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使徒の働き(7)―巡礼者たちの反応―
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聖霊降臨に対する巡礼者たちの反応について学ぶ。
「巡礼者たちの反応」
使徒2:5~13
1.はじめに
(ILL)藤井聡太6段の大局観
(1)前回の内容の確認
①When(いつ):五旬節の日
②Where(どこで):神殿域
③Who(誰が):12使徒たち
④What(何を):他国の言葉で語った。
(2)アウトライン
①巡礼者たちの驚き(5~8節)
②巡礼者たちの故郷(9~11節)
③巡礼者たちの反応(12~13節)
結論:
(1)ディアスポラ
(2)ローマから来た人たち
聖霊降臨に対する巡礼者たちの反応について学ぶ
Ⅰ.巡礼者たちの驚き(5~8節)
1.5節
Act 2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
(1)五旬節の祭りの期間、エルサレムは巡礼者たちでごった返していた。
①巡礼者たちは、イスラエル全土から、また、ディアスポラの地からエルサレム
に上ってきていた。
②彼らは、ディアスポラと呼ばれる。
(2)「敬虔なユダヤ人たち」
①イスラエルの慰められることを待ち望むユダヤ人
②死んでエルサレムに埋葬されることを願うユダヤ人
Luk 2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
③OJBは、「orthodox」と訳している。
(3)「天下のあらゆる国から来て住んでいた」
①「住んでいた」は、「カトイケオウ」という動詞である。
②これは、「滞在していた」、「仮住まいをしていた」という意味である。
③当時の旅行は、高価で時間もかかった。
④過越の祭りから五旬節の祭りまでの50日間、エルサレムに滞在するユダヤ人
が多くいた。
⑤1年の間のこの2ヶ月間、エルサレムの人口はピークに達した。
⑥この時期に、イエスの十字架刑、復活、聖霊降臨、使徒たちの証言が起こった
のは、偶然ではない。
2.6節
Act 2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
(1)激しい風が吹いてくるような響きと、炎のような分かれた舌は、瞬時で終わった。
①それを目撃できたのは、恐らく120人の信者たちだけであろう。
②12使徒たちは他国の言葉で語り始めた。
(2)大ぜいの巡礼者たちが、激しい風が吹いてくるような響きを聞いて集まって来た。
①シャカイナグローリーは去っていたが、使徒たちが他国の言葉を語っていた。
「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言
葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(新共同訳)
②彼らは、驚きあきれた。
3.7~8節
Act 2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
Act 2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
(1)使徒たちがガリラヤ人であることは、すぐに分かった。
①他国の言葉で話していても、ガリラヤ訛りがある。
Mat 26:73 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。
・喉音が特徴である。
②ガリラヤ人は、田舎者として見下されていた。
(2)その田舎者たちが、なぜこれほど多くの外国語を流暢に話すことができるのか。
①それらの外国語は、巡礼者たちの出身地の方言であった。
(3)使徒たちが話している内容は何か。
①ここでの「ことば」は、「グロッサ」ではなく「ディアレクトス」である。
*方言である。
②使徒たちは、方言で神を賛美していたのである。
*これは、福音(悔い改めのメッセージ)ではない。
*これは、巡礼者たちの関心を引くための「しるし」であった。
③ペテロのメッセージは、共通言語のアラム語で語られたと思われる。
Ⅱ.巡礼者たちの故郷(9~11節)
1.9節a
Act 2:9a 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、
(1)東方の人々である。
①アッシリヤ捕囚とバビロン捕囚によるディアスポラ
②彼らは、アラム語を話していた。
③バビロンには大きなユダヤ人共同体とラビ養成学校があった。
2.9節b
Act 2:9b ユダヤ、
(1)「ユダヤ」というのは、ローマの行政区を意識した言葉である。
①これは、シリヤも含んだ地域である。
②そこの言語は、やはりアラム語である。
3.9節c~10節a
Act 2:9c カパドキヤ、ポントとアジヤ、
Act 2:10a フルギヤとパンフリヤ、
(1)これらは、小アジヤ(今のトルコ)の国々である。
①そこの言語は、ギリシア語である。
4.10節b
Act 2:10b エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、
(1)これらは、北アフリカの国々である。
①その言語はやはりギリシア語である。
5.10節c~11節a
Act 2:10c また滞在中のローマ人たちで、
Act 2:11a ユダヤ人もいれば改宗者もいる。
(1)「滞在中のローマ人たち」の言語はラテン語である。
①ここでの節の区分は、不幸である。
②ローマ人たちの中には、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。
6.11節b
Act 2:11b またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは」
(1)クレテ人の言語はギリシア語で、アラビヤ人の言語はアラビヤ語である。
①どの国や地方にも方言がある。
②巡礼者たちは、自分たちのお国言葉で使徒たちが神を賛美しているのを聞いた。
Ⅲ.巡礼者たちの評価(12~13節)
1.12節
Act 2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。
(1)ある人たちは、「いったいこれはどうしたことか」と問いかけた。
①彼らは、奇跡が起きていることを認め、その意味を追求した。
2.13節
Act 2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。
(1)しかし、「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」とあざ笑う者たちもいた。
①「甘いぶどう酒」とは、発酵途中の若いぶどう酒である。
②当時のユダヤ文化では、酩酊は非難の対象となった。
*特に、午前9時の酩酊は問題である(ささげ物の時間)
*また、神殿での酩酊も問題である。
結論:神の大局観
1.ディアスポラ
(1)ヘブライ語でガルート(追放)。
(2)ギリシア語でディアスポラ(散らされている者)。
(3)起源は、アッシリヤ捕囚(前722年)とバビロン捕囚にある(前586年)。
*捕囚の地から帰還したのは、一部のユダヤ人たちであった。
(4)ローマ時代には、商機を求めて自発的に移住したユダヤ人たちもいた。
(5)古代最大のユダヤ人の共同たちは、アレクサンドリアにあった。
*前1世紀のアレクサンドリアでは、人口の約40%がユダヤ系であった。
(6)紀元1世紀のディアスポラ人口は、約500万人。
*その 5分の4は、ローマ帝国内に住んでいた。
(7)紀元70年以降、状況が変わった。
*ユダヤ人たちは、オリエント、ローマ世界の大都会で土着化し始めた。
*しかし、異邦人の文化と同化することはなかった。
*そのことが、反ユダヤ主義が拡散する一因となった。
(8)ディアスポラの存在は、福音伝達のための有効な手段となった。
*エルサレムでの出来事が、短時間の内にローマ世界に伝わった。
(9)パウロの伝道は、ディアスポラの地のシナゴーグと深い関係にあった。
2.ローマから来た巡礼者たち
「また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる」(2:10c~11a)
(1)ここでの節の区分は、聖書を学ぶ者にとっては不幸である。
(2)ルカは、ローマからの巡礼者に関してのみ、情報を追加している。
①ユダヤ人と改宗者がいた。
(3)改宗者とは、異邦人でユダヤ教に改宗した者である。
①彼らは、定義的にはユダヤ人と見なされる。
(4)使徒の働きの最後は、ローマで終わる(約30年後)。
①ルカは、そのゴールを予測していたはずである。
(5)ローマにある教会は、パウロが開拓したのではない。
①五旬節の日に救われた人たちが、ローマに戻って設立したと考えられる。
(6)ここにも、神の大局観が表われているではないか。
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