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ヘブル人への手紙(28)―シナイ山と天にあるシオンの山―
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シナイ山と天にあるシオンの山の対比について学ぶ。
「シナイ山と天にあるシオンの山」
ヘブル12:18~29
1.はじめに
(1)この手紙は、ユダヤ教への回帰を考えていた第2世代のメシアニック・ジューた
ちを励ますために書かれた。
①学んだことの適用(10:19~13:25)
②この手紙の読者は、まだ背教はしていないが、その可能性を考えている。
③今必要なのは、信仰による忍耐である。
④11章では、信仰による忍耐を発揮した信仰の英雄たちがリストアップされた。
⑤12章では、信仰者の訓練について語られる。
②天にあるシオンの山(22~24節)
③背教に対する警告(挿入句)(25~29節)
シナイ山と天にあるシオンの山の対比について学ぶ。
Ⅰ.地上のシナイ山(18~21節)
1.18~19節
Heb 12:18 あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、
Heb 12:19 ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです。
(1)背教の可能性を考えている者は、シナイ山での光景を思い出すべきである。
①シナイ契約の場面
②モーセの律法が与えられた場面
③背教者とは、そこに戻って行く人である。
(2)出19:12~13
Exo 19:12 あなたは民のために、周囲に境を設けて言え。/山に登ったり、その境界に触れたりしないように注意しなさい。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。
Exo 19:13 それに手を触れてはならない。触れる者は必ず石で打ち殺されるか、刺し殺される。獣でも、人でも、生かしておいてはならない。/しかし雄羊の角が長く鳴り響くとき、彼らは山に登って来なければならない。」
(3)出19:18~19
Exo 19:18 シナイ山は全山が煙っていた。それは【主】が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。
Exo 19:19 角笛の音が、いよいよ高くなった。モーセは語り、神は声を出して、彼に答えられた。
(4)律法の付与に伴う光景は、実に恐ろしいものであった。
①「手でさわれる山」
*地上に存在する現実の山。シナイ山
②「燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろき」
*すべてシャカイナグローリーに関係した現象である。
③「これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったもの」
*罪人にとっては恐ろしい現象である。
(5)ユダヤ教に回帰するのは、その恐ろしい光景に回帰することである。
①イエスをメシアと信じた者が目指すゴールは、そこではない。
2.20~21節
Heb 12:20 彼らは、「たとい、獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」というその命令に耐えることができなかったのです。
Heb 12:21 また、その光景があまり恐ろしかったので、モーセは、「私は恐れて、震える」と言いました。
(1)「たとい、獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」
①イスラエルの民は、この命令に耐えることができなかった。
②「神様の命令におびえ、あとずさりしました」(リビングバイブル)
③理解力のない獣(迷い込んだ獣)でも、山に触れるなら殺される。
④ましてや、神の警告を理解した人間の場合は、必ず殺される。
(2)「モーセは、『私は恐れて、震える』と言いました」
① 申9:19
Deu 9:19 【主】が怒ってあなたがたを根絶やしにしようとされた激しい憤りを私が恐れたからだった。そのときも、【主】は私の願いを聞き入れられた。
②これは、モーセが山から下りる場面である。
(3)以上の現象はすべて、モーセの律法の役割を象徴するものである。
①モーセの律法は、神の義の基準と要求を啓示するものである。
②モーセの律法は、救いに至る知識ではなく、罪の認識を与えるものである。
③モーセの律法は、神と罪人の距離がどれほどのものであるかを示すものである。
Ⅱ.天にあるシオンの山(22~24節)
1.22~24節
Heb 12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。
Heb 12:23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、
Heb 12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。
(1)信者は、地上のシナイ山ではなく、天にあるシオンの山に近づいている。
①恐れではなく、告白、賛美、祈りをもって神に近づく。
②年に一度ではなく、必要な時はいつでも至聖所に入ることができる。
③私たちは、招かれ、常に歓迎されている。
④神は、「近づくな」とは言わないで、「近づきなさい」と言われる。
(2)「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム」は、同じ場所である。
①律法には、地上のエルサレムがある。
②信仰(恵み)には、天のエルサレムがある。
③その都を設計されたのは、神である。
④そこは、贖われた者が住む場所である。
(3)天のエルサレムの住民が列挙される(すべてではない。聖霊が記されていない)。
*「無数の天使たちの祝いの集まり」(新共同訳)
②「天に登録されている長子たちの教会」
*これは、キリストの花嫁なる教会の一部である。
*ペンテコステの日以降に死んだ聖徒たちの群れである。
*霊の状態で神をたたえながら、栄光の体が与えられるのを待っている。
*「長子たち」は、紀元1世紀のユダヤ人信者を指している可能性もある。
③「万民の審判者である神」
*父なる神を指している。父なる神は、万民の審判者である。
*神はもはや暗雲、暗やみ、あらしの中に隠れてはおられない。
