メシアの生涯(22)—最初の弟子たち—

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このメッセージでは...

最初の弟子たちの召命について学びます

「最初の弟子たち」  ヨハ1:35~51

1.はじめに

  (1)イエスの公生涯の開始

①神の国運動の中心が、ヨハネからイエスに移った。

②イエスの最初の弟子たちは、バプテスマのヨハネの弟子たちであった。

    (2)最初の弟子たち(A.T.ロバートソンの§28)

    (3)弟子とは

      ①ユダヤ教の習慣では、ラビの周りに弟子たちが集まった。

*巡回ラビと定住ラビがいた。

      ②弟子とは、生徒(学ぶ者)のことである。

        *ヘブル語で、タルミディム。

        *全面的信頼関係があった(カルト的な意味ではなく)。

        *目標は、知識、知恵、行動、人格において、師のようになること。

      ③ユダヤ教では、生徒は自分でラビを見つけることになっていた。

        *イエスの場合は、その習慣は当てはまらない。

  2.アウトライン

    (1)アンデレとヨハネ(35~40節)

    (2)ペテロ(41~42節)

    (3)ピリポ(43~44節)

    (4)ナタナエル(45~51節)

  3.メッセージのゴール

    (1)留まることの重要性

(2)可能性を見ることの重要性

(3)見られているという意識の重要性

このメッセージは、最初の弟子たちの召命について学ぼうとするものである。

Ⅰ.アンデレとヨハネ(35~40節)

  1.35~36節

  「その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、イエスが歩いて行かれ

るのを見て、『見よ、神の小羊』と言った」

  (1)「ふたりの弟子」

    ①アンデレと、もうひとりは、この福音書の著者ヨハネであろう。

    ②バプテスマのヨハネは、自分の弟子を失うことになる。

      *バプテスマのヨハネの使命は、メシアを指し示すことである。

  (2)「見よ、神の小羊」

    ①過越の小羊(出12章)

②受難のしもべ(イザ53:7)

2.37~38節

「ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。イエスは振り向い

て、彼らがついて来るのを見て、言われた。『あなたがたは何を求めているのですか』。彼

らは言った。『ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか』」

  (1)ラビが弟子を取るときのユダヤ的習慣

①志願者は、ラビの教えに耳を傾けながら、距離を置いてその後に付いて行く。

*この状態は、数時間から数日、場合によってはそれ以上続く。

②ラビが、「あなたは、何を求めているのか(誰を探しているのか)」と質問する。

③志願者は、「ラビ。今どこにお泊りですか(お住まいですか)」と問いかける。

  *志願者は、ラビとの静かな対話を求めているのである。

④ラビの回答

*「お前と何の関係があるのか」は、断りの言葉。

*「来なさい。そうすれば分かります」は、受容の言葉。

(2)ふたりの弟子の場合も、このステップに沿って話が進んでいる。

  ①彼らは、イエスについて行った。

  ②イエスは、「あなたがたは何を求めているのですか」と問いかけた。

  ③彼らは、「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか」と質問した。

    *異邦人読者のために、ラビという言葉を解説している。

    *日本語としては、「先生」よりも「師」の方がよいだろう。

  3.39~40節

  「イエスは彼らに言われた。『来なさい。そうすればわかります』。そこで、彼らはついて

行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょ

にいた。時は第十時ごろであった。ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのう

ちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった」

  (1)イエスは彼らを弟子として迎えた。

    ①「来なさい。そうすればわかります」は、第4のステップの回答である。

    ②恐らくイエスは、友人の家に宿泊していたのであろう。

  (2)この日、彼らはイエスをメシアと信じた。

    ①「時は第十時ごろであった」

       *ユダヤ式時間では、午前6時から数えて第10時。午後4時。

      *ローマ式時間では、午前0時から数えて第10時。午前10時。

      *恐らく午前10時であろう(ヨハネの福音書はエペソで執筆された)。

    ②「そして、その日彼らはイエスといっしょにいた」

      *午前10時から一日中。必ずしも泊まったということではない。

      *イエスと親しく話し合った。

      *その内容は、恐らく旧約聖書(律法と預言者)のメシア預言であろう。

Ⅱ.ペテロ(41~42節)

