私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ローマ人への手紙(4)—あいさつ(3)—
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啓示された「神の義」の大枠を理解する。
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「あいさつ(3)」
1.はじめに
(1)パウロの自己紹介(1節)
①しもべ、キリスト・イエスの
②召された、使徒として
③選びだされた、神の福音のために
(2)挿入句(2~6節)
①パウロの情熱がこの挿入句を作り出した。
②福音の内容が要約されている。
③6節の「このパウロから」というのは補足した言葉である。
④福音の内容
*神が作者である。
*天地創造の前から計画されていた。
*御子に関することである。
(3)きょうは、5~7節を扱う。
①挿入句の残りの部分(5~6節)
②宛先へのあいさつ(7節)
2.メッセージのアウトライン
(1)「神の義」を宣言する器
(2)「神の義」の内容
(3)「神の義」に与った人々
(例話)検察の信頼が失墜した事件
*村木厚子・厚生労働省元局長の無罪が確定した郵便不正事件
*証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件
*大阪地検特捜部の元主任検事や前特捜部長らが逮捕された。
*検察トップの大林宏検事総長(63)が年内に辞任する意向を固めた。
*村木厚子氏にとっては、名誉回復の機会となった。
*「神の義」とは「神の名誉」であり「神の栄光」である。
3.メッセージのゴールは、啓示された「神の義」の大枠を理解すること。
このメッセージは、啓示された「神の義」の大枠を理解するためのものである。
Ⅰ.「神の義」を宣言する器
1.「私たち」という言葉
(1)ローマの信者を含めた「私たち」ではない。
(2)使徒たち全員を含めた「私たち」の可能性はある。
(3)パウロ個人のことを示す「私たち」であろう。
①ギリシア語ではよくある使用法(あるいは、編集的複数形とも言う)
②僭越な印象を相手に与えないための婉曲法
③「わたくし‐ども」(私共)
「ども」は接尾語。自称。単数・複数にかかわらず用いる。自分、または自分の
家族・仲間などをへりくだっていう語。
2.「このキリストによって」
(1)キリストに2性があることは、前回確認した。
①人間性
②神性
(2)「dia」の第一義的意味は、「通して」である。
①父なる神の御業が私たちに届けられるための管であり、手段である。
②旧約聖書では大祭司が神と民とをつなぐ管となり、手段となった。
③日本人が「仲介者」の必要性を感じないのは、神を地上レベルに引き下ろして
いるから。
④体験的にも「キリストを通して」ということは真理である。
(3)私たちが受けるすべてのよきものは、キリストを通して与えられる。
3.パウロがキリストを通して受けたもの
(1)恵み(カリス)
①罪人に与えられた神の憐れみ、一方的な愛のこと。
②神の聖さが人間に影響を与え、信仰による救いを得させること。
③パウロも、一般的な意味での恵みを受けた。
④さらに、使徒としての使命を果たすための力を受けた。
(2)使徒の務め(使徒職のこと)
①パウロにとっては、恵みは使徒職の土台である。
②使徒は神の代理人(シャリアハ)である。
③パウロは神の代理人として語るのである。
*パリサイ派の学びの中心は、暗記である。
*自分の師の名によって、師から受けたことをそのまま次の世代に伝える。
*日本的宗教観との違いは明白である。
「宗教とは人間の知能による発明であり、人々に受け入れられた時、それが
広まる」と多くの日本人が考えている。
(3)恵み(権威)と責務の関係に注目しよう。
①恵み(権威)なき責務はなく、責務なき恵み(権威)もない。
②これは人生における真理であり、クリスチャン生活にそのまま当てはまる。
Ⅱ.「神の義」の内容(原文の語順に従って解説する)
1.「信仰の従順をもたらすため」
(1)律法による義を求める熱心さではない。
①ロマ10:2
「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は
知識に基づくものではありません」
②かつてのパウロがそうであった。
(2)信仰から出てくる従順のことである。
①パリサイ的ユダヤ教とは異なった原理である。
②信仰は神への従順を生み出す。
2.「あらゆる国の人々の中に」
(1)新共同訳、口語訳ともに、「異邦人」と訳している。
①ギリシア語では「エスノス」。
②彼は、ローマの教会にユダヤ人信者と異邦人信者がいたことを意識している。
(2)パウロのメッセージは、2重の意味で革命的であった。
