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ルカの福音書(21)ツァラアト患者の癒し5:12~16
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ツァラアト患者の癒しについて学ぶ。
ルカの福音書 21回
ツァラアト患者の癒し
ルカ5:12~16
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスはカペナウムに下り、そこを宣教の拠点とした。
②イエスの権威は、悪霊の追い出しと病の癒しによって証明された。
③イエスは、最初の弟子たちを招かれた。
④イエスの権威は、弟子たちが確信したとおりのものであった。
*ツァラアト患者の癒し(汚れを清める権威)
*中風の人の癒し(罪を赦す権威)
⑤これ以降、宗教的指導者層との対立が激しくなる。
(2)ギリシア語の「レプラ」の意味
①英語では、「leprosy」である。
②かつては、「らい病」と訳されていた。
③これらの用語は、医学的には、「ハンセン氏病」と呼ばれるものである。
④しかし、当時のパレスチナには、この病気はなかった。
*これは、慢性の皮膚病だろう。乾癬(かんせん)がその例である。
*織物、編物、皮製品に関する言及もある(レビ13章)。
*家の壁に関する言及もある(レビ14章)。
⑤反省に立った新しい訳語
*「重い皮膚病」(新共同訳)
*「ツァラアト」(新改訳2017)
2.アウトライン
(1)ツァラアト患者の懇願(12節)
(2)イエスの応答(13節)
(3)癒しの結果(14~16節)
3.結論:メシア時代の到来
ツァラアト患者の癒しについて学ぶ。
Ⅰ.ツァラアト患者の懇願
1.12節a
Luk 5:12a
さて、イエスがある町におられたとき、見よ、全身ツァラアトに冒された人がいた。
(1)文脈上、これはガリラヤのある町である。
①その町で、メシアがガリラヤに現われたことを証明する奇跡が起こった。
(2)ルカの医者としての視点が表われている。
①「全身ツァラアトに冒された人」(新改訳2017)
②「全身重い皮膚病にかかった人」(新共同訳)
③彼は、間違いなくツァラアト患者である。
(3)この人は、ユダヤ人のツァラアト患者である。
①癒された後、モーセの律法の定めに従っていけにえを献げる義務がある。
②後で見るが、ユダヤ人のツァラアト患者が癒されるのは、これが初めてである。
(4)レビ記13~14章にツァラアトに関する規定がある(合計116節)
Lev 13:2
「ある人のからだの皮膚に腫れもの、あるいはかさぶた、あるいは斑点ができて、からだの皮膚にツァラアトに冒された患部が現れたときは、彼を祭司アロンのところか、アロンの子らで祭司の一人のところに連れて来なければならない。
Lev 13:3
祭司は、そのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、患部がそのからだの皮膚よりも深いところに見えているなら、それはツァラアトに冒された患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。
①ツァラアトの判定を下すのは、祭司である。
②ツァラアト患者は、儀式的に汚れている状態にある。
③幕屋や神殿に入ることができない。霊的祝福を受ける機会が奪われた。
④ツァラアト患者に触れた人は、汚れた状態になる。
⑤ラビの中には、ツァラアトは罪の結果であると強く主張する者もいた。
⑥キリスト教会もまた、長年、似たような過ちを犯してきた。
(5)聖書には、なぜツァラアトに関する規定がよく出てくるのか。
①衛生概念が未発達なので、皮膚病患者は多くいた。
②皮膚病は治療困難な病だったので、患者との接触を制限する必要があった。
③ツァラアトと罪の間には、相関関係はない。
④しかし、神の聖さを教えるために、ツァラアトは視覚教材として用いられた。
*罪は内部深くに潜み、すぐに伝染する。
(6)レビ13:45には、ツァラアト患者に対する命令が記されている。
Lev 13:45 患部があるツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。
①ツァラアトの判定を受けた者は、悲惨な状態に直面する。
②その者は、自分の衣服を引き裂く。
③家族や共同体を離れて、隔離された地区に住むようになる。
④髪の毛を乱し、目から下の顔の部分を覆う。
⑤歩く時は、「汚れている、汚れている」と叫ぶ。
⑥以上の命令の目的は、ツァラアトの伝染を防ぐためである。
⑦微生物や細菌に関する知識がない時代の規定としては、驚くべきものである。
2.12節b
Luk 5:12b
その人はイエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります。」
(1)その人は、「ひれ伏してお願いした」。
①この動作は、旧約的なものである。
②神に祈りを捧げる時の姿勢である。
③シモン・ペテロも舟の中で同じ姿勢を取った(ルカ5:8)。
④彼はすでに、モーセの律法の垣根を越えている。
(2)その人は、「主よ」と言った。
①これは、キュリオス(キュリエ)という呼びかけである。
②シモンも舟の中で同じ呼びかけをした(ルカ5:8)。
③シモンはイエスから離れ、ツァラアト患者はイエスに近づく。
④ともに、メシアである方への健全な応答である。
(3)訳語の比較
「主よ、お心一つで、私をきよくすることがおできになります」(新改訳2017)
