私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(206)—復活(4)—
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イエスの復活が弟子たちに与えた影響について考えてみる。
「復活(4)」
ルカ24:13~35
1.はじめに
(1)文脈の確認
①週の初めの日(日曜日)に、イエスは復活された。
②聖書は、復活のイエスの出現を10回記録している。
*復活の当日(日曜日)に5回
*それ以降の40日間に5回
(2)復活のイエスの顕現
①マグダラのマリアに(マコ16:9~11)
②女たちに(マタ28:8~10)
③エマオ途上の2人の弟子たちに(ルカ24:13~32)
④ペテロに(ルカ24:34)
⑤トマスを除いた使徒たちに(ヨハ20:19~25)
⑥トマスを含めた使徒たちに(ヨハ20:26~31)
⑦ガリラヤ湖畔で7人の弟子たちに(ヨハ21章)
⑧500人以上の信者たちに(1コリ15:7)
⑨ヤコブに(1コリ15:7)
⑩オリーブ山で使徒たちに(使1:3~12)
(3)今回は、3回目と4回目の現れを見てみる。
(4)A.T.ロバートソンの調和表
§176 エマオ途上のふたりの弟子たちへの現れ
ルカ24:13~32
§177 ペテロへの現れ
ルカ24:33~35、1コリ15:5
2.アウトライン
(1)起(エマオへの道中)
(2)承(見知らぬ人との会話)
(3)転(聖書の解き明かし)
(4)結(霊的開眼)
3.結論:
(1)ペテロへの現れ
(2)クレオパへの現れ
イエスの復活が弟子たちに与えた影響について考えてみる。
Ⅰ.起(エマオへの道中)
1.13~14節
Luk 24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
Luk 24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
(1)「ちょうどこの日、ふたりの弟子が」
①日曜日の午後である。
②登場人物は、ふたりの弟子である。
③恐らく、70人の弟子たちの中のふたりであろう。
④イエスは彼らを宣教のために派遣した。
⑤ひとりはクレオパで、もうひとりは無名の弟子であった。
(2)「エマオという村に行く途中であった」
①エマオは、エルサレムの北西60スタディオン(11キロメートル)にある村。
②なぜエルサレムを去るのか理由は書かれていないが、想像はできる。
*悲しみ、驚き、失望
*自分を取り戻すために生活の場に戻る必要があったのであろう。
(3)「ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた」
①イエスの死、埋葬、そして復活したという知らせがその内容である。
②動詞は、未完了形である。継続した動作。
2.15~16節
Luk 24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
Luk 24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
(1)「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた」
①イエスが彼らとともに道を歩かれた。動詞は、未完了形である。
②旅の途中で知らない人が会話に加わることは、ユダヤ人には普通のこと。
③過越の祭りを祝った巡礼者が帰路につく場合は、特にそう言える。
(2)「ふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」
①なぜイエスだとわからなかったのか。
②思い込みが激しかった、悲しみに沈んでいた、復活の体を認識できなかった。
③神が霊的目を閉ざしておられた。
Ⅱ.承(見知らぬ人との会話)
1.17~18節
Luk 24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
Luk 24:18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
(1)「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか」
①イエスは、知らないから質問しているわけではない。
②彼らの信仰を喚起するための会話を始めているのである。
(2)「すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった」
①驚きの反応。立ち止まった。
②悲しみの反応。暗い顔つきになった。
(3)クレオパの言葉
①エルサレムにいたなら、誰でも知っている話を、あなただけが知らないのか。
②イエスの活動と死は、エルサレム中に知れ渡っている。
*過越の祭りの最中に十字架刑が執行された。
③ルカは、イエスを拒否したユダヤ人の責任を問うている。
2.19~21節a
Luk 24:19 イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
Luk 24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
Luk 24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。
(1)イエスの質問に対して、ふたりの弟子たちが答えた。
①自分たちが信じていたことと、実際の出来事が合致しないので、当惑している。
②彼らの言葉は、信者の一般的な思いを代表している。
(2)彼らが信じていた4つのこと
①イエスは神の預言者であった。
②イエスが預言者であることは、その教えと行いによって証明された。
③イエスは裁判にかけられ、死刑に定められ、十字架につけられた。
④イエスはイスラエルを贖ってくださるはずだ(メシア)と望みをかけていた。
(3)イエスがメシアであり、神の国をもたらすお方であるという期待が広まっていた。
①ルカ2:30(シメオンの言葉)
Luk 2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
②ルカ2:38(アンナの言葉)
Luk 2:38 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。
