ヘブル人への手紙(19)—勧告の言葉—

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教理に基づいた勧告について学ぶ。

「勧告の言葉」

ヘブル10:19~25

1.はじめに

  (1)この手紙が書かれた理由を再確認する。

    ①信仰が後退しつつあった第2世代のメシアニック・ジューたちへの励まし

  (2)ユダヤ教の3つの柱は、天使、モーセ、レビ的祭司である。

      ①御子は、天使に勝るお方である(1:4~2:18)。

      ②御子は、モーセに勝るお方である(3:1~6)。

      ③御子は、アロンに勝るお方である(4:14~10:18)。

      ④学んだことの適用(10:19~13:25)。

2.アウトライン

(1)万人祭司(19~21節)

  (2)神に近づく方法(22節)

  (3)勧告の言葉(23~25節)

結論:

  (1)万人祭司

  (2)信仰と希望と愛

教理に基づいた勧告について学ぶ。

Ⅰ. 万人祭司(19~21節)

   1. 19節

Heb 10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。

     (1)「こういうわけですから、兄弟たち」

       ①今までの教理的議論を踏まえて、勧告の言葉が語られる。

      ②読者は、新しい契約の祝福に与る信仰の「兄弟たち」である。

    (2)旧約時代の状態

      ①一般のユダヤ人たちは、聖所にも至聖所にも入れなかった。

      ②祭司たちは聖所に入り、大祭司は至聖所に入った。

      ③仲介者としての祭司たちが存在していた。

    (2)新約時代の状態

      ①すべての信者が、まことの聖所に入ることができる。

        *天の聖所で、神の臨在の前に出ることができる。

      ②これは、万人祭司の教えである。

      ③訳文の比較

      「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にま

ことの聖所に入ることができるのです」(新改訳)

「それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信し

ています」(新共同訳)

「兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかるこ

となく聖所にはいることができ、」(口語訳)

「ですから、愛する皆さん。 今や私たちは、血を流されたイエス様のおかげで、

神様のおられる至聖所に、堂々と入って行けるのです」(リビングバイブル)

④私たちには、確信に基づく大胆さがある。

⑤大胆さの理由は、流されたイエスの血潮である。

  *これは、よりすぐれたいけにえである。

⑥この手紙の読者たちは、「大胆さ」を必要としていた。

   2. 20節

Heb 10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。

     (1)イエスは、私たちのために、まことの聖所に至る道を設けてくださった。

      ①新しい道である。新約によって用意された道である。

      ②生ける道である。生ける救い主に至る道である。

    (2)ご自分の肉体を裂くことが、その方法であった。

      ①聖所と至聖所を分けていた垂れ幕は、イエスの肉体の「型」であった。

      ②私たちが至聖所に入るためには、垂れ幕が裂かれる必要があった。

      ③つまり、イエスの肉体が裂かれる必要があったのである。

      ④マタ27:50~51

Mat 27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。

Mat 27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。

      ⑤神の臨在の前に出るたびに、支払われた犠牲の大きさを思い出すべきである。

   3. 21節

Heb 10:21 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。

     (1)私たちには、「大胆さ」だけでなく、イエスという大祭司も与えられている。

      ①私たちは祭司であるが、それでも大祭司を必要としている。

      ②大祭司の存在は、私たちが神から歓迎されていることを保証している。

      ③「神の家」とは、普遍的教会である。

     (2)では、どのように神に近づけばよいのか。

      ①これは、地上の有名人との会見ではない。

②天地創造の神に謁見することが許されているのである。

②人が神に近づく姿勢は、これが特権だとの認識の深さと相関関係にある。

Ⅱ. 神に近づく方法(22節)

   1. 22節

Heb 10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

     (1)真心をもって

      ①イスラエル人たちは、口先だけで神に近づこうとした。

      ②マタ15:8~9

Mat 15:8 『この民は、口先ではわたしを敬うが、/その心は、わたしから遠く離れている。

Mat 15:9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。/人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」

    (2)全き信仰もって

      ①神の約束への全き信頼をもって、神に近づく。

      ②イエスの血潮のゆえに、神は私を受け入れてくださると信じる。

    (3)きよめられた良心をもって

      ①「心に血の注ぎをうけて」というのは、比喩的言葉である。

        *イスラエルの民は、過越の小羊の血を鴨居と門柱に注ぎかけた。

      ②これは、新生体験を指す言葉であろう。

    (4)きよい水で洗われたからだをもって

      ①これもまた、比喩的言葉である。

      ②「からだ」は、私たちの人生を指す。

      ③「きよい水」

        *みことば(エペ5:25~26)

