私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
60分でわかる旧約聖書(23)イザヤ書
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イザヤ書の内容について学ぶ。
60 分でわかる旧約聖書( 23 )「イザヤ書」
1.はじめに
(1)預言者たちの分類
①旧約聖書では、預言者の時代はサムエルとともに始まった(前1100年頃)。
*祭司たちが堕落した時代に、神は預言者を起こされた。
②預言書を書いた預言者たち(the writing prophets)は、王国が南北に分裂
して以降に登場した(前930年頃)。
③バビロン捕囚から帰還して以降、旧約聖書の歴史の終わりまで彼らの働き
は続いた(前400年頃)。
(2)預言者たちの働き
①同世代の人たちに、神のことばを伝えた。
*彼らは「預言者」たちである。
*彼らは、自分が語っていることをよく理解していた。
*「【主】は言われる」、「【主】のことばがあった」などが使われる。
②将来起こることを預言した。
*彼らは「予言者」たちである。
*従順か不従順かによって、結果が異なってくるというメッセージ。
*必ずしも自分が語っている内容を理解していたわけではない。
*特に、メシア預言においてそれが言える。
*なぜメシアは、受難のしもべであると同時に、栄光の王なのか。
*これは、初臨と再臨の区別がついていないことからくる戸惑いである。
(3)預言書の分類
①大預言書(the Major Prophets)
*預言の分量が多い。
*イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書
②小預言書(the Minor Prophets)
*預言の分量が少ない。
*ホセア書からマラキ書までの12書。
(4)働きの時期による分類
①捕囚期前(12)
②捕囚期(2)
*エゼキエル書
*ダニエル書
③捕囚期後(3)
*ハガイ書
*ゼカリヤ書
*マラキ書
(5)預言者たちが語ったメッセージの要約
①神の主権と聖なるご性質
②契約の民イスラエルの不従順の罪
③悔い改めへの招き
④迫り来る神の裁きと捕囚
⑤イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き
⑥捕囚からのレムナントの帰還
⑦メシアの来臨とイスラエルの民によるメシア拒否
⑧大患難時代とイスラエルの民の回復
⑨王としてのメシアの来臨
⑩メシア的王国の樹立
(6)預言者たちが語らなかったこと
①教会の預言
②新天新地の預言
2.アウトライン
(1)イザヤ書の著者
(2)イザヤ書の統一性
(3)イザヤ書の執筆目的
(4)新約聖書の中のイザヤ書
イザヤ書の内容について学ぶ。
Ⅰ.著者
1.イザ1:1
Isa 1:1 アモツの子イザヤの幻。これは彼が、ユダとエルサレムについて、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たものである。
(1)著者は、アモツの子イザヤである。
①南王国ユダの4代の王に仕えた。
②ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ
③イザヤという名前は、「ヤハウェは救い」という意味である。
(2)イザヤの素性
①彼はエルサレムに住み、宮廷に出入りすることができた。
②結婚し、2人の息子が与えられていた。
*シェアル・ヤシュブ(7:3)
*マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(8:3)
③召命の記事(6:1~13)から祭司だったと考える者もいるが、証拠はない。
④奉仕期間は、およそ60年に及ぶ。
Ⅱ.統一性
1.イザヤ書を2つに区分する考え方がある。
(1)これは、自由主義神学者たちの立場である。
①第1イザヤ(1~39章)
②第2イザヤ(40~66章)
*それが誰であるかは明示しない。
*旧約聖書39巻、新約聖書27巻と数字の上では一致している。
*このことに意味付けする必要はない。
③これは、18世紀になって提案された新しい説である。
(2)区分する理由
①超自然的要素を認めない姿勢
*将来の出来事の預言は、それが起こってから書かれたと主張する。
*しかし、イスラエルの神が将来の出来事を預言できないなら、偶像の
神々と同じレベルになるではないか。
②文学形式が異なっている。
*しかし、テーマが異なると、異なった用語や形式を採用するものである。
2.私たちの立場
(1)歴史的証拠
①ユダヤ人の伝承では、イザヤ書はひとつの書である。
②死海写本の中のイザヤ書は、ひとつの書である(前2世紀)
③クリスチャンの伝統でも、18世紀になるまでは、イザヤ書はひとつの書と
考えられてきた。
(2)新約聖書の記録
①新約聖書による旧約聖書の引用は、詩篇が最高であり、次がイザヤ書である。
②主要なイザヤ書からの引用には、イザヤというタイトルがつけられている。
③イエス・キリストは、イザヤがイザヤ書全体の著者であることを認めている。
*ルカ4:17~19(預言者イザヤの書が手渡された)
(3)自由主義神学者たちは、超自然的な要素を信じることができないのである。
Ⅲ.執筆の目的
1.契約の民に、彼らはヤハウェと特別な関係にあることを思い出させた。
(1)ヤハウェとは、契約の神の御名である。
①イスラエルの民には、契約の民としての特権と責務がある。
2.イザヤは、アブラハム契約を理解していた。
(1)この点は、他の預言者たちも同じである。
①アブラハム契約の理解は、預言者として必須の知識である。
(2)イスラエルの民の特権
①カナンの地を所有するという約束
②子孫が増えるという約束
③他の民族に対して祝福となるという約束