   1.41節

  「彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、『私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に

会った』と言った」

   (1)「彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて」

     ①何をするよりも先に自分の兄弟シモンを見つけてという解釈が多い。

    ②別の解釈が可能(ギリシア語のプロトス)

      *ヨハネもまた自分の兄弟ヤコブを探した。

      *しかし、アンデレの方が先に自分の兄弟を見つけた。

    ③いずれにしても、ふたりの弟子の熱意が伝わってくる。

    (2)「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」

    ①ユダヤ人が長年夢に描いてきたことが実現した。

    ②これまで師であったバプテスマのヨハネが、この方を指し示した。

    ③自らが、そのお方のそばに座り、心ゆくまでその教えに耳を傾けた。

    ④書かれてはいないが、それを聞いたペテロは、戸惑ったことであろう。

  2.42節

  「彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。『あ

なたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします』」

   (1)イエスのもとに連れて来るのは、最善の方法である。

  (2)イエスの行為

    ①彼に目を留めた。その本質を見極めた。

    ②彼の名を呼んだ。「ヨハネの子シモン」は、「バル・ヨハネ・シモン」である。

    ③彼に新しい名を与えた。

      *「ケパ」はアラム語で岩という意味。

      *ギリシア語では「ペテロ」(ペテロス)。これもまた岩という意味。

Ⅲ.ピリポ(43~44節)

  1.43~44節

  「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて『わたしに

従って来なさい』と言われた。ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町

の出身であった」

  (1)ガリラヤに帰ろうとされた時に、ピリポを見つけた。

    ①今イエスはユダヤにいる。自宅のあるガリラヤに戻ろうとされた。

  (2)今度は、イエスから招いている。

    ①ユダヤ教の習慣にはないことである。

  (3)ピリポの背景

    ①ベツサイダ出身(ガリラヤ湖の北東にある町)

    ②アンデレやペテロと同じ町の出身

    ③この時、アンデレやペテロからイエスに関する情報を得たであろう。

Ⅳ.ナタナエル(45~51節)

