メシアの生涯(208)—復活(6)—

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このメッセージでは...

イエスによる霊的回復について考えてみる。

「復活(6)」

ヨハ21:1~25

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①聖書は、復活のイエスの出現を10回記録している。

    ②復活の当日(日曜日)に5回、それ以降の40日間に5回。

    (2)復活のイエスの顕現

      ①マグダラのマリアに(マコ16:9~11)

      ②女たちに(マタ28:8~10)

      ③エマオ途上の2人の弟子たちに(ルカ24:13~32)

      ④ペテロに(ルカ24:34)

      ⑤トマスを除いた使徒たちに(ヨハ20:19~25)

      ⑥トマスを含めた使徒たちに(ヨハ20:26~31)

      ⑦ガリラヤ湖畔で7人の弟子たちに(ヨハ21章)

      ⑧500人以上の信者たちに(1コリ15:7)

      ⑨ヤコブに(1コリ15:7)

      ⑩オリーブ山で使徒たちに(使1:3~12)

(3)今回は、7回目の現れを見てみる(どれくらいの時間の間隔があるか不明)。

  ①ヨハ21章は、追記の章である。

  ②ペテロの回復は、初代教会にとっては重要なテーマであった。

    (4)A.T.ロバートソンの調和表

      §180 ガリラヤ湖畔での7人の弟子たちへの現れ

          ヨハ21:1~25

2.アウトライン

  (1)岸辺に立つイエス(1~14節)

  (2)ペテロを回復するイエス(15~17節)

  (3)ペテロの死を予告するイエス(18~23節)

  (4)締めくくりの言葉(24~25節)

  3.結論:

    (1)「愛」という動詞の使用法について

    (2)その後のペテロの歩み

    (3)霊的回復について

イエスによる霊的回復について考えてみる。

Ⅰ.岸辺に立つイエス(1~14節)

   1.1節

Joh 21:1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現された。その現された次第はこうであった。

     (1)ついに弟子たちは、ガリラヤに帰還した。

      ①そこでイエスは弟子たちの前に姿を現された。これで、3度目である。

    (2)この時の弟子たちの心情を理解しておこう。

      ①エルサレムでは、驚くべき出来事を息つく間もなく体験した。

      ②勝利の入城→メシア的王国への期待→ユダの裏切り→逮捕の危険→リーダーで

あるペテロによる3度の拒否→イエスの死→復活→2度に渡るイエスの現れ

③故郷に戻った彼らは、間違いなく混乱し、将来に不安を覚えていた。

  2.2~3節

Joh 21:2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。

Joh 21:3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。

     (1)弟子たちは7人いた。

      ①7人がとりあえず一緒に住んでいたのであろう。

      ②ペテロの唐突な提案は、かなりの時間の経過を感じさせるものである。

    (2)ペテロがある提案をした。

      ①「私は漁に行く」=「私は漁師に戻る」

      ②自分は失敗者だという意識があったであろう。

      ③家族を支えなければならない。食べる心配をしなければならない。

      ④ペテロのせっかちな性格が現れている(墓に最初に入ったのも彼であった)。

      ⑤他の6人の弟子たちも合流した。ペテロのリーダーシップの証明である。

    (3)その夜は何もとれなかった。

      ①神の摂理が働いていた。

   3.4~6節

Joh 21:4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。

Joh 21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」

Joh 21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。

     (1)イエスは岸辺に立たれたが、弟子たちはそれがイエスだと分からなかった。

      ①まだ夜が明けきっていなかったのか、あるいは、距離があったのか。

    (2)イエスは「子どもたちよ」と呼びかけ、船の右側に網をおろすようにと助言した。

  ①船の右側に網をおろすのは、通常の方法ではない。

  ②その助言に従うと、おびただしい魚がとれた。

  ③網を引き上げることができないほどの大魚であった。

  ④最初に召命を受けた時のことを思い出させるものであった(ルカ5:1~11)。

   4.7~8節

Joh 21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。

Joh 21:8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。

     (1)最初にそれがイエスだと気づいたのは、ヨハネである。

      ①イエスの復活を最初に信じたのもヨハネであった。

    (2)ペテロは、上着をまとって湖に飛び込み、泳いで岸に向かった。

      ①衝動的に行動するペテロ

      ②ほかの弟子たちは、網を上げないで小舟で引いて岸にたどり着いた。

        *岸までは百メール足らずの距離であった。

   5.9~11節

Joh 21:9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。

Joh 21:10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」

Joh 21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。

     (1)岸には、朝食が用意されていた。

      ①炭火の上で魚が焼かれていた。パンもあった。

    (2)弟子たちがとった魚も炭火の上に載せられた。

      ①イエスは、弟子たちの働きを評価された。

    (3)舟に乗りこんで、網を陸地に引き上げたのはペテロであった。

      ①他の弟子たちにできなかったことを、ペテロがした。

      ②ペテロのリーダーシップが暗示されている。

    (4)これは、小規模な奇跡である。

      ①153匹という数

        *比ゆ的解釈ではなく、字義通りの解釈がよい。

        *漁師仲間では、魚の数を数えて、均等に分配する習慣があった。

      ②網は破れなかった。

        *イエスは、網が破れるようなことをお命じになることはない。

   6.12~14節

Joh 21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。

Joh 21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。

Joh 21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。

     (1)イエスは弟子たちを食事に招いた。

      ①弟子たちは、イエスだと分ったので「あなたはどなたですか」と尋ねなかった。

    (2)イエスがパンと魚を彼らにお与えになった。

①これは、ユダヤ的には和解の食事であり、弟子たちに強い印象を残した。

      ②使10:39~41(コルネリオに対するペテロのメッセージ)