3.イザヤは、シナイ契約も理解していた。
(1)申命記の中に、モーセの律法の内容が要約されている。
①律法に従えば、祝福が来る。
②律法に違反すれば、裁きが来る。
*その中には、捕囚も含まれる。
③裁きは、契約関係に基づく「神の叱責」である。
(2)イザヤは、その地から追放されても、やがて民が帰還することを知っていた。
①これは、アブラハム契約の効果である。
②モーセが、申命記の中ですでにそのことを預言していた。
4.イザヤは、2つの世代に語りかけていた。
(1)同世代のイスラエル人たち
①イザヤは、同世代のイスラエル人たちに悔い改めのメッセージを語った。
②シナイ契約に基づけば、背信の民は神の裁きに会う。
③イザヤは、南王国ユダが捕囚に引かれて行くことを知っていた。
(2)将来のイスラエル人たち
①捕囚の地にいるであろう人たちに、希望のメッセージを届けた。
②神は彼らを約束の地に回復し、平和と繁栄の御国を建設される。
③イザ40~66章では、「慰め」がキーワードになっている。
*罪の贖いというテーマ以上のものが含まれている。
*被造世界の回復のメッセージが語られている。
Ⅳ.新約聖書の中のイザヤ書(イザヤ書の後半部分)
1.バプテスマのヨハネが登場した。イザ40:3
Mat 3:3 この人は預言者イザヤによって、/「荒野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を用意し、/主の通られる道をまっすぐにせよ』」/と言われたその人である。
2.悪霊を追い出し、病気の人をいやされた。イザ53:4
Mat 8:17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
3.安息日に片手のなえた人をいやされた。イザ42:1~4
Mat 12:17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。
Mat 12:18 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、/わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。/わたしは彼の上にわたしの霊を置き、/彼は異邦人に公義を宣べる。
Mat 12:19 争うこともなく、叫ぶこともせず、/大路でその声を聞く者もない。
Mat 12:20 彼はいたんだ葦を折ることもなく、/くすぶる燈心を消すこともない、/公義を勝利に導くまでは。
Mat 12:21 異邦人は彼の名に望みをかける。」
4.イエスの公生涯のまとめ。イザ53:1
Joh 12:38 それは、「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。また主の御腕はだれに現されましたか」と言った預言者イザヤのことばが成就するためであった。
Joh 12:39 彼らが信じることができなかったのは、イザヤがまた次のように言ったからである。
Joh 12:40 「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」
Joh 12:41 イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである。
5.イスラエル人の不信仰と異邦人の救い。イザ10:22、8:14、28:16
Rom 9:27 また、イスラエルについては、イザヤがこう叫んでいます。/「たといイスラエルの子どもたちの数は、/海べの砂のようであっても、/救われるのは、残された者である。
Rom 9:28 主は、みことばを完全に、しかも敏速に、/地上に成し遂げられる。」
Rom 9:29 また、イザヤがこう預言したとおりです。/「もし万軍の主が、私たちに/子孫を残されなかったら、/私たちはソドムのようになり、/ゴモラと同じものとされたであろう。」
Rom 9:30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
Rom 9:31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。
Rom 9:32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
6.イスラエル人の不信仰と異邦人の救い。イザ53:1、65:1
Rom 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。
Rom 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
Rom 10:18 でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。/「その声は全地に響き渡り、/そのことばは地の果てまで届いた。」
Rom 10:19 でも、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言っています。/「わたしは、民でない者のことで、/あなたがたのねたみを起こさせ、/無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」
Rom 10:20 またイザヤは大胆にこう言っています。/「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、/わたしをたずねない者に自分を現した。」
Rom 10:21 またイスラエルについては、こう言っています。/「不従順で反抗する民に対して、/わたしは一日中、手を差し伸べた。」
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