私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(4)—ヨハネによる序言(3)—
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ヨハネの福音書の序言を3回に分けて学ぶその3回目。
「ヨハネによる序言(3)」
ヨハ1:14~18
1.はじめに
(1)4つの福音書を並べ、時間順にメシアの生涯を追って行く。
①ルカによる献呈の辞、ヨハネによる序言(1)と(2)を終えた。
②今回は、ヨハネによる序言(3)である(ヨハ1:14~18)。
(2)ヨハネによる序言についてのコメント
(例話)ペリー先生のアドバイス(最後に序言を書け!)
①ヨハネは、歴史的出来事を書いた後に、神学的論考を付け加えたのであろう。
②ヨハネの序言は、この福音書を読み終わってから読むと、より分かる。
2.アウトライン(14~19節)
(1)受肉の事実(14節)
(2)挿入句(15節)
(3)受肉の解説(16~18節)
3.メッセージのゴール
(1)ユダヤ人にとってのロゴス
(2)栄光という言葉の意味
(3)神の臨在の個人的体験
このメッセージは、ヨハネの序言からメシアについて学ぼうとするものである。
Ⅰ.受肉の事実(14節)
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみ
もとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」
1.「ことばは」(ロゴス)
(1)ヨハネの福音書では、1:1と1:14にしか出てこない。
①他の福音記者たちは、メシアを「ことば」とは呼んでいない。
②「ことば」に関する解説は、2つの部分に分れる。
③前半(1~13節)
*「ことば」の永遠性と、神性
*「ことば」は、宇宙の創造主である。
④後半(14~18節)
*「ことば」の歴史への介入
2.「人となって」
「ことばは人となって、」(新改訳)
「言は肉体となり、」(口語訳)
「言は肉となって、」(新改訳)
(1)神から人間に変わったということではない。
①ことばの神性に人間性が付加された。
(2)人間のような姿になられた(見えた)ということでもない。
①ことばは、完全に人間性を持たれた。
(3)この人間性と罪とは無関係である。
①本来の人間性は、罪のないものである。
(4)これを神学的には「受肉(Incarnation)」と呼ぶ。
①キリスト教信仰の基本的合意事項である。
②この事実は、自動的に他の救いの可能性をすべて排除する。
③初期の信者たちは、この信仰のゆえに殉教の死を遂げて行った。
④1ヨハ4:2~3
「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。そ
れによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神
から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが
来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです」
3.目撃者の証言
「私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られた
ひとり子としての栄光である。」(新改訳)
「わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子と
しての栄光であって、」(口語訳)
「わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子とし
ての栄光であって、」(新共同訳)
(例話)中学時代の社会科の授業で、ジンギスカンについての情報を得た。
これは、目撃者の情報である。
(例話)大学時代の寮生活で、イエスについての情報を得た。
これは、情報を信じた人の情報である。情報源は、イエスの弟子たちにある。
(1)「私たち」とは誰か。
①イエスの公生涯の目撃者たち
②ヨハネを含む信者の共同体
③14節は、目撃者の証言。
(2)彼らは何を見たのか。
①「住む」「宿る」は、ギリシア語で「スケイノオウ」という動詞である。
②ヘブル語のシャカイナと関係のあるギリシア語である。
③直訳は、「テントを張った」「幕屋を張った」である。
④ロゴス(神性を持った方)が幕屋(人性)の中に宿った。
(3)ヘブル的背景(絵画的説明)
①出エジプト記に出てくる幕屋と、メシアの受肉の相関関係
②荒野の旅において、イスラエルの民の間に幕屋があった。
「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた」(出40:34)
*奴隷から自由の民へ
*幕屋は、神がともにおられることの証拠となった。
*幕屋には、シャカイナグローリーが満ちた。
*目に見えない神の臨在を示す現象である。
③人生の荒野において、私たちの間に神の幕屋がある。
*イエスは、目に見えない神の臨在を示すお方である。
(4)「父のみもとから来られたひとり子」
①「ひとり子」はギリシア語で「モノゲネイス」である。
②One and Only, Unique
③ヨハネは、「神から遣わされた使者」である。
④ロゴスは、「父のみもとから来られた比類なき御子」である。
(5)「恵みとまことに満ちておられた」
①「恵み」とは、ヘブル語で「ヘセッド」(契約への忠実さ、契約に基づく愛)。
②「まこと」とは、ヘブル語で「エメット」(揺るがされることのないお方)。
③この2つは、神の基本的な性質でもある。
Ⅱ.挿入句(15節)
「ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。『「私のあとから来る方は、私にまさる
方である。私より先におられたからである」と私が言ったのは、この方のことです』」
1.挿入句の意味
(1)時間的にはヨハネはイエスよりも先に登場した。
①誕生において
②奉仕において
(2)しかし、イエスの存在と奉仕は、ヨハネに先んじていた。
2.挿入句の目的
(1)ヨハネの影響を受けた人たちの誤解を解くため
(2)「光」についてのコメント。太陽と月の関係。
Ⅲ.受肉の解説(16~18節)
1.16節
「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたの
である」
(1)再び、「私たち」(共同体の体験)が出てくる。
(2)「恵みの上にさらに恵みを受けた」
①ヘブル的表現であろう。
②「Holy of Holies」「Song of Songs」「King of Kings」
2.17節
「というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによっ
て実現したからである」
(1)2つの時代の対比
①律法の時代と恵みの時代の対比
②「律法」という言葉には、否定的意味はない。
③人類救済計画は、順を追って実行に移された。
④律法の時代もまた、恵みにあふれていた時代である。
⑤犠牲のいけにえは、神との平和を回復するための方法であった。
⑥パリサイ人たちの問題は、律法の誤用にあった。
3.18節
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き
明かされたのである」
(1)ヘブル的には、神を見ることは死を意味した。
①旧約聖書には、神を見たと思われる人物が登場する(モーセ、イザヤ)。
②しかし、彼らが見たのは神ご自身ではなく、シャカイナグローリーである。
(2)メシアは、究極的なシャカイナグローリーである。
結論:
1 .ユダヤ人にとってのロゴス(アラム語のメムラ)
(1)メムラは、神とは別の存在であるが、神と同じお方でもある(1節)。
①三位一体の教理によって、初めて説明可能となる。
(2)メムラは、天地創造に参加されたお方である(3節)。
(3)メムラは、救いの代理人(agent)、仲介者である(12節)。
(4)メムラは、神の栄光の表れ(シャカイナグローリー)である(14節)。
(5)メムラは、契約の仲介者である(17節)。
(6)メムラは、啓示の仲介者である(18節)
2.栄光という言葉の意味
(1)ヨハネの福音書では、「栄光」と「時(十字架の時)」がリンクしている。
①7:30
「そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけ
た者はなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである」
②12:23
「すると、イエスは彼らに答えて言われた。『人の子が栄光を受けるその時が来
ました」
③13:1
「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来
たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残る
ところなく示された」
(2)「栄光を見た」の内容(6段階で考える必要がある)
①誕生
②公生涯(変貌のメシア)
③十字架(これがクライマックス)
④復活(十字架の有効性を証明した)
⑤昇天(大祭司としての働き)
⑥再臨(クリスチャンの希望)
3.神の臨在の個人的体験
(1)イスラエルの民の体験(抽象的なものではなかった)
(2)「私たち」(ヨハネを含む共同体)の体験(現実的なものであった)
(3)神の臨在が個人的現実となる必要がある。
(例話)母の死について(悲しみと安堵)
(例話)被災地の悲劇について
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