   1.45~46節

  「彼はナタナエルを見つけて言った。『私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たち

も書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです』」。ナタナエルは彼

に言った。『ナザレから何の良いものが出るだろう』」。ピリポは言った。『来て、そして、

見なさい』」

    (1)ピリポの熱意(情熱)が、彼をしてナタナエルを見つけさせた。

    (2)「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました」

      ①申18:18の預言

      「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者

を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じ

ることをみな、彼らに告げる」

②旧約聖書の預言者たちの預言

    (3)「ナザレの人で、ヨセフの子イエスです」

       ①イエスは、「イェシュア・ベン・ヨセフ」である。

      ②「イェシュア・ベン・エロヒム」(神の子)という呼称も可能である。

      ③ヨセフはイエスの法律上の父であり、イエスを養育する責任があった。

    (4)ナタナエルは、「ナザレから何の良いものが出るだろう」と応答する。

      ①これが、当時のユダヤ人の普通の反応である。

        *メシアは、エルサレムか、ヘブロンから。

②ガリラヤ地方そのものが。エルサレムから見ると、格下の地方である。

③さらに、そのガリラヤ地方の中でも、ナザレは特に軽蔑の対象であった。

④ナザレは、旧約聖書にその名が出てこない村である。

    (5)ピリポは、それ以上論じることはせず、「来て、そして見なさい」と言った。

  2.47~49節

  「イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。『これこそ、

ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない』」。ナタナエルはイエスに言った。

『どうして私をご存じなのですか』。イエスは言われた。『わたしは、ピリポがあなたを呼

ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです』」。ナタナエルは答えた。『先

生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です』」

  (1)ナタナエルに関する情報

「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない」

①イスラエルとはヤコブの別名である。

*父イサクを欺き、20年間も実家を離れて生活せざるをえなくなった。

②ナタナエルは、イスラエルという名にふさわしい人物である。

*先祖ヤコブのような偽りがない。

(2)ナタナエルの質問

「どうして私をご存じなのですか」

   ①自分に対するイエスの評価を否定していない。

  ②彼の疑問は、初対面の人が、どこからその情報を手に入れたのかということ。

(3)イエスの回答

「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見た

のです」

  ①イエスの神性

  ②「いちじくの木の下」

    *安全、休息、黙想の場を示す。

    *1列4:25、ミカ4:4、ゼカ3:10

(4)ナタナエルの告白

「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」

  ①「ラビ」と呼びかけている。

②旧約聖書の背景。2サム7:14、詩2:6~7。

③彼が、三位一体や受肉の真理を理解したということではない。

  3.50~51節

  「イエスは答えて言われた。『あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言

ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ること

になります』」。そして言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開

けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます』」

  (1)イエスがメシアであることを、より確実な証拠をもって信じるようになる。

    ①「それよりもさらに大きなこと」とは、ヨハ2~13章に出て来る奇跡である。

  (2)イエスは、ナタナエルが黙想していた箇所を言い当てている。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが

人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます」

  ①「まことに、まことに」は、「アーメン、アーメン」である。

  ②創28:10~12

「ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。ある所に着いたとき、

ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一

つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。そのうちに、彼は夢を見た。

見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神

の使いたちが、そのはしごを上り下りしている」

③創28:18~19

「翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その

上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の

名は、以前はルズであった」

④一つのはしごが、天と地の間を結ぶ役割を果たしている。

  *天使たちが上り下りしているのは、天と地のコミュニケーションである。

⑤ヤコブはここを、ベテル(神の家)と呼んだ。

    (3)イエスは、天と地を結ぶ新しいコミュニケーションの方法である。

      「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、

神を説き明かされたのである」(ヨハ1:18)

    (4)イエスは、新しいベテルとしてご自身を啓示された。

      「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。

父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに

満ちておられた」(ヨハ1:14)

結論:

  1.留まることの重要性

    (1)ギリシア語の「メノウ」という言葉

      ①38節の「今どこにお泊まりですか」

      ②39節の「イエスの泊まっておられる所」

      ③39節の「イエスといっしょにいた」

    (2)「メノウ」は新約聖書に112回出て来る。

      ①その内66回が、ヨハネが書いた書に出て来る。

      ②福音書に40回、1ヨハに23回、2ヨハに3回。

      ③その意味は、留まる、滞在する、続く、持ちこたえる、など。

    (3)神学的に最も重要な聖句は、ヨハ15:4である。

    「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどう

の木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがた

も、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません」(ヨハ15:4)

  ①情熱や熱意は、いつか冷める。

  ②継続する力は、イエスにとどまる(ネノウ)ことにある。

  2.可能性を見ることの重要性(イエスは、弟子たちの可能性に目を留めた)。

    (1)アンデレは、脇役である。

      ①「シモン・ペテロの兄弟アンデレ」と呼ばれている。

      ②登場する時はいつも、人をイエスのもとに連れて来る。

        *1:42(ペテロ)、6:4~9(少年)、12:20~22(ギリシア人)

    (2)ペテロは、粗削りで、直情型の人間である。

      ①イエスは彼に、ケパ(ペテロ)という新しい名を与えた。

      ②教会誕生後、彼は岩のような役割を果たした。

    (3)ピリポは、ごく普通の人である。

      ①ヨハネの福音書にしか情報はない。

      ②登場する時は、アンデレとの関係で出て来る。

      ③自分から積極的に求めるタイプではない。

      ④イエスから彼を招かれた。

      ⑤神の国の拡大のためには、ピリポタイプも必要である。

  3.見られているという意識の重要性

    (1)ナタナエルの信仰の土台は、ここにある。

      ①カルト的リーダーシップの問題点は、不安感である。

    (2)詩139篇

    「【主】よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるの

も、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩み

と私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にの

ぼる前に、なんと【主】よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは

前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私

にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません」(1~6節)

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってくだ

さい。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いて

ください」(23~24節)

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