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メシアの生涯(16)—少年イエスのエルサレム上り—
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人間イエスの成長について学ぶ。
「少年イエスのエルサレム上り」 ルカ2:40~52
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカのイントロダクション
②ヨハネの前書き
③バプテスマのヨハネの誕生
④イエスの誕生
(2)今日の箇所は3つの部分に分れる。
①ナザレでの子ども時代(ATロバートソンの§17)
②12歳でのエルサレム訪問(§18)
③公生涯までの生活(§19)
(3)注目すべき神学的テーマ
①人間論
*原罪を宿さない人間の赤子の成長が記録されている。
*人類の歴史上、初めてのことである。
②キリスト論
*キリストは、神であることを放棄したことはない。
*受肉とは、神としての特権を捨てて人となられた、ということ。
*人間イエスがどのようにして自我に目覚めて行ったかが記録されている。
2.アウトライン
(1)12歳までのイエス(40節)
(2)12歳でのエルサレム訪問(41~50節)
(3)12歳以降のイエス(51~52節)
3.メッセージのゴール(3つの予表)
(1)エルサレムの中心性
(2)教師としてのイエス
(3)敬虔な人生
このメッセージは、人間イエスの成長について学ぼうとするものである。
Ⅰ.12歳までのイエス(40節)
1.40節
「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった」
(1)バプテスマのヨハネとの対比
ルカ1:80
「さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日ま
で荒野にいた」
①肉体的成長
②霊的成長
(2)イエスの場合
①肉体的成長
②霊的成長
③知恵に満ちて行った。
*現在形、受動態、分詞
*肉体的成長に正比例して、知恵が増していった。
*これが理想形であるが、必ずしもそうはなっていない。
*原罪のない人間性が、どのように成長するかの例証である。
*肉体の成長に伴って、知的、道徳的、霊的成長を遂げる。
*後にも先にも、これが唯一の完ぺきな成長の例である。
④神の恵みがその上にあった。
*「恵み」とは「カリス」である。
*受ける価値のない者が、一方的に神の祝福に与ること。
*ここでは、神の寵愛を受けていたという意味。
(3)ルカは一貫して、ヨハネとイエスを対比してきた。
①イエスはヨハネよりも偉大であるとのメッセージがある。
②当時の人たちには、これは重要なメッセージであった。
(4)12歳までのイエスに関する記述は、これだけである。
①ルカの目的は、イエスの公生涯を記すことにある。
②私的生活にはスペースを割かない。
③イエスの知恵については、次の箇所で解説している。
Ⅱ.12歳でのエルサレム訪問(41~50節)
1.41節
「さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った」
(1)3つの巡礼祭(成人男子がエルサレムに上って祝う祭り)
①過越の祭り
②七週の祭り(五旬節、ペンテコステ)
③仮庵の祭り
(2)離散以降、ディアスポラのユダヤ人たちにはこれを実行するのが困難になった。
①年に一度、過越の祭りにはエルサレムに上る。
②あるいは、数年に一度、生涯に一度など、経済状況に応じて異なる。
③生涯、一度もエルサレムに上らないユダヤ人も多くいた。
(3)パレスチナのユダヤ人たち
①過越の祭りの優位性
②少なくとも、年に一回、過越の祭りの時にエルサレムに上るように努力した。
③ヨセフとマリアは、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。敬虔なユダヤ人。
④マリアは必ずしも行く必要はなかったが、信仰の表現としてそれを実行した。
⑤紀元1世紀のユダヤ人社会では、婦人の参加は一般的な習慣になっていた。
⑥ちなみに、エルサレム以外で行う過越の祭りは、モーセの律法違反である。
2.42~43a節
「イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を
過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた」
(1)12歳という年齢
①ユダヤ人の少年が父の職業を学び始める年齢である。
②13歳になると、神の前で成人した男子と見なされるようになる。
「父親は、13歳までは息子に神について話すが、バール・ミツバ以降は、神に息
子について話す」
③バール・ミツバという成人式の習慣は、後代のものかもしれない。
④預言者サムエルとの対比
1サム2:26
「一方、少年サムエルはますます成長し、【主】にも、人にも愛された」
1サム3:10
「そのうちに【主】が来られ、そばに立って、これまでと同じように、『サムエル。
サムエル』と呼ばれた。サムエルは、『お話しください。しもべは聞いております』
と申し上げた」
*ヨセフスはこれを、サムエル12歳の時と解説している。
(2)両親はイエスをエルサレムに連れて行った。
①これは初めてなのかどうか、分からない。
②12歳でのエルサレム訪問は、イエスの生涯で画期的な経験となった。
(3)祭りの期間を過ごしてから、帰路についた。
①過越の祭りは1日の祭りである。
②それに続いて、7日間の種なしパンの祭りがある。
③この時代、合計8日間を「過越の祭り」、「種なしパンの祭り」などと呼んだ。
④ユダヤ教では、巡礼者は最低2日間エルサレムに留まるように命じられた。
(4)42~43a節の主動詞は、「とどまった」である。
「少年イエスはエルサレムにとどまっておられた」(新改訳)
「少年イエスはエルサレムに居残っておられた」(口語訳)
「少年イエスはエルサレムに残っておられた」(新共同訳)
①両親への意図的反抗ではない。
②潜在意識の中にあった神殿や礼拝への興味が、少年イエスを捉えた。
3.43b~47節
「両親はそれに気づかなかった。イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを
行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、見つからなかったので、イエスを捜
しながら、エルサレムまで引き返した。そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師た
ちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた
人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた」
(1)当時の巡礼者たちは、安全のためにグループ(キャラバン)を作って移動した。
①両親は、イエスがグループの中にいるものと思い込んでいた。
②自立するのは、12歳の少年にはよいことである。
(2)3日間の動き
①1日目は、エリコまで行き、そこでイエスいないことを発見した。
②2日目は、エルサレムまで引き返した。
③3日目は、イエスを宮で発見した。
(3)イエスの状態
①教師たちの真ん中に座っていた。
*律法学者と書かないのは、その言葉には否定的なニュアンスがあるから。
②話を聞いたり、質問したりしていた。
*ユダヤ式教授法は、質問を多用する。
*教師が生徒に質問したり、生徒に質問させたりする。
③イエスの教授法も同じである。
マタ22:43~45
「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、『主は私の主に言
われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の
座に着いていなさい。」』と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んで
いるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう」
(4)聞いていた人々の状態
①イエスの知恵と答えに驚いていた。
②40節の「知恵に満ちていった」が実証された。
4.48節
「両親は彼を見て驚き、母は言った。『まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたので
す。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです』」
(1)驚きの理由は、イエスを本当の意味で理解していないから。
①聞いてはいた(天使、羊飼いたち、シメオン、東方の博士などの言葉)。
②しかし、本当のことは聞いていなかった。
③誕生以来、12年間の平凡な日常生活があった。
5.49~50節
「するとイエスは両親に言われた。『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わ
たしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか』。しかし両親には、
イエスの話されたことばの意味がわからなかった」
(1)イエスの最初のセリフである。
(例話)劇作家は、最初のセリフを推敲して書いている。
①メシアの公生涯の方向性を決するものである。
(2)訳文の比較
「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいる
ことを、ご存じなかったのですか」(新改訳)
「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、
ご存じなかったのですか」(口語訳)
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前
だということを、知らなかったのですか」(新共同訳)
①これは、ほとんど地上の両親との断絶宣言に近い。
②少年イエスの心に育ったメシアとしての使命意識
③「父の家」は「父の仕事」とも訳せる(KJVはそう訳している)。
④12歳のイエスは、天の父からも職業訓練を受け始めていた。
⑤イエスが神を「父」と呼んだ時点から、新しい時代の幕開けとなった。
(3)両親は、イエスのことばの意味を理解できなかった。
①マリアの自己吟味
ルカ2:19
「しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた」
ルカ2:51
「母はこれらのことをみな、心に留めておいた」
(4)弟子たちも、見たり聞いたりしていたが、本当のところはそうではなかった。
①すべてのことが腑に落ちるのは、復活を目撃して以降である。
②ペンテコステ以降、聖霊が彼らを真理へと導いた。
Ⅲ.12歳以降のイエス(51~52節)
1.51節
「それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。
母はこれらのことをみな、心に留めておいた」
(1)父なる神への従順と、地上の両親への従順の両立。
①エルサレムのとどまったのは、反抗的な動機からではないことを説明する。
②両親への従順は、モーセの律法が要求する責務である。
③大工としての職業を身に付けた。
2.52節
「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」
(1)両親やラビたちよりも律法を理解していた少年が、約18年間の時を過ごす。
①肉体的成長に正比例して知恵を身に付けた。
②神と人に愛された。理想的な成長過程が描かれている。
③これ以外の情報は、何も書かれていない。
④次に登場するのは、およそ30歳になってからである。
結論:これから発展していくテーマについて3つの予表がある。
1.エルサレムの中心性
(1)少年イエスがメシアとしての使命に目覚めたのは、エルサレムである。
(2)メシアは、エルサレムで十字架に付く。
(3)メシアは、エルサレムで復活する。
(4)今は、霊とまことによって神を礼拝する時である。
(5)しかし、終末の出来事は、エルサレムを中心に起こる。
①大患難時代
②メシアの再臨
③メシア的王国
(6)エルサレムが国際紛争の中心になるのは、偶然ではない。
2.教師としてのイエス
(1)教師たちの中に座って、教師たちを仰天させるイエス
(2)マタ11:28~30
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休
ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを
負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであ
ろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
3.敬虔な人生
(1)過越の祭りを守る両親
(2)律法を学ぶイエス
(3)両親への従順な生活
(4)信仰表現としての律法の実践
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