私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(164)—パリサイ主義の糾弾(3)、やもめの献金—
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神に喜ばれる信仰とは何かを学ぶ。
参考資料として「献金箱」「やもめの献金(イメージ)」の写真が入っています。
「パリサイ主義の糾弾(3)」
マコ12:38~40、マタ23:1~39、ルカ20:45~47
「やもめの献金」
マコ12:41~44、ルカ21:1~4
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの最後の1週間について学んでいる。
②きょうの出来事も、火曜日に起こったものである。
③イエスの公生涯は、きょうの箇所で終了する。
④パリサイ人たちに語った7つの「わざわい」の最後は、イエスの涙である。
*エルサレム崩壊の預言
⑤公生涯の締めくくりは、やもめの献金である。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§137 イエスは、最後の公の教えで、律法学者とパリサイ人たちを糾弾する。
マコ12:38~40、マタ23:1~39、ルカ20:45~47
§138 やもめの献金
マコ12:41~44、ルカ21:1~4
2.アウトライン
(1)イエスの涙(マタ23:37~39)
①エルサレム崩壊の預言
②再臨の預言
(2)やもめの献金(マコ12:41~44)
①イエスの観察
②イエスの教え
3.結論:
(1)再臨と携挙の違い
(2)反ユダヤ主義の理由
(3)やもめの献金からの教訓
神に喜ばれる信仰とは何かを学ぶ。
Ⅰ.イエスの涙(37~39節)
1.エルサレム崩壊の預言
Mat 23:37 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
Mat 23:38 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
(1)「ああ、エルサレム、エルサレム」
①7つの「わざわいだ」の結末に来るのは、イエスの涙である。
*「ああ、エルサレム、エルサレム」は、感情がこもった言葉である。
②エルサレムとは、エルサレムの住民でもあり、ユダヤ人全体でもある。
③イエスは、7つの「わざわいだ」の中で「目の見えぬ」という言葉を5回も使
っている。
④彼らは、盲目の指導者に導かれ、誤った道に向かう悲劇の民である。
⑤彼らは、預言者たちを殺し、神からの使者を石打ちにしてきた民である。
(2)イエスは、その民を愛された。
①めんどりと雛の比ゆが使われている。
②雛は、危険を察知すると、めんどりの翼の下に逃げて来る。
③イエスは、ユダヤ人たちに愛を示されたが、彼らは雛のようではなかった。
(3)訳文の比較
「それなのに、あなたがたはそれを好まなかった」(新改訳)
「だが、お前たちは応じようとしなかった」(新共同訳)
「それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」(口語訳)
「されど汝らは好まざりき」(文語訳)
「それなのに、あなたがたはそれを拒んでしまったのです」(リビングバイブル)
「and you would not!」(KJV)
「but you were unwilling!」(NIV)
(4)訳文から見えて来ること
①ユダヤ人の盲目だけが、メシア拒否の原因ではない。
②「信じたくないから信じないんだ」という否定的な意志が感じられる。
③滅びの責任は、彼らにある。
(5)「見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される」
①「家」とは、第一義的には神殿のことである。
②広い意味では、エルサレムの町、また、ユダヤ人国家も含むと考えられる。
③これは、メシアの死と再臨の間の期間に起こることの預言である。
④これは、紀元70年に成就した。
2.再臨の預言
Mat 23:39 あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
(1)イエスは、ユダヤ人たちを見捨てたのではない。
①イエスは、再び戻って来られる。
②しかし、再臨の時までは、ユダヤ人たちがイエスを見ることはない。
③復活のイエスに出会うのは、信者だけである。
(2)再臨の条件
①「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」という祈りである。
②これは、詩118:26にあるメシアを迎える時の公式な歓迎の言葉である。
③ユダヤ人たちが、この祈りをすることが再臨の条件である。
*ユダヤ人たちが信仰を持ったことが暗示されている。
④盲目の指導者に導かれてメシアを拒否した民が、正しい指導者に導かれて信仰
を告白するようになる。
Ⅱ.やもめの献金(41~44節)
