ルカの福音書(25)麦の穂を摘んで食べる弟子たち6:1~5

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安息日論争の内容と背景について学ぶ。

ルカの福音書 25回

麦の穂を摘んで食べる弟子たち

ルカ6:1~5

1.はじめに

(1)文脈の確認

  ①罪の赦しの宣言を境に、メシア運動の吟味は次の段階に入った。

    *観察→審問→決定

  ②この時期、イエスは公生涯の重要な時期に入っていた。

  ③口伝律法に関して、パリサイ人たちとの論争が始まる。

  ④福音書の中には、安息日論争が7回出てくる。

  ⑤ルカは、4回記録している。

    *6:1~5、6~11、13:10~17、14:1~6

(2)イエス時代のユダヤ教では、安息日が最も重要な律法であった。

  ①ソフリム学派の教え

    「神は、なぜイスラエルを創造したのか」

    「それは、イスラエルに安息日を守らせるためである」

    「すべてのユダヤ人が一回でも安息日を完全に守ったなら、メシアが来られる」

  ②自分はメシアだと主張するイエスが、安息日を守らないのはおかしい。

2.アウトライン

(1)麦の穂を摘んで食べる弟子たち

(2)パリサイ人の糾弾

(3)イエスの応答

3.結論

(1)律法に関する誤解

(2)新約時代の信者と安息日

安息日論争の内容と背景について学ぶ。

Ⅰ.麦の穂を摘んで食べる弟子たち

1.1節

Luk 6:1
ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べていた。

(1)麦の収穫時期は、春から夏にかけてである。

  ①大麦が先で、小麦がその後に収穫期を迎える。

  ②ここでの麦が大麦か小麦か、判断は難しい。

(2)普通なら問題にならないことが、安息日なので問題視される。

  ①イエスの一行は、麦畑を通っていた。

  ②弟子たちは、ひもじくなった(マタ12:1)。

  ③そこで彼らは、穂を摘んで、手でもみながら食べていた。

(3)彼らは、すべてを捨ててイエスに従った。

  ①マタ8:20

Mat 8:20 イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」

  ②弟子たちが空腹であったのは、この時だけではないだろう。

  ③これは、イエスに従ったがゆえのひもじさである。

(4)モーセの律法の規定(申23:24~25)

Deu 23:24 隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。

Deu 23:25 隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない。

  ①弟子たちの行為自体は、律法違反ではない。

  ②しかし、安息日にこれを行ったので、「口伝律法違反」となった。

Ⅱ.パリサイ人の糾弾

1.2節

Luk 6:2
すると、パリサイ人のうちの何人かが言った。「なぜあなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」

(1)パリサイ人たちは、口伝律法に基づいて、弟子たちを糾弾した。

  ①ルカは、弟子たちを中心に描いている。

  ②後にイエスは、弟子たちを擁護する師として登場する。

  ③パリサイ人たちは、イエスの言動を見張っていた。

    *学ぼうという態度ではなく、欠点を見つけようという態度である。

    *信頼ではなく、反抗である。

(2)律法学者たちは、安息日に行ってはならない主な労働39種類を列挙した。

  ①39種類の主な労働のそれぞれをさらに細分化した。

  ②その結果、1500種以上の労働が禁じられた。

  ③ミシュナの中の「シャバット7:2」にその規定がある。

(3)イエスと弟子たちは、4種類の違反に犯した。すべて主な労働に該当する。

  ①麦の穂を摘むことは、収穫に当たる。

  ②手でもみ出すことは、脱穀に当たる。

  ③息を吹きかけることは、もみ殻の選別に当たる。

  ④麦を食べることは、貯蔵に当たる。

(4)口伝律法には、安息日に草の上を歩いてはいけないという規定さえあった。

  ①目に見えない麦を、足で踏む可能性がある。これは収穫である。

  ②麦ともみ殻が分離する可能性がある。これは脱穀である。

  ③足が風を巻き上げ、もみ殻を飛ばす可能性がある。これはもみ殻の選別である。

  ④鳥が来て、その麦を食べる可能性がある。これは貯蔵である。

Ⅲ.イエスの応答

  1.3~4節

Luk 6:3
イエスは彼らに答えられた。「ダビデと供の者たちが空腹になったとき、ダビデが何をしたか、

Luk 6:4

どのようにして、神の家に入り、祭司以外はだれも食べてはならない臨在のパンを取って食べ、供の者たちにも与えたか、読んだことがないのですか。」

(1)臨在のパン(レビ24:5~7)

