教の広がりを記すことにある(使徒の働きにつながる)。
⑦ルカの強調点は、70人の宣教活動そのものではなく、イエスの教えである。
2.アウトライン
(1)70人の派遣(1節)
(2)派遣に際してのメッセージ(2~11節)
(3)裁きのことば(12節)
3.結論:イエスの教えの普遍的適用
70人に与えたイエスの教えについて学ぶ。
Ⅰ.70人の派遣(1節)
1.1節
Luk 10:1
その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。
(1)主語は、「主」(キュリオス)である。
①ルカは、イエスの権威を強調している、
②イエスは、その権威に基づいて70人を派遣する。
(2)派遣されるのは、70人か72人か。
①70人(新改訳第3版、文語訳、NASB、AV、RVS)
②72人(新改訳2017、新共同訳、口語訳、NIV、NEB、JB)
③写本上の証拠は、五分五分である。
④どちらを採用しても、大きな意味の違いはない。
⑤イエスが世界宣教を予見していたとするなら、70人が正解であろう。
*創世記10章に、ノアから派生した70の国々が記録されている。
(3)このミッションは、最初のミッションよりも規模が大きい。
①イエスは、自分が行くつもりのすべての町や場所に、彼らを派遣した。
*ガリラヤからエルサレムに向かう途中の町々である。
②2人ひと組にして派遣した。
*安全が守られる。ユダヤ的視点からは、証言の信憑性が高まる。
③彼らの役割は、バプテスマのヨハネのそれと似ている。
*宿と食事の用意をすることが主要な任務ではない。
*メシアが来られる前に、人々の心を整えることが彼らの任務である。
Ⅱ.派遣に際してのメッセージ(2~11節)
1.2節
Luk 10:2
そして彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。
(1)イエスの最初の命令は、「祈りなさい」であった。
①働き手を送ってくださいという祈りである。
②祈る人自身が、働き手になる必要がある。
(2)収穫のイメージが用いられている。
①収穫とは、不信者の群れの中から、イエスを信じる者を集めることである。
②収穫は多いが、働き手が少ない。
③収穫のための働き手が必要である。
④イエスは、できるだけ多くの人が収穫の働きに参加することを願われた。
⑤この状況は、十字架以前のものである。
*緊急性と豊かな収穫
⑥今の時代は、種蒔きの重要性を見過ごしてはならない。
2.3節
Luk 10:3
さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです。
(1)イエスは、良き羊飼いとして70人の羊たちを派遣する。
①「さあ、行きなさい」。宣教への参加を促す命令である。
②70人の羊たちは、危険な環境の中に投げ込まれる。
*狼の中に子羊を送り出すようなもの
③それゆえ、神にのみ信頼する必要がある。
④彼らは、イエスの代理人として派遣された(アポステロウという動詞)。
3.4節
Luk 10:4
財布も袋も持たず、履き物もはかずに行きなさい。道でだれにもあいさつしてはいけません。
(1)短期間のミッションなので、身軽に旅をする必要がある。
①イエスは、十分な用意をせよとは言われなかった。
②財布も袋も持たないのは、信者の援助と神の助けに依存するためである。
③イエス自身が、父なる神に依存しておられた。
④履き物の代えも持たない。
(2)「道でだれにもあいさつしてはいけません」
①イエスは、社交的であることを禁じたわけではない。
②古代中近東では、あいさつが長々と続くことがあった。
③時間の浪費は、本来のミッションの妨げとなる。
4.5~6節
Luk 10:5
どの家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。
Luk 10:6
そこに平安の子がいたら、あなたがたの平安は、その人の上にとどまります。いなければ、その平安はあなたがたに返って来ます。
(1)弟子たちは、家に入るとき、祝福のことばを語るように命じられた。
①「この家に平安があるように」
*平安は、シャロームである。
②そこが弟子たちを歓迎してくれる家なら、その平安はそこにとどまる。
*その家には、平安の子(信者)がいる。
②歓迎してくれない家なら、その平安は弟子たちに返ってくる。
*その家には、平安の子(信者)がいない。
5.7~8節
Luk 10:7
その家にとどまり、出される物を食べたり飲んだりしなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。
Luk 10:8
どの町に入っても、人々があなたがたを受け入れてくれたら、出された物を食べなさい。
