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メシアの生涯(151)—勝利の入城—
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勝利の入城の意味について学ぶ。
「勝利の入城」
ルカ19:29~44
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの公生涯は、3年半続いた。
②ついにイエスは、メシアとしてエルサレムに入城される。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§128a ベタニヤに到着(ヨハ11:55~12:1、9~11)
§128b 勝利の入城(ルカ19:29~44)
(3)ベタニヤに到着
①マルタ、マリア、ラザロの家がある。イエスはそこに滞在された。
*過越の祭りの間、エルサレムの町の周辺にテント村が作られた。
②ベタニヤからエルサレムまでは徒歩で行ける距離である。
*その途中に、ベテパゲがある。
③この時点で、祭司長と律法学者たちは、イエスを殺そうとしていた。
④それは、一般民衆にも広く知れ渡っていた。
⑤祭司長と律法学者たちは、イエスを見た者は報告せよとの命令を出していた。
⑥イエスがベタニヤに着いたとの噂が流れ、大ぜいのユダヤ人がやって来た。
⑦イエスだけでなく、ラザロを見るためでもあった。
⑧祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。
2.アウトライン
(1)入城の準備(29~35節)
(2)人々の歓迎(36~38節)
(3)パリサイ人たちの抗議(39~40節)
(4)イエスの嘆き(41~44節)
3.結論
(1)勝利の入城と過越の祭り
(2)勝利の入城と仮庵の祭り
(3)勝利の入城とイエスの感情
勝利の入城の意味について学ぶ。
Ⅰ.入城の準備(29~35節)
1.29~31節
Luk 19:29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、
Luk 19:30 言われた。「向こうの村に行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。
Luk 19:31 もし、『なぜ、ほどくのか』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」
(1)「勝利の入城」と呼ばれるが、実態はそうではない。
①民衆は、メシア的王国の設立を期待していた。
②イエスは、十字架に向かっておられた。
(2)ベテパゲとベタニヤからは、エルサレムは目前にある。
①イエスが弟子を派遣する時は、ふたり一組が多い。
(3)イエスは、ろばを必要とされた。
①ゼカ9:9の預言の成就である。
「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王
があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろば
に乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(ゼカ9:9)
②ろばは、祭司、貴族、平和の使者たちの乗り物である。
③王の乗り物は、馬である。
④イエスは、平和の君としてエルサレムに入城される。
(4)所有者たちとは、あらかじめ打ち合わせができていたのであろう。
①「主がお入り用なのです」という言葉がすべてを解決する。
2.32~34節
Luk 19:32 使いに出されたふたりが行って見ると、イエスが話されたとおりであった。
Luk 19:33 彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか」と彼らに言った。
Luk 19:34 弟子たちは、「主がお入用なのです」と言った。
(1)イエスが話された通りのことが起こった。
①所有者は、複数形である。「所有者たち」である。
②彼らが、ろばと、ろばの子を大切にしていたことが分かる。
③メシアに自分たちの持ち物を提供できるのは、特権である。
(2)イエスの貧しさは、読者に好印象を与えた。
①当時の人たちの大半が、初代教会の信者も含めて、非常に貧しかった。
②ろばの子を借りなければ入城できないメシアに、親近感を覚えたことであろう。
3.35節
Luk 19:35 そしてふたりは、それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。
(1)ろばの子の上に上着を敷くのは、鞍を作るためである。
(例話)ベエル・シェバのベドウィンテントでの体験
(2)マタ21:7
「そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イ
エスはそれに乗られた」
①母親がろばの子のそばを歩いた。
②弟子たちは、ろばと子の両方に上着を掛けた。
③イエスは、両方に乗られたのであろう。交互に乗られたのであろう。
④ろばの子が暴れないのは、小さな奇跡である。
Ⅱ.人々の歓迎(36~38節)
1.36節
Luk 19:36 イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
(1)オリーブ山の西側をエルサレムに向かって下って行かれる。
①下り切った所が、ケデロンの谷である。
(2)道に上着を敷くのは、王に対する表敬である。
「すると、彼らは大急ぎで、みな自分の上着を脱ぎ、入口の階段の彼の足もとに敷き、
角笛を吹き鳴らして、『エフーは王である』と言った」(2列9:13)
①ニムシの子ヨシャパテの子エフーは、ヨラムに対して謀反を起こした。
2.37~38節
Luk 19:37 イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、
Luk 19:38 こう言った。/「祝福あれ。/主の御名によって来られる王に。/天には平和。/栄光は、いと高き所に。」
(1)弟子たちの群れが叫んだ。
①彼らは、多くの奇跡を目撃してきた。
②そのことのゆえに、大声で神を賛美し始めた。
③およそ1年前のガリラヤで、イエスを王にする試みは失敗していた。
④今こそイエスは、メシアとして自分を表し、メシア的王国を建設される。
(2)賛美の内容
「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に」
①「主の御名によって来られる王」とは、メシアのことである。
「【主】の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは【主】の家から、
あなたがたを祝福した」(詩118:26)
②ルカ2:14との対比
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々
にあるように」(ルカ2:14)
*ここでは、「地の上に」という部分が書かれていない。
*その成就は、まだ先のことである。
③以上のことは、通常の巡礼者を歓迎する内容ではない。
*パリサイ人たちは、危機感を覚えた。
Ⅲ.パリサイ人たちの抗議(39~40節)
1.39節
