私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q277 天国でも病気はありますか
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277 天国でも病気はありますか
Q:黙示録22章2節に、「その木の葉は諸国の民を癒やした」と書いてありますが、天国へ行っても、「病気」というものは存在するのでしょうか。
A:確かに、「癒やした」という言葉を見ると、天国にも病気があるのかと不安になりますね。このテーマに関して、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、この箇所の文脈を確認してみましょう。
この箇所では、聖なる都エルサレムに関して、合計11の特徴が記されています。第8の特徴は、水晶のように光るいのちの水の川です。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れています。そして、第9の特徴は、いのちの木です。 いのちの川の両岸には、いのちの木が植わっています。この木は、エデンの園に植わっていたものですが、それが戻ってきたのです(創2:9)。この木は、豊かな実を実らせます。なんと、毎月が収穫期で、12種類の異なった実がなるのです。「毎月」とありますが、太陽と月がなくなりますので、今の私たちが認識している「月」とは異なった方法で、暦が定められるのでしょう。
2番目に、「癒やし」という言葉の意味を確認してみましょう。
いのちの木の葉には、特別な力があります。その力は、「癒やし」という言葉を使って描写されています。「癒やし」はギリシア語で、「セラペイアン」と言います。この言葉から英語の「therapeutic」(癒しの効果がある)という言葉が派生しました。ギリシア語の「セラペイアン」は、治療というよりは、「病気にかからないような予防的な力がある」という意味です。つまり、いのちの木の葉には、健康を与える力があるということになります。
3番目に、天のエルサレムに関する他の聖書箇所を調べてみましょう。
黙示録22章3節には、「もはや、のろわれるものは何もない」とあります。天のエルサレムは、永遠の秩序と呼ばれる世界です。そこには、いのちの木が植わっていますので、死も病も存在しません。従って、いのちの木の葉が病気の治療に用いられるということもありません。「のろわれるものは何もない」のです。 今の私たちにとっては、主イエスが癒し主です。霊的、肉体的に苦しむとき、主イエスに依り頼もうではありませんか。
参考になる聖句
「もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている」(黙22:3~4)
天のエルサレムには、のろわれるものは何もありません。
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