(1)ひとつの家にとどまったなら、家から家へと渡り歩いてはいけない。
①時間の浪費になる。
②その家の主人を侮辱することになる。
③町中の人たちが、訪問者が来たことを知っている。
(2)彼らは、出される物を食べたり飲んだりすべきである。
①気に入らないものがあっても、食物が与えられることに満足すべきである。
②主の働き人が、物質的な報酬に与るのは、当然のことである。
(3)出された物が、不浄食物である可能性もある。
①不浄食物であっても、食べてよい。
②マコ7:18~19
Mar 7:18
イエスは彼らに言われた。「あなたがたまで、そんなにも物分かりが悪いのですか。分からないのですか。外から人に入って来るどんなものも、人を汚すことはできません。
Mar 7:19 それは人の心には入らず、腹に入り排泄されます。」こうしてイエスは、すべての食物をきよいとされた。
6.9節
Luk 10:9
そして、その町の病人を癒やし、彼らに『神の国があなたがたの近くに来ている』と言いなさい。
(1)70人は、イエスと12弟子が始めた奉仕を継続する。
①病人を癒す。メッセージを語る前に癒しを行う。
②メッセージは、「メシアが来られたので神の国は近づいた」というものである。
*時間的にも空間的にも、旧約聖書が預言していた神の国は近づいた、
③神の国は、まだ始まっていない。
④ユダヤ人たちがイエスを信じるまでは、神の国は始まらない。
7.10~11節
Luk 10:10
しかし、どの町であれ、人々があなたがたを受け入れないなら、大通りに出て言いなさい。
Luk 10:11
『私たちは、足に付いたこの町のちりさえ、おまえたちに払い落として行く。しかし、神の国が近づいたことは知っておきなさい。』
(1)受け入れない町があるなら、公(大通りに出て)に2つのことを宣言する。
①不信仰を糾弾する象徴的な行為を行う。
*糾弾することばを語りながら、足のちりを落とす。
②「神の国が近づいたことは知っておきなさい」と宣言する。
*これは、裁きが下るという宣言である。
Ⅲ.裁きのことば(12節)
1.12節
Luk 10:12
あなたがたに言います。その日には、ソドムのほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。
(1)ソドムと不信仰な町々には共通点がある。
①神から警告を受けても、悔い改めなかった。
(2)ソドムの滅びは、格言になった。
①イザ1:9~10(エルサレムの滅びの預言)
Isa 1:9
もしも、万軍の【主】が私たちに/生き残りの者をわずかでも残されなかったなら、/私たちもソドムのようになり、/ゴモラと同じになっていたであろう。
Isa 1:10 聞け。ソドムの首領たちよ、【主】のことばを。/耳を傾けよ。ゴモラの民よ、/私たちの神のみおしえに。
(3)ソドムと不信仰な町々の比較
①ソドムには、ロトという証人がいた。
②ソドムの人たちは、神からの使者(2人の天使)を受け入れなかった。
③不信仰な町々には、メシアの先駆者という証人が与えられた。
④不信仰な町々の住民たちは、イエスからの使者を拒否した、
⑤ソドムの罪よりも、不信仰な町々の罪のほうが重い。
⑥次回、コラジン、ベツサイダ、カペナウムを取り上げる。
結論:イエスの教えの普遍的適用
1.2人1組で出て行く。
(1)これは、証しの信頼性に関係してくる。
(2)2コリ13:1(教会内の罪の問題を解決する)
2Co 13:1
私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことは立証されなければなりません。
2.祈りを優先させる。
(1)仕事量に比較して、働き人が不足している。
(2)働き人が増やされるように祈る。
(3)祈ったならば、自ら働き人として出て行く。
3.イエスの弟子は、敵対的な環境に投げ込まれる。
(1)イエスの弟子は、この世から迫害される。
(2)ヨハ16:33
Joh 16:33
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」
4.身軽に人生を生きる。
(1)2コリ6:10
2Co 6:10
悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。
5.時間を浪費しない。
(1)社交のために時間を浪費してはならない。
(2)最も重要なことのために、時間を用いる、
6.伝道がうまくいかなくても落胆しない。
(1)人を救うのは主の御業である。
(2)相手に与えた祝福は、自分に戻ってくる。
7.多く与えられた者には、多くのことが要求される。
(1)不信仰な町々は、ソドムよりも厳しい裁きに遭う。
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