        *聖霊(ヨハ7:37~39)

        *みことばを通して働かれる聖霊

      ④これは、継続的な聖化を指す言葉であろう。

Ⅲ. 勧告の言葉(23~25節)

   1. 23~24節

Heb 10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。

Heb 10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

     (1)希望を持ち続ける

      ①「私たちの唯一の希望はキリストにある」との告白

      ②どのようなことにも、動揺してはいけない。

        *迫り来る迫害

        *キリストにある将来の約束は、まだ目に見えていない。

        *ユダヤ教のシステムは目に見えているので、回帰しやすい。

        *それでも、一貫して「絶望」ではなく、「希望」を告白し続ける。

      ③なぜなら、約束された方は真実な方である。

        *イエスは、約束通りに戻って来られる。

        *イエスに信頼する人は、失望させられることがない。

    (2)愛と善行の実践

      ①愛は根であり、善行は実である。

      ②迫害の中でこそ、信者同士の励まし合いが必要である。

      ③生き方を通して、他の人に積極的な影響を与えるように心がける。

  2. 25節

Heb 10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

    (1)「ある人々のように」

       ①この勧告は、いかなる時代の信徒にも適用できる真理である。

      ②第一義的には、ユダヤ教に回帰しようとしていたメシアニック・ジューへの勧

告である。

③第2世代のメシアニック・ジューの中には、集会から離れた人たちがいた。

  *彼らは、キリスト信仰からユダヤ教に回帰した人たちである。

④礼拝や交わりから足が遠のくのは、信仰の後退のしるしである。

  *罪の問題

  *不信仰の問題

  *異端的信仰の問題

⑤孤立していては、豊かなクリスチャン生活を送ることはできない。

    (2)「かの日が近づいているのを見て」

①クリスチャンは、励まし合って、集会に集うべきである。

      ②なぜなら、キリストの再臨の日が近づいているからである。

      ③その日には、迫害され、軽蔑されていた者たちが勝利者となる。

      ④その日が来るまで必要なのは、忍耐である。

      ⑤ロマ13:12

Rom 13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

      ⑥信仰の目を上げるなら、再臨が近いことが分かる。

結論:

  1. 万人祭司

     (1)1ペテ2:9

1Pe 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

     (2)黙1:6

Rev 1:6 また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

    (3)宗教改革が生み出した3つの柱

      ①聖書のみ

②信仰義認

      ③万人祭司

    (4)ルターの論点

      ①贖宥状の正当性を、カトリック教会内で神学的に論じようとした。

      ②カトリック教会側は、それが都合が悪いので、論点をずらしてきた。

      ③「あなたは、ローマ法王の権威に逆らうのか」

      ④ルターは、「法王も教会も間違いを犯すことがある」と答えた。

      ⑤また、すべての信者は祭司として、自ら聖書を解釈する権利があると主張した。

      ⑥法王が絶対的な権威でないとしたら、どこにそれがあるのか。

      ⑦また、主観的な解釈を戒める基準は、どこにあるのか。

      ⑧ルターは、「聖書に最終的な権威がある」とした。

    (5)万人祭司の教理の実践は、厳密な聖書研究という土台と必要としている。

      ①聖書は、神の自己啓示の書である。

      ②その神は、特定の神(創造主、契約の神)である。

      ③神は、私たちが啓示の書を理解することを期待しておられる。

  2. 信仰と希望と愛

     (1)信仰

Heb 10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

      ①信仰こそ、神と私たちをつなぐ土台である。

      ②罪は、神のことばを信用しなかったことから生まれた。

      ③救いは、神のことばを信用することによって与えられる。

    (2)希望

Heb 10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。

      ①試練に打ち勝つ力は、希望である。

      ②この希望は、再臨に関する希望である。

    (3)愛

Heb 10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

      ①新約聖書では、愛とは感情ではなく、意志に基づく行動である。

      ②私たちは、愛するように命じられている。

③つまり、意志によって行動を起こすことは、私たちの使命である。

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