私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ローマ人への手紙(24)—律法からの解放(1)—
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聖化の原理について学ぶ。
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「律法からの解放(1)―結婚の例話―」
1.はじめに
(1)「聖化」について2度学んだ。
①質問「恵みが増し加わるために、罪の中にとどまるべきか」
*回答:私たちは罪に対して死んだ。
②質問「律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということ
になるのか」
*回答:私たちは、キリストとともに死に、葬られ、復活した。
(2)クリスチャンにとっての最大の悲劇
①律法が示す倫理的・道徳的規準に従って生きていくことが、クリスチャン生活
だと考えること。
②多くのクリスチャンがそう考え、多くの未信者もそう考えている。
③この理解は、クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む。
*こういうクリスチャンは、自らを偽善者として責めながら生きている。
*あるいは、苦しいので、信仰生活が停止した状態になる。
④これは、聖書が教える救いを誤解しているところから来ている。
*義認は、信仰により、恵みによる。
*聖化は、律法を実践する努力による。
④聖書が教える救いの正しい理解とは:
*義認(過去形の救い)は、信仰により、恵みによる。
*聖化(現在進行形の救い)もまた、信仰により、恵みによる。
*栄化(未来形の救い)もまた、信仰により、恵みによる。
(3)ロマ7:1~6は、ロマ6:14の解説になっている。
「というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたが
たは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです」
①罪が私たちを支配することがないとは、どういう意味か。
②私たちが律法の下にはなく、恵みの下にあるとは、どういう意味か。
2.メッセージのアウトライン
(1)律法に関する原則(1節)
(2)結婚関係の例話(2~3節)
(3)例話の適用(4~6節)
3.メッセージのゴール
(1)救いの原理の復習
(2)キリストとの一体化の復習
このメッセージは、聖化の原理について学ぼうとするものである。
Ⅰ.律法に関する原則(1節)
1.1節
「それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生き
ている期間だけだ、ということを知らないのですか──私は律法を知っている人々に言っ
ているのです。──」
(1)パウロは、ロマ3章~4章で、義認と律法の関係について論じた。
①律法によっては、義とされない。
②義認は、信仰により、恵みによる。
(2)そこまでは認めても、聖化の過程では、律法に従う必要があると考える人がいた。
①教会史を通して、そう考える人が絶えることはなかった。
②冒頭で述べたように、これがクリスチャンにとっての最大の悲劇である。
③救いは、義認、聖化、栄化から成っていることを忘れてはならない。
(3)この節でパウロは、読者の注意を喚起し、律法に関する原則を述べている。
2.「律法」という言葉について
(1)ここでは、定冠詞がない「ノモス」である。
①単に、モーセの律法ではない。
②学者の中には、ローマ法と考える人もいる。
③一般的な概念の「律法(法律)」と考えるのが一番いいと思う。
*つまり、モーセの律法、ローマ法、その他の法を、すべて含む概念である。
(2)「私は律法を知っている人々に言っているのです」
①ローマ教会の信徒たち(ユダヤ人も異邦人もいた)
②必ずしも法律の専門家ではない。
③常識的に、法律の効力を理解している人々のことである。
3.律法の大原則
「あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、と
いうことを知らないのですか」
(1)修辞的質問
①知っているはずだ、という意味になる。
(2)大原則
①律法は、人に対して権限を持つ。
②律法は、死んだ人には権限を持たない。
Ⅱ.結婚関係の例話(2~3節)
1.ロマ6:19
「あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています」
(1)肉の弱さとは、霊的理解力が欠如していること。
①本来なら、霊的話題だけを取り上げて説明すべきところである。
②ローマのクリスチャンたちは、まだ霊的に成熟していない。
③そこでパウロは、奴隷と主人の関係を例話として語った。
(2)ここでは、結婚関係の例話が出てくる。
①これもまた、当時の人たちに理解されやすい例話である。
2.2節
「夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が
死ねば、夫に関する律法から解放されます」
(1)「夫のある女」
①「結婚した女」(新共同訳)
②ギリシア語は「ヒュパンドロス」
*「under the power of a man」 「subordinated to a man」
*「男の権威の下にある女」
*民5:20、29参照(LXX訳では同じ言葉が使われている)
(2)「夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています」
①モーセの律法では、女性から離婚を申し出る権利はなかった。
②夫だけに離婚の権利があった。
③これは、ユダヤ教でも、現代のイスラエル法でも、同じである。
④マタ19:8
「イエスは彼らに言われた。『モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その
妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったの
ではありません』」
*申24:1~4
*この規定は、積極的な勧めではなく、消極的な許可である。
(3)「しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます」
①律法の原則から、そう言える。
②律法は、死人に適用されない。
3.3節
「ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死
ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません」
(1)夫が生きている間は、結婚の律法によって制約されている。
①それを破れば、姦淫の女と呼ばれる。
(2)夫が死ねば、結婚の律法から解放される。
①再婚しても、姦淫の女ではない。
Ⅲ.例話の適用(4~6節)
1.4節
「私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法
に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみ
がえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです」
(1)結婚の例話と信者の状態の対比
①妻は、信者である。
②元の夫は、律法、あるいは罪の性質、である。
③新しい夫は、キリストである。
(2)例話の限界
①結婚の例話では、死んだのは夫である。
②信者の状態では、死んだのは妻(信者自身)である。
③この対比のポイントは、「死んだ者には律法は無力である」という点である。
(3)「律法に対しては死んでいる」
①動詞は、受動態、アオリストである。
②「you also were made to die to Law」(NASB)
③私たちは死んだのは、神の業によるのであり、一度限りのことである。
(4)「それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれ
て、神のために実を結ぶようになるためです」
①他の人とは、キリストのことである。
②キリストは、死者の中からよみがえった方である。
③律法に死に、キリストと結ばれることが、実を結ぶための前提条件である。
*神のために実を結ぶとは、新しい結婚関係から生まれてくる祝福である。
(5)福音の3要素に別の何かをプラスしたものを信じても、人は救われない。
①恵みに人間の業をプラスしていることになる。
2.5節
「私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いて
いて、死のために実を結びました」
(1)救われる前の状態
①私たちは、律法と罪と死の支配下にあった。
(2)「私たちのからだ」
①「わたしたちの肢体」(口語訳)
②「五体」(新共同訳)
③「members」
④罪を犯すということは、抽象的な概念ではなく、肢体の行為である。
⑤その肢体を動かしているのは、主人(律法と罪と死)である。
3.6節
「しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放さ
れ、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです」
(1)救われてからの状態
①「律法に対して死んだ」
②新しい御霊(聖霊)によって生きている。
(2)もし今、律法による聖化を求めるなら、どういうことになるのか。
①死んだ夫との関係が復活する。
②律法が働き始めるので、罪の性質が活発化する。
(3)では、律法は悪いものなのか。その回答は、次回学ぶ。
結論:
1.救いの原理の復習
(1)人間の業による救い
①律法が土台になっている。
②当然、罪の性質が活発に動き出す。
③これは、義認にも聖化にも言えることである。
(2)信仰による救い
①恵みが土台になっている。
②律法に対して死んでいる。
③聖霊によって、聖化が進められる。
(3)聖書塾の永山太兄の感想
悔い改めが、「自らの罪を深く悲しむ」という意味ではなく、「心を変える」という意
味であることを学び、目から鱗であった。というのも、悪人正機説「善人なおもて往
生す、いわんや悪人をや」の中で、親鸞は、救われて極楽浄土に行くためには、自分
の罪を悔い改める発心(ほっしん)が大事としているが、このことは、バプテスマの
ヨハネの「悔い改めなさい。神の国が近づいたから」と、同じで、非常に聖書的では
あるが、根本的に繋がる相手(阿弥陀如来とイエス・キリスト)が違っていると私は
理解していたのです。しかし全く「悔い改め」の意味が違っていた。これはとても面
白い発見でした。そもそもバプテスマのヨハネのいう「悔い改め」も「メタノエオウ」
なのであれば、さらに大きな発見です。救いが、聖書の約束の確かさに基礎を置いて
いるのであるから、人間側の業の入る余地、入る必要などありません。そう考えると
浄土真宗の発心も、結局は自力本願なんだと、今、気が付きました。
(私の応答:この発見は、すごいですね。私も「なるほど」と頷きました。多くの人
に伝えてください)
2.キリストとの一体化の復習
(1)ロマ6:11
「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対して
はキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」
①「思いなさい」は、ロギゾマイというギリシア語
②基本的な意味は、算数の用語。よく計算して、答えを出しなさい。
③感情ではなく、知的理解である。
④現在形の命令形。つまり、認め続けるべきという意味。
(2)キリストに起こったことは私にも起こった。
①キリストとともに死んだ。
②キリストとともに葬られた。
③キリストとともに復活した(霊的復活)。
(3)罪の性質はまだ内に残っているが、それは私に対する法的権利を失った。
①信者は罪を犯す可能性はあるが、そうする必然性はない。
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