Luk 19:39 するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください」と言った。
(1)パリサイ人たちは、何が起こっているかを理解した。
①イエスは、自分自身をメシアとして公にしている。
②弟子たちは、メシアを歓迎する聖句を引用して、大声で叫んでいる。
③人々も、イエスをメシアとして歓迎している。
(2)パリサイ人たちはすでにイエスのメシア性を拒否していた。
①弟子たちを叱って黙らせるように、イエスに要請した。
2.40節
Luk 19:40 イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
(1)イエスは、弟子たちを叱らなかった。
①これまでは、「今見たことを言ってはならない」という命令があった。
(2)人間が黙ったとしても、無生物である石が叫び出すことであろう。
①石とは、どんな石でもよい。
②特にここでは、城壁の石、あるいは神殿の石を指すと思われる。
Ⅳ.イエスの嘆き(41~44節)
1.41~42
Luk 19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
Luk 19:42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
(1)イエスはエルサレムを見て、泣かれた。
①外面的繁栄と内面的腐敗(不信仰)の対比
(2)ルカ19:42の訳文の比較
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、
そのことがおまえの目から隠されている」(新改訳)
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それが
お前には見えない」(新共同訳)
「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら……しかし、それ
は今おまえの目に隠されている」(口語訳)
「永遠の平和が、すぐ手の届くところにあったのに、あなたはそれをはねつけてしま
いました。 もう遅すぎます」(リビングバイブル)
①「平和への道」とは、イエスをメシアとして信じる道である。
②しかし、ユダヤ人たちの霊的目が盲目となっていた。
③エルサレムがイエスを拒否したので、イエスもエルサレムを拒否される。
2.43~44節
Luk 19:43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
Luk 19:44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
(1)紀元70年に起こることの預言である。
①敵がエルサレムに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せる。
②エルサレムの住民を虐殺する。
③エルサレムは完全に崩壊する。
(2)その理由は、「神の訪れの時を知らなかったから」である。
①イエスは救いのメッセージを持ってエルサレムを訪れた。
②神の民は、それを歓迎しなかった。
③彼らは、自分たちの考え方や願いを優先させた。
結論:
1.勝利の入城と過越の祭り
(1)出12:3~7
Exo 12:3 イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。
Exo 12:4 もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめいが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。
Exo 12:5 あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
Exo 12:6 あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
Exo 12:7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
①ニサンの月の10日に、家ごとに羊一頭を用意する。
②その羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。
③それを小羊かやぎのうちから取る。
④傷がないかどうか、ニサンの月の14日まで見守る。
⑤夕暮れにそれをほふる(午後3時~5時)。
⑥その血を、二本の門柱と、かもいに塗る。
⑦日没後(ニサンの月の15日)に、その肉を食べる。
(2)勝利の入城は、過越の小羊の選り分けである。
①ニサンの月の10日。紀元30年4月2日。
②それから4日間、神の子羊イエスは吟味を受け、傷がないことが証明される。
*パリサイ人たち
*サドカイ人たち
*律法学者たち
*ヘロデ党の者たち
2.勝利の入城と仮庵の祭り
(1)過越の祭りは春の祭り、仮庵の祭りは秋の祭りである。
(2)ヨハ12:12~13
「その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとし
ておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして
大声で叫んだ。『ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王
に』」
①しゅろの木の枝を用いるのは、仮庵の祭りである。
②人々は、メシアの到来は仮庵の祭りの成就であるという理解を持っていた。
③この言葉は、詩118:22~27の成就である。
④ラビたちは、この言葉はメシアを正式にお迎えする際の言葉であると教えた。
⑤ペテロも、同じ誤解をしていた(変貌山の出来事)。
(3)マタ21:9
「そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。
『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高
き所に』」
①「ホサナ」とは、「私たちを救ってください」という意味である。
②「ホシャナ」(ヘブル語)、「ホザンナ」(ギリシア語)
③ユダヤ教では、仮庵の祭りにおいて「ホシャナ」の祈りを祈る。
(4)以上のことから、人々はメシア的王国の出現を期待していたことが分かる。
3.勝利の入城とイエスの感情
(1)イエスは、弟子たちの「ホシャナ」の祈りを受け入れた。
①イエスは、弟子たちを黙らせなかった。
②このような賛美と叫びの声は、歴史の必然である。
③イエスがエルサレムに入城された日は、特別な日である。
④創3:15の「女の子孫」の約束以来、歴史はこの日に向かって進んできた。
⑤イエスの誕生も、バプテスマのヨハネ以来の公生涯も、すべてこの日のために
あった。
(2)イエスはエルサレムを見て泣かれた。
①泣くとは、「クライオウ」という動詞
②大粒の涙と泣き声
③エルサレムが、「神の訪れの時を知らなかったから」である。
④「メシアの生涯」151回目。特別な回である。
⑤イエスは、日本をどう見ておられるのか。
⑥イエスは、私をどう見ておられるのか。
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