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メシアの生涯(31)—ナザレでの拒否—
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ナザレで起きたことの象徴的意味を学びます。
「ナザレでの拒否」
§039 ルカ4:16~30
1.はじめに
(1)ガリラヤ伝道が始まっている。
①約1年半続く。
②前回は、カナにおいて「第2のしるし」が行われた。
③実際は、カペナウムで起こった奇跡である。
④イエスが、時間と空間を超えて奇跡を行う方であることが示された。
⑤「しるし」とは、イエスのメシア性を示すものである。
(2)その後、イエスは故郷のナザレに行かれた。
①この箇所は、ナザレにおける第1回目の拒否である。
②マコ6:1~6には、第2回目の拒否が出て来る。
③この二つは、別の記事である。
(3)A.T.ロバートソンの調和表
ナザレでの最初の拒否(§39)
(4)優れたメッセージを聴きたいという願望
①ビリー・グラハム、②ジョン・ストット、③イエスのメッセージを聴く特権
2.アウトライン
(1)会堂での礼拝の様子(16~19節)
(2)イエスのメッセージ(20~27節)
(3)ナザレの人々の応答(28~30節)
3.メッセージのゴール
(1)ナザレの象徴的意味
(2)イエスの奉仕のパラダイム(枠組み)
このメッセージは、ナザレで起きたことの象徴的意味を学ぼうとするものである。
Ⅰ.会堂での礼拝の様子(16~19節)
1.会堂に入るイエス
「それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、
朗読しようとして立たれた」 (16節)
(1)ルカは、ナザレがイエスの育った村だという情報を伝えている。
①ルカ2:51では、12歳のイエスがナザレに帰り、両親に仕えたと記されている。
(2)イエスには、安息日に会堂に行く習慣があった。
①会堂は、神殿ではない。
②バビロン捕囚以降、ディアスポラの地だけでなく、約束の地にも広がった。
③信仰を大切にしている善良なユダヤ人なら、安息日には会堂に行った。
(3)「朗読しようとして立たれた」
①自分勝手に、そうしているのではない。
(4)当時の習慣
①トーラーの朗読
*その週の朗読箇所が決まっている(数章を部分に分け、月、木、土に朗読)。
*1年のサイクルが終わると、シムハット・トーラーという祝いをする。
*仮庵の祭りの最終日がそれに当たる。
*2012年の今年は、10月7日の夜から始まる。
*紀元1世紀の頃は、3年サイクルで朗読していた。
②預言書の朗読
*その日のトーラーの箇所と関連した箇所
*ハフタラーという(結論という意味)。
③朗読の後、奨励のメッセージが語られる。
*朗読する時は、立って朗読した。
*奨励のメッセージの時は、座った。
④朗読も、奨励のメッセージも、会堂管理者の判断で行われた。
使13:14~15(パウロとバルナバの例)
「しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂
に入って席に着いた。律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼
らのところに人をやってこう言わせた。『兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、
この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください』」
(5)会堂管理者がイエスを前に招いた。
①イエスは、ガリラヤ一体で有名になっていた。
②また、尊敬されていた(ルカ4:14~15)。
③人々の間に期待感があった。
2.朗読するイエス
「すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見
つけられた」 (17節)
(1)イエスは立って、朗読した。
①これは、ハフタラー(預言書)である。
②イザヤ書である。
③この書は、巻物である。死海写本では、ひとつの巻物になっている。
(2)イエスは、その安息日に朗読が予定されていた箇所を読んだのか。
①もしそうなら、ここには摂理的な導きがある。
②恐らく、そうではないだろう。
③イエスは、自らイザヤ書中の特定の箇所を探し、そこを読まれたのだろう。
3.朗読された箇所
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたし
に油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には
目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を
告げ知らせるために」 (18~19節)
(1)イザ61:1~2の引用
「神である主の霊が、わたしの上にある。【主】はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良
い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人
には解放を、囚人には釈放を告げ、【主】の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告
げ、すべての悲しむ者を慰め、」
①イザ61:1~3は、メシア預言と考えられていた。
(2)2つの変則的事項が起こっている。
①当時は、最低3節を朗読したが、イエスは途中で止めている。
②2節の後半「われわれの神の復讐の日を告げ、」も読まなかった。
*これは再臨の時に成就する預言である。
*ローマの圧政に苦しむナザレの人たちには、不満が残る。
Ⅱ.イエスのメッセージ(20~27節)
1.朗読から勧めのメッセージへの移行
「イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注が
れた」 (20節)
(1)メッセージの時は、座るのが当時の習慣である。
①そのまま自分の席に帰らなかったのは、メッセージが始まることのしるし。
(2)出席者は、イエスに注目した。
①ルカ22:56では、女中がペテロを見た目。「まじまじと見て」
②2コリ3:7では、山から下りてきたモーセの顔を見る目。「見つめる」
③イエスの内に、単に優れた説教者以上の何かがあったのだろう。
2.最初のことば
「イエスは人々にこう言って話し始められた。『きょう、聖書のこのみことばが、あなた
