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使徒の働き(68)―第二次伝道旅行の完結―
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第二次伝道旅行について学ぶ。
「第二次伝道旅行の完結」
使徒18:19~22
1.はじめに
(1)第二次伝道旅行の旅程
①アンテオケからトロアス
②マケドニア州(ピリピ、テサロニケ、ベレア)
③アカヤ州(アテネ、コリント)
④コリント→エペソ→カイザリヤ→エルサレム→アンテオケ
⑤これで、第二次伝道旅行が完結する。
⑥地図の表示
⑦写真④点ケンクレア①②、アルテミス神殿①②
(2)アウトライン
①エペソの会堂訪問(19節)
②ユダヤ人たちの反応(20~21節)
③エルサレムに向って(22節)
結論: 第二次伝道旅行のまとめ
(1)移動距離
(2)代表的なメッセージ
(3)救われた人々
(4)「神のみこころなら」
第二次伝道旅行の完結について学ぶ。
Ⅰ.エペソの会堂訪問(19節)
1.19節
Act 18:19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。
(1)ケンクレアの港を出て、エペソに着いた。
①アカヤ州の首都はコリントで、ケンクレアはその港である。
②アジア州の首都はエペソで、巨大な港を有していた。
③ケンクレアとエペソの間を往き来する船便が、エーゲ海では最も多かった。
④エペソは、アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港であった。
(2)エペソという町
①前1044年に建設された古代からある商業都市である。
②前4世紀以降、ギリシア風都市となった(アレキサンダー大王と後継者たち)。
③前2世紀の終わりに、ローマが支配する都市となった。
④大いに栄えた商業都市で、当然のことながらアジア州の首都となった。
⑤当時の人口は、20~25万人であろう。
⑥ユダヤ人にも寛容だったので、多くのユダヤ人が住んでいた。
⑦と同時に、魔術やオカルト的風習でも有名であった。
⑧世界の七不思議のひとつアルテミス神殿があった。
*66m×130mもある巨大な神殿
*アテネのパルテノン神殿の4倍もある。
⑨アルテミスは、多数の乳房を持った豊穣の女神。
*アジアにおける偶像礼拝と売春の中心地であった。
*地域経済も、アルテミス信仰によって潤っていた。
(3)第二次伝道旅行の初期において、パウロはエペソを目差していたと思われる。
①しかし、御霊はパウロをトロアスに導き、そこからマケドニアに導いた。
②第二次伝道旅行の終わりに、パウロはエペソを訪問することができた。
③しかしこの訪問は、旅行の途中で立ち寄ったという程度のものであった。
④とは言え、エペソ教会の基礎を築く重要な訪問となった。
(4)「パウロはふたりをそこに残し、」
①プリスキラとアクラが同行していた。
*恐らく、パウロの伝道を助けるためであろう。
②彼らは、エペソで船を下りて、この町に数年間留まることになった。
③最終的には、紀元57年までにはローマに戻ることになる(ロマ16:3)。
Rom 16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
(5)「自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた」
①ふたりと分かれたパウロは、単独で会堂に入って行った。
②船が出帆するまでの空き時間を、伝道のために用いたのである。
③彼は、単独で会堂に入り、ユダヤ人のためのメシアについて彼らと論じた。
*イエスは、約束のメシアであることを、ヘブル語聖書から論じた。
Ⅱ.ユダヤ人たちの反応(20~21節)
1.20節
Act 18:20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
(1)他の町のユダヤ人たちとは異なり、エペソのユダヤ人たちは興味を示した。
①彼らは、もっと長くとどまるようにパウロに頼んだ。
②パウロから、さらなる解き明かしを聞きたいと願ったのである。
(2)しかしパウロは、聞き入れなかった。
①祭りまでにエルサレムに着きたいと願っていた。
*過越の祭りか、五旬節の祭りか、仮庵の祭りか、断定できない。
*KJV:「I must by all means keep this feast that cometh in Jerusalem:」
*この文を本来書かれていたものと認める学者たちもいる。
②彼は、モーセの律法に慣れ親しんだユダヤ人である。
③彼には、律法を守る自由も、守らない自由もあった。
④エルサレムに上る目的は何か。
*エルサレム教会(母教会)と指導者たち(ヤコブ)への挨拶
*エルサレムで再会する旧友たちへの伝道
2.21節
Act 18:21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
(1)パウロは、エペソでは伝道の扉が開かれていることを実感した。
①「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言った。
②これは、外交辞令ではない。本気である。
③パウロは、一年も経たない内にエペソに戻ることになる。
Ⅲ.エルサレムに向って(22節)
1.22節
Act 18:22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。
(1)エペソからカイザリヤへ
①アンテオケに帰るなら、セルキヤに向う船に乗る。
②しかし、エルサレムに上る予定なので、カイザリヤに上陸した。
③エペソからカイザリヤまで、約800キロの船旅である。
(2)カイザリヤからエルサレムへ
①「上り」「下り」は、エルサレムに近づくか、遠ざかるかを表現した言葉である。
②パウロは、母教会にあいさつした。伝道の報告をしたのである。
(3)エルサレムからアンテオケへ
①エルサレムから北に向った。
②これで、第二次伝道旅行が完結した。
③さほど時間を置かずに、第三次伝道旅行が始まる。
結論:第二次伝道旅行のまとめ
1.移動距離
(1)第一次伝道旅行は、2,240キロを移動した。
(2)第二次伝道旅行は、約2年半で、その倍の4,480キロを移動した。
①使15:40~18:22
②京都からシンガポールまで約5,000キロある。
2.代表的なメッセージ
(1)第一次伝道旅行では、ピシデヤのアンテオケでのメッセージ。
①使13:16以降
②これは、会堂でユダヤ人に向けて語られたものである。
(2)第二次伝道旅行では、アテネでのメッセージ。
①使17:22以降
②これは、アテネのアレオパゴスで異邦人に向けて語られたものである。
(3)第三次伝道旅行では、ミレトでのメッセージ。
①使20:18以降
②これは、エペソの長老たち(信者)に向けて語られたものである
3.救われた人々
(1)パウロを通して、ヨーロッパは福音に触れた。
(2)その結果、多くのユダヤ人が救われた。
①パウロは、異邦人のための使徒として召された。
②しかし、ユダヤ人伝道を優先させた。
(3)テモテ、ルカ、アクラとプリスキラ夫婦、などとの出会いがあった。
(4)多くの異邦人とユダヤ人が救われた。
①神を敬う異邦人のビジネスパーソン、リディアとその一家の救い
②ローマ人の看守とその一家の救い
③アテネのアレオパゴスの議員(デオヌシオ)
④2人の会堂管理者(クリスポとソステネ)
4.「神のみこころなら」
(1)使18:20~21
Act 18:20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
Act 18:21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
①「神のみこころなら」「if God wills」
②ユダヤ人たちが使用する常套句である。今でもユダヤ人たちはこの言葉を使う。
③異邦人の中にも使う人は多い。
④神の主権を認める言葉である。
(2)この言葉の2種類の使い方
①自分の計画や願いを中心に置いて、「神のみこころなら」と言う人がいる。
②神の計画の成就を願い、「神のみこころなら」と言う人がいる。
(3)第二次伝道旅行から学ぶべき教訓は、パウロが見ている世界の広さである。
(ILL)30代の頃に思い描いていた教会成長
①神の計画の全貌を理解することの重要性
②そのために、字義通りの解釈を行うのである。
③また、ユダヤ的視点から聖書を読むのである。
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