私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ルカの福音書(33)やもめの一人息子の蘇生7:11~17
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やもめの一人息子の蘇生について学ぶ。
ルカの福音書 33回
やもめの一人息子の蘇生
ルカ7:11~17
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、弟子たちに対して「平地での説教」を語られた。
②次に、カペナウム周辺の町や村で、奇跡を行われる(7章と8章)。
③ルカは、イエスをあわれみ深い方として描いている。
*百人隊長のしもべが癒される。
*やもめの一人息子が生き返る。
(2)福音書には、イエスが死者を生き返らせた奇跡が3つ登場する。
①やもめの一人息子(ルカ7章)
②会堂司ヤイロの娘(マタ9章、マコ5章、ルカ8章)
③ラザロ(ヨハ11章)
④死者の蘇りの奇跡を3回に限定する必要はない。
2.アウトライン
(1)喜びの行列(11節)
(2)悲しみの行列(12節)
(3)2つの行列の衝突(13~15節)
(4)人々の驚き(16~17節)
3.結論
(1)エリヤの奉仕
(2)エリシャの奉仕
(3)イエスの奉仕
やもめの一人息子の蘇生について学ぶ。
Ⅰ.喜びの行列(11節)
1.11節
Luk 7:11
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大勢の群衆も一緒に行った。
(1)「それから間もなく」
①時間の経過は、あいまいである。
②ここに蘇生物語が置かれている理由がある。
③次回取り上げるバプテスマのヨハネとの対話のための準備となっている。
(2)イエスは、カペナウムからナインへ行かれた。
①カペナウムの南西約30キロの町。旧約聖書にはその名は出ていない。
*ヘブル語のナイム(心地よい)から出ている。
②ヨセフスは、ガリラヤからエルサレムに上る途中にある町だと書いている。
*ナザレから南に約10㎞の距離である。
③イズレエルの谷の中央にイズレエルという町があり、西にカルメル山がある。
④その間に、タボル山、ナザレ、メギド、そしてナインなどが位置する。
⑤細い道を上って町に入る。道の両側に埋葬用の洞窟が無数にある。
(例話)ヨッシーの質問 新約聖書ではナインについてどう書かれているのか。
*エリヤとエリシャが奉仕をした地域である。
(3)イエスの後には、弟子たちと大勢の群衆が付いて来ていた。
①弟子たちと弟子でない人たちがいた。
②この行列は、喜びと希望に満ちていた。
Ⅱ.悲しみの行列(12節)
1.12節
Luk 7:12
イエスが町の門に近づかれると、見よ、ある母親の一人息子が、死んで担ぎ出されるところであった。その母親はやもめで、その町の人々が大勢、彼女に付き添っていた。
(1)ナインの町には城壁はなかった。
①家並の間の空間に造られた門で、道路がそこから町中に入っていたのであろう。
②イエスが門に近づくと、葬送の行列がやって来た。
(2)この葬送は、非常に悲劇的であった。
①ひとり息子の死
②ひとり息子に死なれたやもめは、共同体の慈善にすがって生きるしかない。
③やもめの保護は、旧新約聖書の主要テーマである。
*特に、神との契約の中の条項として取り上げられる(申命記が重要)。
*新約聖書では、1テモ5:3~16を参照。
(3)当時の習慣では、葬送の列が来ると、仕事を止めて参加することになっていた。
①母親が先頭、次に棺、その後に町の人たちが続いた。
(4)ここには、2つの異質なものの衝突がある。
①悲しみと喜び
②汚れと聖さ
③死と命
Ⅲ.2つの行列の衝突(13~15節)
1.13節
Luk 7:13
主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。
(1)「主」(キュリオス)ということばが、ルカの福音書で初めて登場する。
①初代教会の信者たちは、イエスに「主」というタイトルを与えた。
②これは、イエスが旧約聖書の「ヤハウェ」であるという告白である。
③ルカは、後になってから使われる「主」をここで使っている。
④イエスの大いなる奇跡を予期してのことである。
(2)主のあわれみ
「主はその母親を見て深くあわれみ、」(新改訳2017)
「主はこの母親を見て、憐れに思い、」(新共同訳)
「主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、」(口語訳)
「痛々しい母親の姿を見てかわいそうに思ったイエスは、」(リビングバイブル)
①ギリシア語では、「スプランクニゾマイ」という動詞である。
②語源は、「スプランクナ」(内臓、腸である。私たちは「心」と言う)である。
③直訳は、「同情のはらわたを持たれ」ということである。
(3)当時の哲学者たちのことば
「泣いてはいけない。泣いても何もよいことはない」
(4)イエスのことば
「泣かなくてもよい」
