メシアの生涯(180)—ゲツセマネ途上での説教(1)—

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ぶどうの木とその枝のたとえについて学ぶ。

「ゲツセマネ途上での説教(1)」

ヨハ15:1~10

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①最後の晩餐が終わった。

    ②イエスの最後の長い説教が続く。ヨハネだけが記している。

      *ヨハ14章 二階部屋で語られた。

      *ヨハ15、16章 ゲツセマネの園に向かう途中で語られた。

    ③人類救済計画の時代区分(ディスペンセーション)が移行しつつある。

    ④城壁の南側を通って、東に向かわれた。

      *途中に、ぶどう畑があったと思われる。

      *イエスは、立ち止まって話されたのであろう。

      *数時間後には、逮捕されることになっている。

    (2)A.T.ロバートソンの調和表

    §150 ゲツセマネの園に向かう途中でのメッセージ

2.アウトライン

  (1)ぶどうの木とその枝(15:1~10)

  (2)イエスの友(15:11~17)

  (3)この世から受ける憎しみ(15:18~16:4)

  (4)聖霊の働き(16:5~15)

  (5)悲しみから喜びへ(16:16~33)

  3.結論:

    (1)実を結ぶという意味

    (2)とどまるという意味

ぶどうの木とその枝のたとえについて学ぶ。

Ⅰ.ぶどうの木とその枝(15:1~10)

  1.1節

Joh 15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

    (1)ヨハネの福音書に出て来る7番目の「I am」である。

      ①イエスの神性宣言

    (2)旧約聖書ではイスラエルの民がぶどうの木である。

      ①詩80:8

Psa 80:8 あなたは、エジプトから、ぶどうの木を携え出し、/国々を追い出して、それを植えられました。

      ②エレ2:21

Jer 2:21 わたしは、あなたをことごとく/純良種の良いぶどうとして植えたのに、/どうしてあなたは、わたしにとって、/質の悪い雑種のぶどうに変わったのか。

      ③イザ5:1~7、エゼ15:1~8、ホセ10:1など参照

      ④イスラエルがぶどう畑にたとえられることもある。

    (3)なぜイエスが「ぶどうの木」なのか。

      ①神はイスラエルを純良種の良いぶどうとして植えた。

      ②手入れをして育て、豊かな収穫を期待した。

      ③しかし、イスラエルは質の悪い雑種のぶどうに変わった。

        *酸いぶどうの実か、腐ったぶどうの実しかならなくなった。

      ④イエスは、父なる神がイスラエルに対して意図されたことを成就するために来

られた。

        *それゆえ、イエスは「まことのぶどうの木」である。

        *ほとんどの日本語訳聖書は、「まことのぶどうの木」と訳している。

        *リビングバイブルは、「ほんとうのぶどうの木」と訳している。

  2.2~3節

Joh 15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

Joh 15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。

    (1)「それを取り除き」とは、どういう意味か。

      ①偽の信者は取り除かれるという意味。イスカリオテのユダがその例である。

      ②真の信者ではあるが、罪を犯したために救いが取り去られるという意味。

        *これは、永遠の救いを保証する他の聖書の箇所から判断してあり得ない。

      ③真の信者であるが、信仰が後退しているので取り除かれるという意味。

        *もしそうなら、これは肉体的死を意味する(1コリ11:30)。

    (2)以上の3つとは別の解釈

①「取り除く」という動詞(ギリシア語のアイロウ)の意味

        *この動詞には、持ち上げる、取り上げるなどの意味がある。

      ②2節は積極的に解釈することが可能である。

        *弱っている枝を持ち上げ、より多くの光と空気に触れさせる。

          ・「You raise me up, so I can stand on mountains.」

          ・2002年。曲はRolf Løvland、歌詞はBrendan Graham。

          ・現代の讃美歌のひとつになっている。

        *すでに実を結んでいる枝は、より多くの身を結ぶために刈り込みをする。

    (3)弟子たちは、イエスのことばによってきよくされている。

      ①洗足式の教訓

      ②イエスのことばを信じるなら、義認と聖化を経験する。

  3.4節

Joh 15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

    (1)弟子たちは、イスラエルの残れる者である。

      ①彼らは、「ほんとうのぶどうの木」にとどまることで、実を結び続ける。

      ②実を結ぶとは、御子のいのちが内に働いていることの証拠である。

      ③弟子たちの責務は、イエスにとどまることである。

      ④「実を結ばせてください」と祈るよりも、「イエスのいのちが溢れ出ますように」

と祈る方がよい。

    (2)「とどまる」という動詞(ギリシア語でネノウ)

