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ルカの福音書(45)イエスの変貌9:28~36
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イエスの変貌について学ぶ。
ルカの福音書 45回
イエスの変貌
ルカ9:28~36
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)
②ルカ9:1~50は、そのクライマックスである。
③エルサレムへの旅(ルカ9:51~19:10)へのブリッジである。
④ルカ9:1~50の中心テーマは、弟子訓練である。
*教会時代への準備が始まる。
(2)ルカ9:1~36の内容
①12人の派遣(1~6節)
②挿入句的エピソード(ヘロデの心理状態)(7~9節)
③12人の帰還(10~17節)
④ペテロの信仰告白(18~27節)
⑤イエスの変貌(28~36節)
*3人の弟子たちが、「イエスの本当の姿」を目撃する。
*「イエスとは誰か」というモチーフのクライマックスである。
*共観福音書に出てくるが、ヨハネの福音書には出てこない。
2.アウトライン
(1)イエスの変貌(28~31節)
(2)ペテロの反応(32~33節)
(3)父なる神の声(34~36節)
3.結論
(1)イエスとは誰か
(2)変貌の出来事の意味
イエスの変貌について学ぶ。
Ⅰ.イエスの変貌(28~31節)
1.28節
Luk 9:28
これらのことを教えてから八日ほどして、イエスはペテロとヨハネとヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
(1)「八日ほどして」(about eight days after these sayings)
①ルカ9:27
Luk 9:27 まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、神の国を見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」
②前回、「神の国を見る」とは「栄光のイエスを見る」ことだと解説した。
(2)マタ17:1とマコ9:2では、「それから六日目に」となっている。
①6日目とは、イエスの教えの日から変貌の日までに経過した日数である。
②8日ほどしては、イエスの教えの日と変貌の日の両方を含む日数である。
(3)ルカは、ペテロとヨハネとヤコブという順番で3人の弟子を紹介している。
①通常は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの順番である。
②ルカ8:51
Luk 8:51 イエスは家に着いたが、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、そしてその子の父と母のほかは、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。
③ルカは、ペテロとヨハネを関連づけようとしている。
④この2人は、エルサレム教会の指導者となる。
(4)「祈るために山に登られた」
①「山」には定冠詞が付いている。
②ルカは山の名前を書いていないが、信者の間では良く知られていたのであろう。
③この山は、ヘルモン山であろう(ピリポ・カイザリアのすぐ北にある山)。
④タボル山の可能性は低い。
*当時は、山頂に偶像の宮が建てられていた。
⑤ルカは、イエスの祈りの生活を強調している。
2.29節
Luk 9:29
祈っておられると、その御顔の様子が変わり、その衣は白く光り輝いた。
(1)ここでは、変貌の出来事は祈りの答えとして描かれている。
①祈りの結果、弟子たちに啓示が与えられた。
(2)マタイとマルコは、「メタモフォオウ」という動詞を使用している。
①このことばは、変質、変形、生物学上の変態などを意味する。
②ルカは、「エゲネト へテロン」(became different、別の姿に変り)を使用。
③ルカは、ギリシア人の読者に誤解を与えないために配慮している。
④「メタモフォオウ」は、ギリシア神話の神々が変身するときに用いられる。
⑤イエスは、ギリシア神話の神々以上のお方である。
(3)その衣は白く光り輝いた。
①ルカの福音書と使徒の働きでは、衣はその人の地位や本質を表している。
②光り輝く衣は、天的栄光の現れである。
③ルカ24:4
Luk 24:4 そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。
④使1:10
Act 1:10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
⑤衣の輝きは、イエスの内側にあったシャカイナグローリーの輝きである。
⑥シャカイナグローリーが、肉体という幕屋を通過して輝き出たのである。
⑦3人の弟子たちは、それを目撃した。これは弟子訓練のための体験である。
3.30~31節a
Luk 9:30
そして、見よ、二人の人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤで、
Luk 9:31a
栄光のうちに現れ、
(1)2人の人がイエスと語り合っていた。
①イエスが受けようとしている苦難を理解できる人は、地上にはいなかった。
②モーセとエリヤが登場した目的は、イエスを励ますためである。
(2)モーセは、イスラエルの民をエジプトから解放したリーダーである。
①彼は、シナイ山で神と出会った(出24章)。
②彼は、民に律法を付与することによってヤハウェ礼拝を確立した。
③彼は、神によって葬られた。その墓を知る者はいない(申34:5~6)。
④彼は、イエスの復活の予表である。
⑤また彼は、聖徒たちの復活の予表である。
(3)エリヤは、将来イスラエルの民の心を神に向けさせる預言者である。
①シナイ山で神と出会ったのは、モーセとエリヤだけである(1列19章)。
