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サムエル記第一(15)「民の願いを受け入れる神」1サム8:19~9:14
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命題:神は、人間の選択をも用いて、ご自身のご計画を成し遂げられる。8章を民の選択、9章を神の摂理として学ぶと、そのことが分かる。
サムエル記第一(15)
「民の願いを受け入れる神」
1サム8:19~9:14
1.文脈の確認
Ⅰ.王政に向けた準備(1~9章)
A.サムエルの誕生と幼少期(1章)
B.ハンナの賛歌(2:1~10)
C.シロでの霊的状況(2:11~36)
D.サムエルの召し(3章)
E.契約の箱(4~7章)
F.王の選択(8~9章)
1.王を求める民(8:1~18)
2.民の願いを受け入れる神(8:19~9:14)
3.サウルの選び(9:15~27)
2.注目すべき点
(1)イスラエルの歴史が新しい段階に入る。
①神政政治(神が王である体制)から、人間の王を持つ国家への転換点となる。
(2)サムエルの高齢と後継者問題がきっかけとなった。
(3)民の要求には正当な部分と誤った部分があった。
(4)神は、人間の間違った願いさえも、ご計画の中で用いられる。
命題:神は、人間の選択をも用いて、ご自身のご計画を成し遂げられる。
8章を民の選択、9章を神の摂理として学ぶと、そのことが分かる。
Ⅰ.民の選択(8:19~22)
1.19~20節
1Sa 8:19 しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。
1Sa 8:20
そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
(1)民は、神の警告を拒否した。
①民は、「どうしても、私たちの上には王が必要です」と言い張った。
②罪人は、神のことばが明らかにされても、自分の願望を優先する傾向がある。
(2)彼らは「他の国々のようになりたい」と願った。
①イスラエルは、「祭司の王国、聖なる国民」として召されていた(出19:5~6)。
②しかし彼らは、その特別な召しを誇りとせず、諸国の政治制度を理想とした。
③神の民としてのアイデンティティーを捨て、世と同じになりたいという霊的問
題であった。
(3)彼らは王に神の役割を期待した。
①しかし、どれほど優れた王であっても、神の代わりにはなれない。
2.21節
1Sa 8:21 サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを【主】の耳に入れた。
(1)サムエルは民と論争しなかった。
①サムエルは預言者として、神と民との仲介者の役割を忠実に果たした。
(2)「【主】の耳に入れた」とは祈ったという意味である。
①これは、神に情報を伝えるためではなく、神の判断を仰ぐためである。
②民の要求 → サムエルの祈り → 神の決定
3.22節
1Sa 8:22
【主】はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。
(1)「彼らの声を聞き」とは、神が彼らの願いを是認されたという意味ではない。
①神が彼らの選択を許容されたということである(許容的御心)。
②神は、人間の自由な選択を尊重されることがある。
③そして、その選択がもたらす結果も経験させられる。
(2)神は人間の罪さえも、ご計画の中で用いられる。
①サウルの即位
②ダビデ王朝の成立
③ダビデ契約(2サム7章)
④ダビデの子であるメシアの到来
(3)「自分の町へ帰りなさい」は、神の時を待たせるためである。
①サムエルはその場で王を選ばなかった。
②神の時はまだ来ていない。
③「神の摂理」が、ここから静かに動き始める。
Ⅱ.神の摂理(9:1~14)
1.1~2節
1Sa 9:1
ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。
1Sa 9:2
キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
(1)サウルは、王として理想的な条件を備えていた。
①良い家柄の出身(ベニヤミン族)
②裕福な家庭、若さ、美しい容姿、人並み外れた高身長
(2)しかし、内面については何も語られていない。
①著者は、王に最も必要なものは外見とは別にあるということを暗示している。
②ダビデとの対比は、すでにここから始まっている。
(3)ベニヤミン族出身であった。
①士19~21章では、部族が滅亡寸前まで追い込まれるという悲劇を経験した。
②そのような部族から最初の王が出ることは、神の主権を示している。
③やがて王権は、ユダ族のダビデへと移される。
2.3~4節
1Sa 9:3
あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子サウルに言った。「しもべを一人連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」
1Sa 9:4
サウルはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、それらは見つからなかった。さらに、シャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いても、見つからなかった。