*贖われた聖徒たちは、天において神を見ることができる。
④「全うされた義人たちの霊」
*「完全なものとされた正しい人たちの霊」(新共同訳)
*旧約時代の聖徒たちである。
*彼らもまた信仰によって救われた。
*キリストの贖罪の御業のゆえに、今や彼らは完全なものとされた。
*旧約時代の聖徒たちと教会時代の聖徒たちが、明確に区別されている。
⑤「新しい契約の仲介者イエス」
*御子イエスもそこにおられる。
*イエスは旧約の仲介者であるモーセよりもすぐれた方である。
*モーセは、神のことばを民に届けただけである。
*イエスは、ご自身の血を流すことによって新しい契約の仲介者となられた。
⑥「アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血」
*キリストの血とアベルの血が対比されている。
*アベルは、いけにえの血を捧げた最初の人物である。
*アベルの血(いけにえの血)は、罪を一時的に覆った。
*キリストの血は、罪を永遠に取り去った。
*キリストの血は文字通り天のエルサレムにある。
・比喩的解釈の余地はない。
・列挙されている内容は、すべて字義通りである。
Ⅲ.背教に対する警告(25~29節)
1.25節
Heb 12:25 語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。
(1)シナイ山における神の啓示とキリストを通した神の啓示の対比
①キリストを信じる者には、比類なき特権と栄光が与えられている。
②招いておられる神を拒否するなら、その人は滅びるしかない。
③シナイ山で神の警告を伝えた仲介者を拒んだ者は、処罰を免れなかった。
④ましてや、天から恵みを語っておられる方を拒否するなら、処罰を受けるのは
当然である。
⑤これは、カル・バホメル(大から小へ)の議論である。
⑥この処罰は、救いを失うことではなく、肉体の死である。
2.26節
Heb 12:26 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」
(1)シナイ山では、神の声が地震を呼び起こした。
①この地震は、将来起こることの象徴である。
②今度は、神の声は天と地を揺り動かす(地震と天震)。
(2)ハガ2:6からの引用
Hag 2:6 まことに、万軍の【主】はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。
①これは、再臨の前に起こることの預言である。
②これは、大患難時代の裁きに含まれている。
③これは、千年王国の設立の前に起こる。
④私たちは、2つの「揺り動かし」の間に生きているのである。
(3)著者は、ハガ2:6からその時代への適用を語っている。
①「このたびは」は、ギリシア語で「nun」(英語でnow)である。
②著者は、この「揺り動かし」はすでに始まっていると語る。
③この書簡は、紀元64~66年ごろに書かれた。
④ローマに対するユダヤ人の反乱は、紀元66年に起こった。
*その前に、小規模な反乱が各地で起こっていた。
⑤エルサレムは、紀元70年に崩壊した。
*その時、ユダヤ教の中心である神殿と祭儀体系は崩壊した。
*しかし、新しい契約と神の恵みは、残った。
3.27節
Heb 12:27 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
(1)最後の「揺り動かし」によって、揺り動かされないものが残る。
①地が揺り動かされるのは、それが一時的なものであるからだ。
②千年王国とそれに続く永遠の御国は、揺り動かされることがない。
3.28~29節
Heb 12:28 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。
(1)ユダヤ教に固執する者は、揺り動かされるものにしがみついているのである。
①しかし、私たちはそうではない。
(2)「私たちは揺り動かされない御国を受けている」
①黙20~22章は、千年王国に続いて永遠の秩序が来ることを預言している。
②それに対する正当な応答は、感謝である。
③慎みと恐れをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることである。
(3)「私たちの神は焼き尽くす火です」
①福音から離れてユダヤ教に回帰する者は、神を恐れることを学ぶべきである。
②再び言うが、これは救いを失うことでなく、肉体の死を招くことである。
結論:信者が向かう最終ゴール
1.私たちは、天のエルサレムに向かっている。
(1)「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム」は、すべて同じ場所である。
(2)天にある都は、贖われた者たちの住まいとして用意されたものである。
2.イエスは、この都について語っておられる。
Joh 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
Joh 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
(1)これは、復活の預言ではない。
(2)これは、信者の死への言及ではない。
(3)これは、携挙に関する預言である。
3.パウロも、この都について語っている。
Gal 4:26 しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。
(1)この都は、奴隷ではなく、自由である。
4.アブラハムも、この都を待ち望んでいた。
Heb 11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
5.黙21:1~22:5も、この都について語っている。
6.この都に住む者たちの名が6つ上げられていた。
(1)「無数の御使いたちの大祝会」
(2)「天に登録されている長子たちの教会」
(3)「万民の審判者である神」
(4)「全うされた義人たちの霊」
(5)「新しい契約の仲介者イエス」
(6)「アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血」
7.私たちも、その中に含まれる。
(1)上記(2)の「天に登録されている長子たちの教会」の完成形に含まれる。
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