Act 10:39 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。

Act 10:40 しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。

Act 10:41 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。

Ⅱ.ペテロを回復するイエス(15~17節)

   1.15節

Joh 21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」

     (1)イエスは、「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」と聞いた。

      ①ペテロは、「私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と答えた。

      ②他者との比較はなくなっている。

    (2)イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と命じた。

      ①「小羊」とは、霊的の幼い信者のことである。

      ②ここでは、漁師のイメージから、羊飼いのイメージへの移行がある。

      ③伝道の強調から、牧会の強調への移行である。教会の誕生が前提となっている。

      ④「飼う」は「ボスコウ」(食べさせる)である。

   2.16節

Joh 21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

     (1)イエスは、「あなたはわたしを愛しますか」と聞かれた。

      ①イエスも、他者との比較をやめた。

      ②ペテロの答えは、最初と同じであった。

    (2)イエスは、「わたしの羊を牧しなさい」と命じた。

      ①「わたしの羊」とは、信者一般である。

      ②「牧する」は「ポイマイノウ」(羊飼いの仕事をする)である。

   3.17節

Joh 21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

     (1)イエスは、2度目と同じく「あなたはわたしを愛しますか」と聞かれた。

      ①イエスが3度ペテロに聞いたのは、ペテロがイエスを3度拒否したからである。

      ②ペテロは、それに心を痛めた。

      ③ペテロがイエスを拒否したのは、炭火に当たっていた時である。

      ④ペテロは、炭火の前でイエスを愛しますと3度告白した。

    (2)イエスは、「わたしの羊を飼いなさい」と命じた。

      ①「わたしの羊」とは、信者一般である。

      ②「飼う」は、第1の命令と同じく「ボスコウ」(食べさせる)である。

Ⅲ.ペテロの死を予告するイエス(18~23節)

   1.18~19節

Joh 21:18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」

Joh 21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

     (1)「まことに、まことに、あなたに告げます」

      ①厳粛な内容の預言が語られる。

      ②ペテロは、老年になると苦難に遭遇する。殉教の死の予告である。

      ③ペテロは、殉教の死を通して主イエスへの愛を示すのである。

    (2)イエスは、「わたしに従いなさい」と言われた。

      ①ペテロは、その命令に最後まで従った。

②ペテロが十字架に逆さに吊るされて死んだという伝承がある。

   2.20~22節

Joh 21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。

Joh 21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」

Joh 21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

(1)ペテロはヨハネのことが気になったので、「この人はどうですか」と尋ねた。

      ①恐らく、イエスは再臨の話をされていたのであろう。

      ②「彼は生きていて再臨を見るようになるのでしょうか」と聞いた可能性がある。

    (2)イエスはペテロを叱責された。

      ①ヨハネに何が起ころうとも、それはあなたには無関係である。

   3.23節

Joh 21:23 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。

     (1)ヨハネは、イエスのことばに関する誤解を解いている。

      ①イエスは、ヨハネが再臨まで生き延びると言われたのではない。

      ②ただ、「あなたには何のかかわりあるか」と言われたのである。

Ⅳ.締めくくりの言葉(24~25節)

   1.24節

Joh 21:24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。

     (1)これはヨハネ自身の言葉とも、初代教会の誰かの言葉とも解釈可能である。

  ①ヨハネの福音書の内容が真実であることを証言している。

   2.25節

Joh 21:25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

     (1)これは、ヨハネの言葉であろう。

      ①福音書に記された情報は、ほんの一部である。

結論:

1.「愛」という動詞の使用法について

  (1)「アガパオウ」と「フィレオウ」という動詞

  (2)2つの動詞に使い分けは、文学形式上の手法と考えられる。

  (3)トーラーは、すべてポエムである。

  2.その後のペテロの歩み

    (1)「わたしの小羊を飼いなさい」

      ①ペテロは、1ペテを書いてこの命令を果たした。

1Pe 2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、

1Pe 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

    (2)「わたしの羊を牧しなさい」

      ①ペテロは使徒たちの中でリーダーとなり、初代教会で群れを監督した。

    (3)「わたしの羊を飼いなさい」

      ①ペテロは、2ペテを書いてこの命令を果たした。

      ②2ペテの内容は、みことばの乳以上のものである。

2Pe 1:4 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。

2Pe 1:5 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、

2Pe 1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、

2Pe 1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

  3.霊的回復について

    (1)主イエスは私たちのために和解の食事を用意していてくださる。

      ①「私を愛するか」と聞いてくださる。

      ②愛の証明を迫ってくださる。

    (2)霊的回復がもたらす変化

      ①キリストの助けなしには、収穫はない(特に伝道における霊的収穫)。

      ②神への奉仕は、愛がその動機でなければならない。

      ③他の働き人との比較は無用である。

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