(1)神の摂理は、ごく普通の日常から始まる。
①雌ろばがいなくなった。
②父が息子に捜索を命じた。
③サウルが忠実に従った。
④サウルは父に従う誠実な青年として描かれている。
(2)「見つからなかった」が繰り返される。
①途中で雌ろばが見つかっていたら、サウルはサムエルに会うことはなかった。
②見つからなかったこと自体が、神の導きであった。
3.5~6節
1Sa 9:5
二人がツフの地にやって来たとき、サウルは一緒にいたしもべに言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのほうを心配し始めるといけないから。」
1Sa 9:6
すると、しもべは言った。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」
(1)サウルの誠実さが表れている。
①サウルは、ろばを見つけることよりも、父キシュの心配を気遣っている。
(2)神は名もないしもべを用いられる。
①サウルはサムエルのことを知らなかったが、しもべは知っていた。
4.7~9節
1Sa 9:7
サウルはしもべに言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」
1Sa 9:8
しもべは再びサウルに答えた。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。これを神の人に差し上げたら、私たちの行く道を教えてくださるでしょう。」
1Sa 9:9
昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は「さあ、予見者のところへ行こう」とよく言っていた。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。
(1)預言者を訪ねる際に贈り物を持参する習慣があった。
①しもべの備えが神の摂理となった。
②「銀貨四分の一シェケル」は、高価なものではない。
③しかし、この小さな備えが、サムエルに会うことへの道を開く。
(2)9節は挿入句である。
①先見者……神から受ける働きを強調
②預言者……人々に語る働きを強調
5.10~11節
1Sa 9:10 サウルはしもべに言った。「それはよい。さあ、行こう。」こうして、彼らは神の人のいる町へ行った。
1Sa 9:11 彼らがその町への坂道を上って行くと、水を汲みに出て来た娘たちに出会った。彼らは「予見者はここにおられますか」と尋ねた。
(1)井戸は出会いの場所であった。
①聖書には、井戸での重要な出会いが何度も記されている。
6.12~13節
1Sa 9:12
すると娘たちは答えて言った。「はい。この先におられます。さあ、急いでください。今日、町に来られました。今日、高き所で民のためにいけにえをお献げになりますから。
1Sa 9:13
町に入ると、あの方が見つかるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来られるまで食事をしません。あの方がいけにえを祝福して、その後で、招かれた者たちが食事をすることになっているからです。今、上って行ってください。あの方は、すぐに見つかるでしょう。」
(1)一つ一つの「偶然」が神の摂理である。
①この後の展開から、すべてが神の導きであったことが分かる。
②名もない若い娘たちが、「先見者はここにおられます」と伝える。
③神のタイミングは完全である。
(2)サムエルはなお民の霊的指導者であった。
①預言者・士師として、民の礼拝を導いていた。
②「高き所」は、神を礼拝するための正当な礼拝所である。
7.14節
1Sa 9:14 彼らが町へ上って行き、町に入りかかったとき、ちょうどサムエルが、高き所に上ろうとして彼らの方に向かって出て来た。
(1)この節は、神の摂理が成就する瞬間を描いている。
①この節の中心は、「ちょうど」という表現である。
②神の召しは人間の予想を超えている。
③サウルにとって、この日は、単なる「ろば探し」の一日であった。
④しかし神にとっては、イスラエル初代の王を任命する日であった。
結論:今日の信者への適用
1.世の価値観ではなく、神のご支配に信頼しよう。
(1)目に見える人間の王に安心を求めた。
(2)現代の信者も同じ誘惑に直面している。
(3)私たちの真の王は、イエス・キリストである。
(4)信仰生活とは、「神の国の価値観」に従って歩むことである(ロマ12:2)。
2.神の摂理は、日常の出来事を通して働いていることを信じよう。
(1)ろばがいなくなること
(2)しもべの助言
(3)銀貨一枚
(4)井戸で娘たちに出会うこと
(5)このような認識は、小さなことにも忠実であることにつながる。
3.人生の主役は自分ではなく、神であることを覚えよう。
(1)サウルは、ろばを捜しているつもりであった。
(2)しかし神は、イスラエルの王をサムエルのもとへ導いておられた。
(3)箴言16章9節
「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、【主】が人の歩みを確かにされる」




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