1.イエスの観察
Mar 12:41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。
Mar 12:42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。
(1)予備知識
①この出来事は、公生涯最後の出来事である。
②この箇所を最後に、イエスは神殿から離れる。
③パリサイ人やサドカイ人たちは、イエスの怒りを恐れイエスから離れている。
④弟子たちでさえも、イエスから距離を置いた所にいる。
⑤イエスは、異邦人の庭で教えていたが、ここで婦人の庭に入る。
⑥婦人の庭の一方の壁に、献金箱が置かれていた。
*13個あった。それぞれ、目的が異なる献金箱であった。
*入り口が、ラッパの形をしていた。
*画像①
⑦婦人の庭に置かれた理由は、男女の区別なく献金ができるようにするため。
(2)観察段階
①イエスは、献金箱が置かれている壁を正面に見る位置に座られた。
②過越の祭りにやって来た巡礼者たちが、どのような姿勢で献金を捧げるかを観
察しておられた。
③多くの金持ちが大金を投げ入れていた。
④ひとりの貧しいやもめがレプタ銅貨2枚を投げ入れた。
*画像②
*レプタは、パレスチナで流通していた最小単位のユダヤの銅貨である。
*レプタ2枚は、ローマのデナリの64分の1である。
*1デナリは当時の日当。仮に1万円とすると、レプタ2枚は156円である。
2.イエスの教え
Mar 12:43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
Mar 12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
(1)これは、弟子たちへの教えである。
①弟子たちは距離を置いていたので、彼らを呼び寄せている。
②厳粛な教えである。
③人間による評価では、どれくらいの額を投げ入れたかで価値が決まる。
③イエスによる評価では、どれくらいの犠牲を払ったかで価値が決まる。
④このやもめは、生活費の全部を投げ入れた。
(2)やもめのための心配
①将来への備えはどうなったのか。
(例話)その日の夕食にありつけたか。
②これは、信仰に基づく行為である。
③神は必要を満たしてくださる。
*ユダヤ人の会堂では、やもめに対する援助が行われていた。
*初代教会は、その習慣を踏襲した(使6:1~4参照)。
結論:
1.再臨と携挙の違い
(1)再臨の条件は、ユダヤ人の民族的回心である。
(2)ゼカ12:10
「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」
①ユダヤ人にとっては、ひとり子を失くす悲しみ以上の悲しみはない。
②ユダヤ人の回心は、大患難時代の最後に起こる。
(3)大患難時代→ユダヤ人の民族的回心→メシアの再臨→千年王国
(4)携挙には、前提条件がない。
①紀元70年のエルサレム崩壊以降、携挙はいつでも起こりうる状態となった。
②携挙とは、普遍的教会が天に上げられることである。
2.反ユダヤ主義の理由
(1)歴史上、反ユダヤ主義が途絶えたことはない。
①最近は、民族的な反ユダヤ主義から政治的反ユダヤ主義に移行している。
(2)反ユダヤ主義の最大の目的は、霊的なものである。
①ユダヤ人がイエスを信じる前に、彼らを抹殺するというのがそれである。
②ユダヤ人がいなくなれば、メシアの再臨もなくなる。
③背後で指揮をしているのは、サタンである。
3.やもめの献金からの教訓
(1)ここには、パリサイ人たちとやもめの信仰の対比がある。
①イエスは神殿の中で初めて小さな光を見た。
②このやもめは、イエスを信じる者が見習うべき手本である。
(2)ここには、全的献身の姿がある。
①口伝律法では、慈善のための献金は2レプタ以上とされていたが、ここではそ
の規定は適用されない。
②つまり、彼女は1レプタだけ捧げる道もあったのが、全部を捧げた。
③弟子たちの全的献身が試されようとしている。
④マコ14:27~31
Mar 14:27 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。
Mar 14:28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
Mar 14:29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
Mar 14:30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
Mar 14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。
(3)ここには、イエスの全面的な自己犠牲の予表がある。
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