②エリヤは、背教の時代にヤハウェ礼拝を守った。
③彼は、生きたまま天に挙げられた。
④彼は、イエスの昇天の予表である。
⑤また彼は、聖徒たちの携挙の予表である。
(4)彼らは、人である。「二人の人」とある。
①彼らは、イエスのように変貌したわけではない。
②彼らは、イエスの栄光に包まれていただけである。栄光の反射とも言える。
③イエスは、この2人の旧約聖書の偉人よりもはるかに偉大である。
4.31節b
Luk 9:31b
イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について、話していたのであった。
(1)ルカだけが、3人の会話の内容を記している。
①「エルサレムで遂げようとしておられる最期について」
②「最期」は「エクソドス」である。
③イエスが達成(成就)されるのは、霊的出エジプトである。
*これは、受難のしもべの預言の成就である。
④イスラエルの民は、エジプトを脱出した後、荒野の旅を開始した。
⑤イエスの死は、教会が荒野の旅を開始するための幕開けとなる。
*ここで弟子たちは、荒野の旅に向かうための訓練を受けている。
Ⅱ.ペテロの反応(32~33節)
1.32節
Luk 9:32
ペテロと仲間たちは眠くてたまらなかったが、はっきり目が覚めると、イエスの栄光と、イエスと一緒に立っている二人の人が見えた。
(1)弟子たちは、眠くてたまらなかった。
①イエスが祈っている間、いねむりしていた。
②この情報を記しているのは、ルカだけである。
③彼らは、この出来事を受け止めるための霊的準備ができていなかった。
④イエスが祈りの必要性を覚えたのなら、弟子たちは、それに倣うべきである。
(2)弟子たちは、会話の内容を理解することができなかった。
①しかし、シャカイナグローリーによって、はっきり目が覚めた。
②彼らは、イエスの栄光と、イエスとともに立っている2人の人を見た。
2.33節
Luk 9:33
この二人がイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った。「先生。私たちがここにいることはすばらしいことです。幕屋を三つ造りましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために。」ペテロは自分の言っていることが分かっていなかった。
(1)ペテロは、この体験がもっと長く続くことを願った。
①そこで、ある提案をしたが、これは的外れである。
(2)彼は、幕屋を3つ造ることを提案した。
①仮小屋(新共同訳)、小屋(口語訳)、庵(いおり)(文語訳)
②これは、仮庵の祭りのときに建てる仮庵である。
③イエスのために1つ、モーセのために1つ、エリヤのために1つ。
④ペテロは、イエスをモーセやエリヤと同等に扱っている。
⑤さらに、エルサレムに向けて旅立つのを遅らせている。
(3)ペテロはイエスの変貌を見て、神の国(メシア的王国)が到来したと誤解した。
①エルサレムに行くよりは、山上で仮庵の祭りを祝うほうが良いと判断した。
②仮庵の祭りは、荒野の旅を記念すると同時に、メシア的王国を予表する祭り。
③ゼカ14:16
Zec 14:16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
Ⅲ.父なる神の声(34~36節)
1.34節
Luk 9:34
ペテロがこう言っているうちに、雲がわき起こって彼らをおおった。彼らが雲の中に入ると、弟子たちは恐ろしくなった。
(1)雲がわき起って彼ら(イエス、モーセ、エリヤ)をおおった。
①この雲は、シャカイナグローリーである。
②3人はシャカイナグローリーに包まれた。
③それを見た弟子たちは、恐ろしくなった。
④神の臨在を身近に感じたとき、恐れを覚えるのは自然なことである。
2.35節
Luk 9:35
すると雲の中から言う声がした。「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」
(1)父なる神が、シャカイナグローリーの中から語られた。
①父なる神が語られるのは、これが2度目のことである。
②ルカ3:22
Luk 3:22 聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」
③今回は、イエスのことを「わたしの選んだ子」と言われた。
*イエスには、神としての権威が与えられている。
④また、「彼の言うことを聞け」と言われた。
*イエスの教えよりも人間の教えを優先させることがあってはならない。
3.36節
Luk 9:36
この声がしたとき、そこに見えたのはイエスだけであった。弟子たちは沈黙を守り、当時は自分たちの見たことをいっさい、だれにも話さなかった。
(1)声が去ると、イエスだけがそこに残された。
①イエスの卓越性が啓示されている。
(2)弟子たちは、沈黙を守った。
①イエス自身が、復活が起るまでは話してはならないと命じられた。
*マタ17:9とマコ9:9
②これに続いてエリヤに関する議論が起るが、ルカはそれを省略している。
③ルカの強調点は、イエスの権威と卓越性である。
結論
1.「イエスとは誰か」という質問
(1)イエスは、神であり人である。
(2)イエスは、受難のしもべである。
(3)3人の会話の内容は、「エルサレムで遂げようとしておられるエクソドス」。
(4)イエスは、「わたしの選んだ子」である。
2.変貌の出来事の意味
(1)出エジプト記24章との類似点がある。
①モーセは、シナイ山の上でシャカイナグローリーを目撃した。
②3人の弟子たちは、ヘルモン山の上でシャカイナグローリーを目撃した。
(2)この出来事は、キリストの再臨の予表である。
①弟子たちが「神だ」と告白をしたイエスの将来の姿が、ここで啓示された。
②弟子たちは、使徒の働きの時代に入るための訓練を受けている。
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