がたが聞いたとおり実現しました』」 (21節)
(1)イエスは、最初のことばの重要性を知っていた。
①ここは、講解メッセージにおいて、最初に適用を語るようなものである。
(2)訳文の比較
「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」(新改訳)
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(新共同訳)
「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」(口語訳)
「この聖書今日なんぢらの耳に成就したり」(文語訳)
(3)イエスのメシア宣言
①ユダヤ人たちが長年待ち望んできたメシア
②イザヤが預言していたメシア
③そのメシアが、今ナザレの会堂に立ち、旧知の人々の前で語っている。
④強調は、「きょう」という言葉にある。
⑤今、待ち望んでいた「終末の時代」が到来した。
3.聴衆の反応
「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、『この人
は、ヨセフの子ではないか』と彼らは言った」 (22節)
(1)積極的反応
①イエスは、噂通り、あるいは、それ以上のお方である。
②恵みのことばは、予想をはるかに超えるものである。
(2)消極的反応
①「この人は、ヨセフの子ではないか」
②「いったいどうなってんだ。 ただのヨセフのせがれじゃないか」(リビングバ
イブル)
③「あいつは、ヨセフの小僧じゃねえのか」(私訳)
④これは、「Yes」という答えを求める質問の形である。
4.イエスの応答
「イエスは言われた。『きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ』というたとえを引い
て、カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言
うでしょう』。また、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれで
も、自分の郷里では歓迎されません』」 (23~24節)
(1)「医者よ。自分を直せ」というたとえの意味
①名医であることを証明するために、先ず自分の病を癒してみろ。
②ここには、皮肉が込められている。
③日本の格言
*「紺屋(こうや)の白袴」
*「医者の不養生」
(2)ナザレの人々の期待
①メシア性を主張するなら、カペナウムで行われたのと同様の奇跡を行え。
②自分の郷里で先ず奇跡を行うべきではないか。そうしたら信じてやる。
(3)「預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません」
①イエスは、ナザレ以外の場所では大いに尊敬された。
②ナザレの人々の問題は、プライドである。
(例話)その教会の信徒であった人が、牧師として立つのは容易ではない。
5.旧約聖書の例
「わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国
に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところ
にも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。また、預言
者エリシャのときに、イスラエルには、ツァラアトに冒された人がたくさんいたが、その
うちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました」 (25~27節)
(1)エリヤの例
①1列17~18章
②「シドンのサレプタにいたやもめ女」とは、異邦人の女である。
(2)エリシャの例
①2列5章
②「ツァラアト」(新改訳)、「重い皮膚病」(新共同訳)
③「シリヤ人ナアマン」は、異邦人の将軍である。
(3)共通している点
①イスラエルは不信仰の状態にあった。
②そこで神は、イスラエルではなく、異邦人を祝福された。
Ⅲ.ナザレの人々の応答(28~29節)
1.激怒する人々
「これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを
町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそ
うとした」 (28~29節)
(1)激怒の理由
①自分たちのことを言われている。
②ユダヤ人よりも、異邦人が優遇される。
(2)激怒の結果
①会堂にいた人たち全員が立ち上がり、イエスを町の外に追い出した。
②丘の崖のふちから、イエスを投げ落とそうとした。
*今も、「突き落としの崖」と言われる場所がある。
2.イエスの脱出
「しかしイエスは、彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた」 (30節)
(1)逃れた方法については、記されていない。
①むしろ、死ななかった意味の方が重要である。
②十字架の時が来ていないからである。
結論:
1 .ナザレの象徴的意味
(1)メシア預言の直接的成就がある。
①イザ61:1~2
(2)メシアの型がある。
①エリヤ
②エリシャ
(3)ナザレはイスラエル全体を象徴する小宇宙である。
①ナザレは2度にわたってイエスを拒否する。
②イスラエルは徐々にイエスを拒否する方向に向かう。
③「突き落としの崖」の事件は、イエスの死を予感させる。
*ただし、読者には最後までそれが隠されている。
2 .イエスの奉仕のパラダイム(枠組み)
(1)今、メシア預言が成就し、終末時代に入った。
(2)イスラエルはイエスをメシアとして受け入れない。
①メシア的王国の提供を拒否した。
(3)そこで、異邦人が救いに招かれる。
①これが教会時代の出来事である。
②メシア的王国の成就は、再臨以降に持ち越された。
(4)ヨハ1:11~12
「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、
この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる
特権をお与えになった」
(5)私たちへの適用
①神の痛み。
(例話)母親との会話。「子どもについての心配はない」
②教会時代の伝道において、私たちも同じ痛みを経験する。
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