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ルカの福音書(31)弟子の性質6:39~49
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弟子の性質について学ぶ。
ルカの福音書 31回
弟子の性質
ルカ6:39~49
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、弟子たちに対して「平地での説教」を語られた(6:20)。
*群衆もそこにいて、聴いていた。
②山上の垂訓(マタ5~7章)の中心テーマは、「真の義とは何か」である。
③平地での説教の中心テーマは、「隣人愛」である。
④前回は、弟子の行為について取り上げた。
*7つの愛の行為
⑤今回は、弟子の性質について取り上げる。
*愛の行為の根底にある性質
*5つのたとえ話
2.アウトライン
(1)盲人による手引き(39~42節)
(2)2種類の木(43~44節)
(3)2種類の人(45節)
(4)2種類の告白(46節)
(5)2種類の建築家(47~49節)
3.結論:私たちへの教訓
弟子の性質について学ぶ。
Ⅰ.盲人による手引き(39~42節)
1.39節
Luk 6:39
イエスはまた、彼らに一つのたとえを話された。「盲人が盲人を案内できるでしょうか。二人とも穴に落ち込まないでしょうか。
(1)このたとえ話では、案内する人と案内される人がいる。
①案内する人とは、イエスの弟子の象徴である。
②案内される人とは、イエスの弟子が信仰の道へと導こうとしている人の象徴。
(2)案内する人が盲人であるなら、悲劇が起こる。
①2人とも、穴に落ち込む(大事故が起こる)。
(3)マタイの福音書15章では、パリサイ人たちが盲人である(マタ15:14)。
Mat 15:14 彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を案内する盲人です。もし盲人が盲人を案内すれば、二人とも穴に落ちます。」
①平地での説教では、イエスの弟子たちが盲人にたとえられている。
②「愛に関する教え」(27~38節)に従っていないなら、その弟子は盲人である。
2.40節
Luk 6:40
弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。
(1)これは挿入句である(一時的に別の話題に移る)。
①例外もあるが、一般論として、弟子は師以上の者にはなれない。
②なぜなら、本が今ほどなかったので、情報源は師に限定されていた。
③しかし、師がしっかり教え、弟子がしっかり学べば、師のようにはなれた。
(2)この聖句では、イエスの弟子たちが「師」、導かれる人たちが「弟子」である。
①イエスの弟子たちは、イエスの教えを忠実に教える必要がある。
②そうするなら、導かれる人たちは、弟子たちのようになれる。
③この聖句は、弟子たちへの励ましである。
④次の41~42節で、もとの文脈(盲人、視野狭窄)に戻る。
3.41節
Luk 6:41
あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分自身の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。
(1)師としての立場には、優位性がある。
①師は、自分の欠点に気づかなくても、弟子の欠点に容易に気づく。
②ここでは、誇張法が使用されている。
*兄弟の目にあるのは「ちり」である。
*自分自身の目にあるのは「梁」である。
4.42節
Luk 6:42
あなた自身、自分の目にある梁が見えていないのに、兄弟に対して『兄弟、あなたの目のちりを取り除かせてください』と、どうして言えるのですか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、兄弟の目のちりがはっきり見えるようになって、取り除くことができます。
(1)自分の欠点を修正しないで、弟子を指導するのは、偽善である。
①イエスの愛の教えを実践しないで、弟子に愛を教えることはできない。
②師の偽善は、弟子の無知よりも重大な罪である。
(2)自分から愛の実践をするなら、弟子の欠点を取り除くことができるようになる。
①そうしないなら、その人は「盲人を案内する盲人」となる。
Ⅱ.2種類の木(43~44節)
1.43~44節
Luk 6:43
良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともありません。
Luk 6:44
木はそれぞれ、その実によって分かります。茨からいちじくを採ることはなく、野ばらからぶどうを摘むこともありません。
(1)悪い性質を宿した人は、良い実を結ぶことができない。
①それゆえ、イエスの弟子は、イエスに仕える前に内面を掃除する必要がある。
②良い木は、良い実を結ぶ。
③良い師は、良い弟子を生み出す。
(2)山上の垂訓では、イエスはこのたとえ話を偽預言者に適用した(マタ7:15~16)。
