私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
十字架のことば(5)—第4のことば:絶望の叫び—
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第4のことば:絶望の叫びについて考えます。
十字架のことば(5)
―第4のことば:絶望の叫び―
マタ27:45~46
1.はじめに
(1)「十字架のことば」には7つある。
①前半:午前9時から正午までの間の3時間
*3つのことば
*他人に関するものである。
②後半:正午から午後3時までの間の3時間
*4つのことば
*自分に関するものである。
(2)第1のことばは、赦しの祈りである。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」
(ルカ23:34)
(3)第2のことばは、救いを約束することばである。
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいま
す」 (ルカ23:43)
(4)第3のことばは、愛のことばである。
「女の方。そこに、あなたの息子がいます」 (ヨハ19:26)
「そこに、あなたの母がいます」 (ヨハ19:27)
(5)第4のことばは、絶望の叫びである。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 (マタ27:46)
①第4のことばは、人間の4つの必要に答えている。
2.アウトライン
(1)なだめの供え物(Propitiation)
(2)贖いの代価(Redemption)
(3)義認(Justification)
(4)和解(Reconciliation)
3.結論:このことばの現代的意味について考える。
このメッセージは、第4のことばの意味について考えるものである。
序言
1.暗やみ
(1)出エジプト記では、エジプトに対する神の裁きのことである。
(2)預言書では、終末に起こる神の裁きのことである。
2.午後3時
(1)十字架刑では、罪人がこんなに早く死ぬことはない。
(2)午後3時は、午後のささげ物の時間である。
(3)イエスは、世の罪を取り除くためのいけにえとして死のうとしている。
(4)この点に関する使徒たちの教えは、明瞭である。
①ヨハ1:29
「その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世
の罪を取り除く神の小羊』」
②2コリ5:21
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たち
が、この方にあって、神の義となるためです」
③1ペテ2:24
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、
私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あ
なたがたは、いやされたのです」
3.マタ27:46
「三時ごろ、イエスは大声で、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と叫ばれた。これは、『わ
が神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」
(1)イエスは、父なる神を疑っているわけではない。
①これは、詩22:1からの引用である。
②ユダヤ人たちには、そのことがすぐに分かった。
③アラム語による引用である。
(2)詩22:1を引用した理由は何か。
①罪のためのあがないとして死ぬとは、父なる神との分離を意味する。
②父なる神は、子なる神から顔をそむけるのである。
③イエスは、その分離に耐えられない。それを表現するのが詩22:1である。
*苦しむ義人の叫び
④イエスは、2重の死を迎えようとしていた。
⑤そしてイエスは、私たちに4つの祝福を与えようとしていた。
Ⅰ.なだめの供え物(Propitiation):神殿のイメージ
1.旧約時代のいけにえの動物は、すべてイエスを予表するものであった。
(1)一時的に、罪を覆うもの。
2.最後の晩餐は、過越の食事であった。
(1)イエスはご自身を、過越の小羊として啓示された。
3.ゲツセマネの園での祈り(マタ26:39やルカ22:44参照)
(2)「杯」とは、神の怒りの象徴である。
(3)神は、罪に対して怒られる。それが神の性質である。
(4)イエスに罪が転嫁されたとき、父なる神はイエスとの関係を断ち切った。
(5)私たちには、なだめの供え物が必要である。
Ⅱ.贖いの代価(Redemption):奴隷市場のイメージ
1.1コリ6:20
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神
の栄光を現しなさい」
(1)私たちは奴隷である。
①罪の奴隷
②悪魔の奴隷
③人間の奴隷
(2)私たちを買い戻すために、イエスの命が代価として払われた。
①私たちの命の価値は、イエスの命である。
②代価が誰に対して支払われたかは、聖書は記録していない。
Ⅲ.義認(Justification):法廷のイメージ
1.2コリ5:21
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この
方にあって、神の義となるためです」
(1)義認とは、罪ある者が「無罪」宣言を受けること。
(2)聖化と混同してはならない。
(3)最後の裁きにおける「無罪」宣言である。
2.転嫁という概念
(1)アダムの罪が、私たちの上に転嫁された。
(2)私たちの罪が、最後のアダム(イエス)の上に転嫁された。
Ⅳ.和解(Reconciliation):家庭のイメージ
1.コロ1:19~22
「なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十
字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださっ
たからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったの
です。あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあった
のですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたを
ご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されると
ころのない者として御前に立たせてくださるためでした」
2.この和解は一方通行である。
①私たち人間が、神に対して和解するのである。
(例話)母の愛を疑う娘とその母
②神の愛は、人間の親の愛以上のものである。
3.イエスの人格は、そのまま神の性質を反映させている。
結論:このことばの現代的意味
1.詩22:1~3
「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いに
ならないのですか。私のうめきのことばにも。わが神。昼、私は呼びます。しかし、あな
たはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。けれども、あなたは聖であら
れ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」
(1)詩22篇は、苦しむ義人の叫びである。
①彼は、「どうして」と問う。
(2)3節では、「けれども、あなたは聖であられ」となっている。
①神が罪に対して顔をそむけるのは当然のことである。
2.詩22:25~28
「大会衆の中での私の賛美はあなたからのものです。私は主を恐れる人々の前で私の誓い
を果たします。悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、【主】を賛美しま
しょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。地の果て果てもみな、思い起こし、
【主】に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。
まことに、王権は【主】のもの。主は、国々を統べ治めておられる」
(1)イエスの叫びは、勝利の叫びであった。
(2)私たちがイエスを救い主として信頼する時、勝利の預言が成就する。
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