Lev 24:5 あなたは小麦粉を取り、それで輪形パン十二個を焼く。一つの輪形パンは十分の二エパである。

Lev 24:6 それを【主】の前のきよい机の上に一列六つずつ、二列に置く。

Lev 24:7 それぞれの列に純粋な乳香を添え、覚えの分のパンとし、【主】への食物のささげ物とする。

  ①聖所の中に2列に置かれた12個のパンで、イスラエル12部族を象徴している。

  ②臨在のパンは、神とイスラエルの交わりを象徴している。

(2)安息日に新しいパンを置く(レビ24:8)。

Lev 24:8 彼は安息日ごとに、これを【主】の前に絶えず整えておく。これはイスラエルの子らによるささげ物であって、永遠の契約である。

  ①祭司は、安息日ごとに、新しいパンと交換した。

(3)祭司の食べ物となる(レビ24:9)。

Lev 24:9
これはアロンとその子らのものとなり、彼らはこれを聖なる所で食べる。これは最も聖なるものであり、【主】への食物のささげ物のうちから、永遠の定めにより彼に与えられた割り当てだからである。」

  ①古いパンは、祭司たちが食べた。

  ②これは、「最も聖なるもの」と呼ばれた。

  ③永遠の定めによりアロンとその子らに割り当てられたものである。

(4)ダビデのエピソード(1サム21:1~6)

1Sa 21:1
ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに来た。アヒメレクは震えながら、ダビデを迎えて言った。「なぜ、お一人で、だれもお供がいないのですか。」

1Sa 21:2
ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王は、あることを命じて、『おまえを遣わし、おまえに命じたことについては、何も人に知らせてはならない』と私に言われました。若い者たちとは、しかじかの場所で落ち合うことにしています。

1Sa 21:3 今、お手もとに何かあったら、パン五つでも、ある物を下さい。」

1Sa 21:4
祭司はダビデに答えて言った。「手もとには、普通のパンはありません。ですが、もし若い者たちが女たちから身を遠ざけているなら、聖別されたパンはあります。」

1Sa 21:5
ダビデは祭司に答えて言った。「実際、私が以前戦いに出て行ったときと同じように、女たちは私たちから遠ざけられています。若い者たちのからだは聖別されています。普通の旅でもそうですから、まして今日、彼らのからだは聖別されています。」

1Sa 21:6
祭司は彼に、聖別されたパンを与えた。そこには、温かいパンと置き換えるために、その日【主】の前から取り下げられた、臨在のパンしかなかったからである。

  ①祭司アヒメレクのもとには、臨在のパンしかなかった。

  ②それは、温かいパンと置き換えるために聖所から取り下げられたものであった。

  ③彼は、ダビデとその従者たちに、祭司しか食べてはならないパンを与えた。

(5)イエスによるモーセの律法の解説

  ①律法の中には恵みの要素がある。

  ②律法主義は、律法の精神を反映させたものではない。

  ③いくら律法に精通していても、律法の精神を理解していないことがある。

  ④もし安息日の規定を正しく理解したなら、いのちの維持を重視するはずである。

(6)イエスとダビデの対比

  ①ともに、拒否された状態にあった。

  ②ともに、従者を連れていた。

  ③ともに、ひもじかった。

  ④ダビデと従者たちは、いのちを維持するために、「聖別されたパン」を食べた。

  ⑤ダビデの時代には口伝律法はなかったという言い訳は成り立たない。

  ⑥パリサイ人の教えでは、モーセは口伝律法も神から受けたことになっていた。

  ⑦イエスは、ダビデ以上のお方、「ダビデの子」である。

2.5節

Luk 6:5
そして彼らに言われた。「人の子は安息日の主です。」

(1)三段論法

  ①安息日は、神が命じたものである。

  ②イエスは、安息日の律法を超えるお方である。

  ③それゆえ、イエスは神である。

結論

1.律法に関する誤解

(1)律法は、良いものである。

(2)悪いのは、律法の誤った適用や口伝律法に基づく律法主義である。

(3)イエスは、安息日の意味を説明し、それを完成するために来られた。

(4)いのちの維持は、すべての律法より優先すべきものである。

(5)自分はパリサイ人とは無関係だと思った瞬間、この箇所は適用を失う。

(6)私たちの内に律法主義の傾向がないかどうか、吟味する必要がある。

(7)律法主義とは、見かけをよくするために、ある種の行動を規制することである。

(8)律法主義とは、人間のいのちの尊厳に制限を加えるものである。

    (ILL)赤信号で停まっている車の背後から、暴走するトラックが近づいてきた。

2.新約時代の信者と安息日

(1)安息日は、今も土曜日である。

(2)クリスチャンは、モーセの律法ではなく、キリストの律法のもとにある。

(3)クリスチャンにとっては、毎日が安息日である。

(4)私たちはやがて、永遠の安息に入るようになる。

  ①2テサ1:4~7

2Th 1:4

ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。

2Th 1:5

それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。

2Th 1:6
神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、

2Th 1:7

苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。

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