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申命記(20)第6戒〜第10戒
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第6戒〜第10戒について学ぶ
申命記20回
「第6戒〜第10戒」
申5:17~21
1.はじめに
(1)申命記の構造(宗主権契約に基づく4つの説教)
①第1の説教:歴史の回顧(1:5~4:43)
②第2の説教:契約に基づく義務(4:44~26:19)
*総論:臣下の義務(4:44~5:33)
*全的従順の呼びかけ(6~11章)
*律法の解説と日常生活への適用(12:1~26:15)
*【主】に対する誓約(26:16~19)
(2)シナイ山での契約締結とモアブの地での契約更新の対比
①シナイ山での契約締結では、恐ろしい光景が展開された。
②モアブの地での契約更新では、恵みと希望に満ちた光景が展開された。
③申5:6以降で、律法の内容が解説される(613の命令)。
④十戒が最初に出て来る。
2.メッセージのアウトライン
(1)第6戒(5:17)
(2)第7戒(5:18)
(3)第8戒(5:19)
(4)第9戒(5:20)
(5)第10戒(5:21)
3.結論:十戒のまとめ
第6戒~第10戒について学ぶ。
Ⅰ.第6戒(5:17)
1.17節
殺してはならない。
(1)第6戒は、「いのちの尊厳」を教えたものである。
①いのちは、神によって創造されたものである。
②人の内面は、「神のかたち」に創造されている。
③創1:27
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
(2)「殺す」とは、個人的な理由で、故意に人のいのちを奪うことである。
①自殺は自分のいのちを奪うことなので、第6戒の違反となる。
②第6戒は、死刑を禁止したものではない。
③神が死刑を命じる場合がある。
(3)レビ20:10
人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したなら、その姦淫した男も女も必ず殺されなければならない。
①結婚の尊厳を守るため
②家族制度を維持するため
(4)民35:21
または、敵意をもって人を手で打って死なせたなら、その打った者は必ず殺されなければならない。その人は殺人者である。その血の復讐をする者がその殺人者に出くわしたときには、彼を殺してもよい。
①故意に殺人を犯した者は、必ず殺されなければならない。
②過失の場合は、犯人は逃れの町に逃げ込むことができる。
(5)申13:15
あなたはその町の住民を必ず剣の刃で討たなければならない。その町とそこにいるすべての者、その家畜も剣の刃で聖絶しなさい。
①偶像礼拝を扇動した者への裁き
②【主】が命じる戦争への参加
2.私たちへの適用
(1)イエスは殺人を、心の状態にまで拡大して論じておられる。
①心の中で起こっていることが、行為として出て来る。
(2)マタ5:21〜22
昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
①イエスは、モーセの律法は心のあり方まで問題にしていると教えられた。
②パリサイ人の口伝律法とイエスの律法解釈の間には大きな違いがあった。
③それが両者の論争の原因となった。
(3)1ヨハ3:15
兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。
①神を愛することは、隣人を愛することである。
②キリスト教の真髄は、ここにある。
Ⅱ.第7戒(5:18)
1.18節
姦淫してはならない。
(1)第7戒は、結婚関係の尊厳を教えたものである。
①結婚は、神と信者の関係の投影である。
②聖書は、結婚関係という枠内における男女の肉体的交わりを祝福している。③旧約聖書の雅歌は、夫婦関係の喜びを歌ったものである。
④結婚関係の外で起きる性的罪は、すべて第7戒違反である。
⑤結婚している人が犯す罪は、相手に対する裏切りとなる。
⑥婚前交渉も罪である(創2:24、出22:16、申22:13~29参照)。
⑦第7戒は、家庭という制度を守るためのものでもある。
⑧結婚相手に不忠実なイスラエル人は、神との契約にも不忠実である。
⑨そういう者は、偶像礼拝に陥りやすい。
(2)ヘブ13:4
結婚がすべての人の間で尊ばれ、寝床が汚されることのないようにしなさい。神は、淫行を行う者と姦淫を行う者をさばかれるからです。
Ⅲ.第8戒(5:19)
1.19節
盗んではならない。
(1)第8戒は、私有財産の尊厳を教えたものである。
①神は、私たちのいのちだけでなく、所有物まで評価し認めておられる。
②他人のものを盗むのは、自分には自分の思いどおりに生きる権利があると
宣言しているのと同じことである。
(2)エペ4:28
盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。
Ⅳ.第9戒(5:20)
1.20節
あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。
(1)第9戒は、真実の大切さを教えたものである。
①嘘には、個人的なものと公のものがある。
②その中には、法廷での偽証から、うわさ話まで含まれる。
③偽証は、隣人の評判を傷つけることである。
④もし偽証を拒否するなら、その人は隣人の価値を守ったことになる。
⑤神は、そういう人を喜ばれる。
(2)エペ4:25
ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。
Ⅴ.第10戒(5:21)
1.21節
あなたの隣人の妻を欲してはならない。あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。」
(1)第10戒は、行為そのものではなく、心の問題を扱っている。
①すべての人は、貪欲という罪を持っている。
②貪欲は、他人の物を手に入れたら幸せになれるという誤解から発生する。
③貪欲は、神は必要を満たしてくださるという信仰に反する心の動きである。
④第10戒は非常に重要な命令である。
⑤これを守ることができたなら、十戒すべてを守ることができるようになる。
⑥すべての罪は、貪欲から生まれるものである。
(2)コロ3:5
ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。
①貪欲は、偶像礼拝である。
②偶像礼拝とは、神以外のものを第一にして生きていることである。
(3)ここで、十戒の鎖の輪が完成する。
①第1戒と第2戒は、偶像礼拝を禁止したものである。
②第10戒は、第1戒と第2戒につながっていく。
結論:十戒のまとめ
1.第1戒〜第4戒は、神と人との関係を規定する戒めである。
2.第5戒〜第10戒は、人と人との関係を規定する戒めである。
3.十戒は、古代世界できわめて稀な道徳法である。
4.異教の神々は気まぐれで、不道徳で、信頼できない。
5.イスラエルの民の場合は、神への信仰の表現が道徳的行為となって現れる。
6.旧約時代、神を信じるということは、モーセの律法に従って生きることを意味した。
7.十戒の中で第4戒(安息日)以外はすべて、「キリストの律法」に再度出て来る。8.ロマ13:8~10
だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。
「姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。隣人のものを欲してはならない」という戒め、またほかのどんな戒めであっても、それらは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばに要約されるからです。
愛は隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。
(1)キリストの律法の本質が、ロマ13:8〜10に記されている。
(2)「愛は律法の要求を満たすものです」
(3)ここに、律法主義から解放される秘訣がある。
(4)愛の実践は、聖霊の助けなしには不可能である。
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