①イエスは、悲しみの原因を取り除くことができる。
②イエスは、これから解決を与えようとしておられる。
2.14節
Luk 7:14
そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」
(1)イエスは棺に触れられた。
①当時のユダヤ人たちは、箱型の棺は使用していなかった。
②一枚の板の上に亜麻布でくるんだ死体を載せて運んでいた。
③棺に触れると、1日の間汚れた者となる(民19:22)。
④死体に触れると、7日間汚れた者となる(民19:11)。
*死体に触れると、最も強い汚れを受けることになる。
*通常は、家族だけが死んだ者に触れる。
⑤汚れた物は、汚れていない人に影響を与える。
⑥イエスの場合はその逆で、影響力はイエスから汚れた物に向かって流れる。
(2)棺を担いでいた人たちは、立ち止まった。
①イエスのうわさがこの町にも届いていたのであろう。
②彼らは、イエスが何をするのか見守った。
(3)「若者よ。あなたに言う、起きなさい」
①「青年」(ネアニスコス)は、40歳以下の者を指すことばである。
②イエスは、ことばを発するだけで、死に勝利された。
③イエスのことばには、創造主の力と権威がある。
2.15節
Luk 7:15
すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に返された。
(1)死人が起き上がって、ものを言い始めた。
①青年が生き返ったことの明確な証拠である。
(2)イエスは、彼を母親に返された。
①青年に信仰があったわけではない。
②母親に信仰があったわけでもない。
③受ける側の信仰は問われていない。
④ここでは、イエスのあわれみが、この奇跡を起こしたのである。
⑤エリヤの奇跡物語を想起させる(1列17:23)。
Ⅳ.人々の驚き(16~17節)
1.16節
Luk 7:16
人々はみな恐れを抱き、「偉大な預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がご自分の民を顧みてくださった」と言って、神をあがめた。
(1)人々は恐れを抱いた。
①人々とは、ユダヤ人の指導者たちではなく、一般庶民である。
(2)人々は神をあがめた。
①エリヤやエリシャを思い出し、「偉大な預言者」と言っている。
②エリヤの活動場所は、イズレエル、カルメル山であった。
③エリシャの活動場所は、シュネム、カルメル山であった。
(3)神がその民を顧みてくださった。
①彼らは、イエスを偉大な預言者と見た。
②ただし、神ご自身が人の姿を取って来てくださったことまでは知らなかった。
2.17節
Luk 7:17
イエスについてのこの話は、ユダヤ全土と周辺の地域一帯に広まった。
(1)ヨルダンの向こうの地(ペレア)にも広まった。
①次回取り上げる「バプテスマのヨハネとの対話」につながっていく。
結論
1.エリヤの奉仕
(1)エリヤは、ツァレファテのやもめの息子を蘇生させた(1列17:17~24)。
(2)彼は、3度その子の上に身を伏せた。
1Ki 17:21
そして、彼は三度その子の上に身を伏せて、【主】に叫んで祈った。「私の神、【主】よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに戻してください。」
1Ki 17:22
【主】はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちがその子のうちに戻り、その子は生き返った。
2.エリシャの奉仕
(1)エリシャは、シュネムのやもめの息子を蘇生させた(2列4:18~37)。
(2)彼はその子の上に身を伏せた。息子は7回くしゃみをした。
2Ki 4:33
エリシャは中に入り、戸を閉めて、二人だけになって【主】に祈った。
2Ki 4:34
それから、寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口をその子の口の上に、自分の目をその子の目の上に、自分の両手をその子の両手の上に重ねて、その子の上に身をかがめた。すると、その子のからだが温かくなってきた。
2Ki 4:35
それからエリシャは降りて、部屋の中をあちらこちらと歩き回り、また寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開けた。
3.イエスの奉仕
(1)しかしイエスは、ことばだけでナインの一人息子を甦らせた。
(2)イエスは、死人がいかなる状態であっても、甦らせることができた。
①会堂司ヤイロの娘(マタ9章、マコ5章、ルカ8章)
*埋葬されていなかった。
②やもめの一人息子(ルカ7章)
*埋葬の途中であった。
③ラザロ(ヨハ11章)
*埋葬されていた。
(3)霊的適用が可能である。
①イエスは、神が人となられたお方である。
②イエスは、いかなる罪人でも霊的に甦らせることができる。
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