Mat 7:15 偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。
Mat 7:16 あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。
(3)平地での説教では、イエスはこのたとえ話を自分の弟子たちに適用している。
①クリスチャンでも悪い実を結ぶことがあるのは、罪の問題があるからである。
②イエスの弟子たちも、良い実を結ぶ場合と、悪い実を結ぶ場合がある。
③それゆえ、イエスの弟子たちは良い実を結ぶように励む必要がある。
Ⅲ.2種類の人(45節)
1.45節
Luk 6:45
良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。
(1)このたとえ話は、2種類の木のたとえ話と同じ真理を教えている。
①倉とは、イエスの弟子たちの心である。
②イエスに従順に従っている弟子は、心の良い倉に、良い物を蓄えている。
③悪い弟子は、心の悪い倉に、悪い物を蓄えている。
④心の倉から何を出すかによって、その人の内面が判断される。
(2)口から出てくることばについても、同じことが言える。
①心の管理ができていない弟子は、ことばの管理もできない。
Ⅳ.2種類の告白(46節)
1.46節
Luk 6:46
なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。
(1)表面的告白と真実な告白の対比
①山上の垂訓では、この内容は偽教師たちに適用されている。
②ルカは、弟子たちへの警告としてこれを書いている。
(2)イエスを「主よ、主よ」と呼ぶだけでは、本当の弟子とは言えない。
①「主よ」は、敬意を表する呼びかけである。
②「主よ、主よ」は、その強調形である。
*神性、メシア性、権威などを意味している。
*しかし、イエスが復活する前は、必ずしもそういう意味ではない。
(3)最高の告白をしても、イエスの愛の教えを実践しないなら、真の弟子ではない。
Ⅴ.2種類の建築家(47~49節)
1.47~48節
Luk 6:47
わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
Luk 6:48
その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。
(1)このたとえ話は、平地での説教の結論である。
①イエスの教えを実行することの重要性を、弟子たちに教えている。
②マタイは、群衆の反応を記している(マタ7:28~29)。
Mat 7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
Mat 7:29 イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。
③ルカは、それを省略している(弟子たちへの教えである)。
(2)イエスの教えを聞いて実行する人は、賢い建築家である。
①地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人である。
②ルカは、ギリシア・ローマ風の、地下室のある家を想定していると思われる。
③その家は、洪水が押し寄せても、びくともしない。
④洪水とは、敵の誘惑、人生における試練、神が与えるテストなどである。
2.49節
Luk 6:49
しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」
(1)イエスの教えを聞いても、それを実行しない人は、愚かな建築家である。
①土台なしで地面に家を建てた人である。
②マタイは、立てる場所を対比させている(岩の上か、砂の上か)。
③ルカは、土台の据え方を対比させている(深く掘り下げるか、土台なしか)。
結論:私たちへの教訓
1.人生における長期計画の重要性
(1)目先のことだけしか考えない人は、土台なしに家を建てる人である。
(2)長期計画を立てる人は、深く掘り下げて土台を据える人である。
(3)大水が出たときに、両者の違いは明らかになる。
2.イエスは、献身した弟子と、そうでない弟子を対比された。
(1)一連のたとえ話は、信者と未信者の対比ではない。
(2)いつ救われたかに関しては、福音記者たちは、さほど興味を示していない。
(3)それよりも、イエスの弟子となる決心をしたかどうかに興味がある。
(4)いつ救いに至る決心をしたかが重要になるのは、書簡に入ってからである。
(5)その場合でも、今の私たちほどは、「いつ」ということは気にしていない。
3.新生体験に続く弟子化のプロセスが、極めて重要である。
(1)新生体験は重要である。
(2)と同時に、弟子となる決心をすることも重要である。
(3)この時代を生き抜くためには、本物の弟子を育てる必要がある。
(4)公生涯の後半においては、12弟子の訓練が中心テーマとなる。




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