①ヨハネの神学のキーワードのひとつである。

  *ヨハネの福音書で40回、15章で11回、書簡で27回出て来る。

      ②イエスとの関係を維持し続けることが、実を結ぶための条件である。

      ③祈り、聖書を読む、その教えに従う、兄弟姉妹たちとの交流など。

  4.5~6節

Joh 15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

Joh 15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

    (1)多くの実を結ぶ条件

      ①自分では何もできないという自覚

      ②イエスとの神秘的祈りの交流

        *私がイエスの内に、イエスが私の内に

    (2)6節の解釈

      ①信者であっても、救いを失う可能性がある。

        *これは、聖書全体の教えと矛盾する。

      ②信仰は告白しているが、救われていない人のことである。

        *しかし、この場面には信者しかいない。

      ③実を付けない信者が受ける褒賞のことである。

        *文脈上のテーマは、「救い」ではなく「とどまること」である。

        *イエスにとどまって実を付けないなら、その人の業績は火で焼かれる。

        *その人自身は、救いを失わない。

        *パウロの教え(1コリ3:11~15)

  5.7~8節

Joh 15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

Joh 15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

    (1)有効な祈りの条件

      ①イエスにとどまる。

      ②そういう人の内側には、イエスのことばがとどまる。

      ③それゆえ、父の御心の沿った祈りをするようになる。

      ④御心に沿った祈りは、叶えられる。

    (2)マタ6:10

Mat 6:10 御国が来ますように。/みこころが天で行われるように地でも行われますように。

    (3)聞かれた祈り

      ①これは、弟子が結ぶ多くの実のひとつである。

      ②これは、祈った人がイエスの弟子であることを証明する。

      ③それによって、父が栄光をお受けになる。

  6.9~10節

Joh 15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

Joh 15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

    (1)イエスが私たちに示される愛の本質

      ①父がイエスを愛したのと同じ愛である。

        *質において、深さ、高さ、幅において同じである。

        *人知を超えた愛である。

      ②この事実は、私たちを礼拝へと導く。

    (2)イエスの愛にとどまるとは

      ①イエスは、実に神秘的なこの命令を、具体的な形に置き換えた。

      ②イエスの戒めを守ることが、イエスの愛にとどまることである。

      ③手本は、父に従順な歩みをされたイエスご自身である。

結論:

  1.実を結ぶという意味

    (1)イザ5:7から見るイスラエルの失敗

Isa 5:7 まことに、万軍の【主】のぶどう畑はイスラエルの家。/ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。/主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。/正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。

      ①【主】の命令への従順

      ②公正

      ③正義

    (2)新約聖書が教える実

      ①義の実(ピリ1:11)

      ②伝道の実(コロ1:5~10)

      ③御霊の実(ガラ5:22~23)

Gal 5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

Gal 5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

    (3)実とは、外面に出る結果であり、内面に宿る性質である。

  2.とどまるという意味

    (1)旧約聖書では、神はご自身の民とともに住むと約束された。

      ①住むとは、とどまるということである。

      ②出25:8

Exo 25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。

      ③出29:45

Exo 29:45 わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。

      ④至聖所でのシャカイナグローリーは、その証拠である。

    (2)新約聖書の教え

      ①イエスのいのちが実を付ける。

      ②信者の責務は、とどまることである。

        *イエスを救い主として信じる。

        *イエスを信じ続ける。

          ・1ヨハ2:24

1Jn 2:24 あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。

        *愛に基づく従順を実践する。

          ・ヨハ15:9~10

Joh 15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

Joh 15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

    (3)低空飛行のクリスチャン生活からの脱却

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