「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(新共同訳)
「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」(口語訳)
「主よ、御意ならば、我を潔くなし給ふを得ん」(文語訳)
(4)彼は、イエスにはツァラアトを癒す力があると信じていた。
①「主よ」という呼びかけの言葉が、それを示している。
②しかし、イエスが、実際にそうしてくださるかどうか確信がなかった。
③隔離生活を強いられていたので、自分の価値を見失っていたのであろう。
④自分には、癒しの恵みを受ける資格はないと思っていた。
Ⅱ.イエスの応答(13節)
1.13節
Luk 5:13
イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた。
(1)イエスの憐み
①イエスは、ことばを発するだけで癒しを行えた。
②しかし、手を伸ばして、彼にさわった。
③ペテロの姑の癒しの場合も、「手を取って起こされた」とある(マコ1:31)。
④モーセの律法は、ツァラアト患者に触れると汚れると教えていた。
⑤この場合は、イエスの清さが伝染し、汚れを追い出したのである。
⑥イエスは、「わたしの心だ」と言われた。
(2)「きよくなれ」は、ギリシア語で一言「καθαρίσθητι」。
①英語では、「Be thou made clean」である。
②受動態の命令形である。
③彼は、即座に癒された。
*悪霊の追い出しは、即座に起こった。
*シモンの姑の熱病は、即座に癒された。
④魂と肉体が同時に癒された。
*ツァラアトの宣告を受けてから、他人から触れられたことがなかった。
⑤イエスのことばと行動によって、彼は全人的に癒された。
Ⅲ.癒しの結果(14~16節)
1.14節
Luk 5:14
イエスは彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのため、モーセが命じたように、あなたのきよめのささげ物をしなさい。」
(1)イエスは、「だれにも話してはいけない」と言われた。
①群衆が、押し寄せて来ないように。
②イエスのメッセージが、正しく理解されるように(政治的メシア像の危険性)。
③もし話せば、彼はエルサレムに到達することができないであろう。
④証言する前に、祭司から清めの宣言を受ける必要があった。
(2)イエスは、モーセの律法に従ってきよめのささげ物をするように命じた。
①レビ記13~14章は、ツァラアトが癒された場合の清めの手順を記録している。
*2羽の生きているきよい小鳥を取り、1羽をほふる。
*生きている小鳥を血に浸し、それから野に放す。
*小鳥の血を癒された人に、7度振りかける。
*7日間の厳しい観察の期間が続く。
*その後、癒されたと宣言される。
*8日目に、4種類のささげ物を献げる。
*罪過のためのいけにえの血を取り、それをきよめられる者に塗る。
・右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指
*同じ場所に、オリーブ油を塗る。
*その後、ユダヤ人社会に復帰することができる。
(3)「人々への証しのため、」
①人々とは、原文では「彼ら」である。先行詞が存在しない。
②「彼ら」とは、宗教的指導者たちである。
③ツァラアト患者の癒しは、彼らに対する「しるし」であった。
2.15~16節
Luk 5:15
しかし、イエスのうわさはますます広まり、大勢の群衆が話を聞くために、また病気を癒やしてもらうために集まって来た。
Luk 5:16
だが、イエスご自身は寂しいところに退いて祈っておられた。
(1)イエスの意図通りにはならなかった。
①癒された人は、言い広めた(マコ1:45)。
*ルカはそれを書いていない。
*イエスの権威がここでの強調点である。
②癒された人がエルサレムに上ったかどうかは、分からない。
(2)イエスのうわさが広まり、大勢の群衆が集まって来た。
①イエスの話を聞くため
②病気を癒してもらうため
(3)イエスは、荒野に退いて祈っておられた。
①これは、イエスの日常の習慣であった。
②民衆に受け入れられるかどうかは、重要なことではなかった。
③父なる神の承認を受けることのほうが重要である。
結論:メシア時代の到来
1.メシア的王国の預言
(1)国家的に危機に際して、預言者たちはメシア的王国を預言した。
(2)バビロン捕囚以降も、同じである。
(3)マラキ以降、メシア待望の時代になる。
(4)バプテスマのヨハネが登場した。
(5)そして今、民族的期待が成就した。
2.メシア到来の証拠
(1)これは、ユダヤ人のツァラアト患者が癒された最初の例である。
①祭司たちは、このために「きよめのささげ物」を献げたことがなかった。
(2)旧約聖書では、2名のツァラアト患者が癒されている。
①ミリアムの例(民12:10)
*この癒しは、モーセの律法が完結する前の出来事である。
②ナアマン将軍の例(2列5:14)
*ナアマンは、シリア人であった。
(3)当時のユダヤ教は、奇跡を「一般的な奇跡」と「メシア的奇跡」に区分していた。
①ツァラアトの癒しは、メシア的奇跡である。
②祭司たちは、それを理解した。
③一般民衆も、それを理解した。
④メシア的奇跡の場合は、通常の反応とは異なる反応が返ってくる。
(4)ユダヤ人たちが待ち望んでいたメシアが到来した。
①しかし彼らは、態度を保留した。
②イエスに対する態度を保留するのは、残念なことである。
③今は、恵みの時代である。
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