①「信仰の従順」を説いた。
②異邦人も招かれていることを説いた。
3.「御名のために」
(1)訳語の問題
①新改訳は、直訳をしているだけ。
②「その御名を広めて」(新共同訳)では、弱い。
(2)「神の栄誉と栄光のために」が正しい訳である。
①詩106:8
「しかし主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるた
めだった」
②エゼ20:14
「しかし、わたしはわたしの名のために、彼らを連れ出すのを見ていた諸国の民
の目の前でわたしの名を汚そうとはしなかった」
③イスラエルの民は、地上における神の代理人である。
*彼らの使命は、異邦人の中にあって神の栄誉を示すことである。
*しかし、彼らはその使命を果たすことに失敗した。
(3)パウロは神の代理人(シャリアハ)として召された。
①イスラエルの民が失敗したことを、パウロは忠実に行おうとしている。
②それは、異邦人の中にあって神の栄誉を示すことである。
③神がいかにして妥協なしに異邦人を救うか、というのが「神の義」である。
Ⅲ.「神の義」に与った人々
1.「あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々
です」(6節)
(1)ローマの信者たちも、同じ福音を信じて救われた。
①イエス・キリストによってこの世から呼び出された。
(2)パウロの三段論法に注目
①パウロは異邦人に対して使徒としての権威と責任を与えられた。
②あなたがたもまた、異邦人の中にあってイエス・キリストによって召された。
③従って、私にはあなたがたを導く権威を責任がある。
2.「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」(7節a)
(1)「すべての」
①ユダヤ人信者も異邦人信者も
②男も女も、富んだ者も貧しい者も、奴隷も自由人も
(2)「神に愛されている人々」
①愛する理由があるからではない。
②従順だからでもない。
③神の性質のゆえに、愛されている。
(3)「召された聖徒たち」
①聖徒は「ハギオス」である。
②3つの使用法
*地域教会の会員(使9:32、41)
*普遍的教会の会員(1コリ1:2)
*信者個人(エペ1:18、コロ1:12、黙13:10)
③欠陥がないという意味ではない。
④選び分けられた、神のご用のために選ばれたという意味である。
3.「私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にあります
ように」(7節b)
(1)伝統的なユダヤ人のあいさつの形式である。
①パウロ書簡のあいさつの特徴である。
(2)「恵み」と「平安(シャローム)」という2つの言葉
①この中に、霊的・肉体的祝福がすべて詰まっている。
②「恵み」の作者は、父なる神である。
③「平安(シャローム)」をもたらしたのは主イエス・キリストである。
*神と人の和解
*ユダヤ人と異邦人の和解
*人と人の和解
結論:
メッセージのゴールは、啓示された「神の義」の大枠を理解すること。
1.パウロの自己認識は、神の代理人(シャリアハ)である。
(1)彼の関心は、神の義がいかに啓示されたかを伝えることにある。
(2)異邦人が救いの外に置かれているなら、神の義がなったとは言えない。
(3)異邦人の救いは、神の義の実現である。
2.パウロは、旧約聖書に啓示されていた神の義を認識していた。
(1)創49:10(ヤコブの預言)
「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロ
が来て、国々の民は彼に従う」
(2)詩2:7~8(メシア的詩篇)
「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わた
しの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなた
へのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える』」
3.新約時代になって啓示された「奥義」がある。
(1)パウロは神の代理人として、神の計画の全貌を開示しようとしている。
(2)「奥義」の内容
①イスラエルの民のつまずき
②異邦人の救い(アブラハム契約への接ぎ木)
③イスラエルの民のねたみ
④イスラエルの民の民族的救い
(3)ロマ1:16~17がテーマである。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じる
すべての人にとって、救いを得させる神の力です」
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