3.21b~24節
事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
Luk 24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
Luk 24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
Luk 24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
(1)次に彼らは、イエスが復活したという知らせについても話した。
①これは、第1の現れと第2の現れのことである。
②彼らは、イエスが復活したということを、まだ信じていない。
(2)「三日目になる」
①イエスの十字架刑が金曜日に行われたことを証明している。
(3)イエスは、彼らが心の中にあることをすべて吐き出すまで黙って聞いている。
①試練の中にいる人の話を聞く際に、大いに参考になる。
Ⅲ.転(聖書の解き明かし)
1.25~27節
Luk 24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
Luk 24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
Luk 24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
(1)イエスは、彼らを優しく戒めた。
①預言者たちは、メシアの受難と復活を預言していた。
(2)「モーセおよびすべての預言者」
①モーセとは「モーセの五書」のこと。本来は1冊の書である。
②預言者(複数形)とは、預言書のこと。
③これ全体で、旧約聖書を指す。
④旧約聖書はメシアを指し示している。
*申18:15~18
*詩22篇
*イザ9:1~21、11:1~16、53:1~12
⑤これは、イエスによるバイブルスタディである。
⑥それを聞きたいと思うが、私たちには旧新約聖書と聖霊の助けがある。
(3)旧約聖書の重要性
①初代教会の時代、伝道は旧約聖書を用いて行われた。
②新約教会は、新約聖書が書かれる前に活動を開始していた。
③ユダヤ人伝道は、旧約聖書を用いて行われる。
2.28~29節
Luk 24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
Luk 24:29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。
(1)エマオに近づいたが、イエスはまだ先に行きそうな様子であった。
①イエスは、招かれない限り無理に家に入ることはない。
②家を心と置き換えても同じことが言える。
(2)彼らはイエスを強いて引き止めた(無理に願った)。
①そろそろ夕刻になる。旅は危険である。
②空腹になって来た。
③食事と宿が用意されている。
④イエスは、彼らの招きに応じて家に入った。
Ⅳ.結(霊的開眼)
1.30~31節
Luk 24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
Luk 24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
(1)イエスは、主人の役割を果たしておられる。
①パンを取って神の御名を祝福した。
②裂いて彼らに渡した。
(2)彼らの目が開かれて、イエスだとわかった。
①パンを裂くしぐさ
*5000人のパンの奇跡
*最後の晩餐
②イエスの手首に釘の後を見たのであろう。
③その瞬間、イエスは見えなくなった。
④イエスの体が、新しい次元の体であることを示している。
⑤聖餐式の席には、イエスがともにいてくださる。
2.32節
Luk 24:32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
(1)「心はうちに燃えていた」
①教師はイエスご自身であった。
②内容は、聖書のそのものであった。
(2)私たちの心が燃えるための秘訣がここにある。
①心が燃えるとは、話し手に同意し、感動している状態である。
3.33~35節
Luk 24:33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
Luk 24:34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた。
Luk 24:35 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。
(1)彼らはすぐにエルサレムに戻った。
①「十一使徒」とは、使徒集団を表す言葉である。トマスはいなかった。
②彼らは、復活のイエスがシモン(ペテロ)に現れたという知らせを聞いた。
③今度は、彼ら自身が、自分たちの体験に基づいてイエスの復活を証言した。
(2)1コリ15:5
1Co 15:5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
①12弟子の中で最初に復活のイエスを見たのは、ペテロである。
(3)マコ16:13
Mar 16:13 そこでこのふたりも、残りの人たちのところへ行ってこれを知らせたが、彼らはふたりの話も信じなかった。
結論:イエスの憐れみ
1.ペテロへの現れ
(1)使徒集団で、最初に復活のイエスを見たのはペテロであった。
(2)ペテロは、赦しと励ましを必要としていた。
(3)ペテロが初代教会のリーダーとなることを使徒集団が認識する必要があった。
2.クレオパへの現れ
(1)クレオパの名が上がっているのは、初代教会で有名な指導者となったから。
(2)クレオパは、後にエルサレム教会の指導者となった。
①イエスの弟のヤコブが死んでから。
(3)紀元66年
①将軍ティトゥスは、エルサレムの包囲を解いてローマに帰還し、皇帝となった。
②その時、メシアニック・ジューたちはイエスの預言に従ってエルサレムから逃
れた。
③紀元70年にエルサレムが陥落した時、メシアニック・ジューで死んだ人はひ
とりも出なかった。
④この時、メシアニック・ジューたちを導いたのはクレオパであった。
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