私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q204 断食はしたほうがよいのでしょうか。
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キリスト教界では、たびたび断食祈祷会なるものが持たれています。
こうしばしば断食祈祷という文字を目にすると、それは「聖書が命じている方法」なのだと編集Mは勝手に思いこんでおりました。実際は・・・?
204 断食はしたほうがよいのでしょうか
Q:断食はしたほうがよいのでしょうか。不安がありますが、何かよいことがあるならしたいと思っています。
A:聖書が教える断食と、一般に考えられている断食には、違いがあります。断食について、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、聖書的断食とは「なんでないか」についてお話しします。
(1)断食は、聖書が命令していることではありません。神はクリスチャンに、断食せよとは命じておられません。
(2)断食とは、ダイエットをして体重を落とすことでもありません。また、自分を罰することでもありません。
(3)断食とは、自分の熱心な姿を神に見せて、神を動かそうとすることでもありません。つまり、断食を誇ってはならないということです。
2番目に、聖書的断食とは「なんであるか」についてお話しします。
(1)断食は、聖書の中では良きもの、祝福をもたらすものとして描かれています。使徒の働きの中では、信者たちは重要な決断を下す前にたびたび断食をしています。
(2)断食とは、神に関心を向けるために、食物を断つことです。強調点は、食物にではなく、神との関係にあります。つまり、この世への執着心を捨てて、神との関係を深めるということです。
(3)断食とは、祈りが伴うものです。断食によって、新しい霊的視点が開かれてきます。これは、神に対する私たちの姿勢が変化するということです。
3番目に、聖書的断食の「方法」についてお話しします。
(1)断食は、期限を切って行うべきものです。
(2)健康上の理由で食物を断つことができなくても、断食は可能です。固執しているものや日頃関心が向っているものなどを一時的に断つならば、それもまた断食となります。
(3)断食を実行する際に必要なのは、謙遜とそれを喜ぶ姿勢です。主イエスはこう教えておられます。「断食するときは頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人にではなく、隠れたところにおられるあなたの父に見えるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が報いてくださいます 」(マタ6:17~18)
参考になる聖句
「断食するときは頭に油を塗り、顔を洗いなさい」(マタ6:17)
断食は、神に関心を向けることを目的に行うべきものです。
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